特集
2019年01月30日 10時05分 JST | 更新 2019年01月31日 14時53分 JST

泣き止まない赤ちゃん、必死のお母さん。私が「泣いてもいいよ」ステッカーを作った理由

なぜ「WE♡赤ちゃん」の輪は全国に広がったのか

紫原明子さん提供

先日、2歳の子を持つ友人がこんなことを言っていました。

「二人目もほしいなと思うけど、最近やっと元の私に戻ってきたところなんだよね。今二人目を産むと、またしばらく別人のような私になるんだなと思うと心配で......」

詳しく聞いてみると、彼女はどうやら自身の精神状態のことを気にかけていることが分かりました。

子どもを産んですぐ、なんとかこの子を守らねばという一心で世の中を見渡してみると、そこら中が敵だらけ、危険だらけに見えて、過剰にトゲトゲしたり、そうかと思えば、急に心細くなって泣いたり。

彼女が言う"別人のような私"ってどうやらそういうことのようで、考えてみれば確かにそういう時期、私にもありました。

しかも、ある日を境に突然そうなったり、そうでなくなったりするわけではなくて、ホルモンバランスの働きもあいまって日々じわじわと、グラデーションで変化していくので、渦中にいる間は自分がいつもと違う自分になっているということには気づきもしなかったのですが。

今から約12年前のこと。私は家族とレストランで食事をしていました。

紫原明子さん提供

すると、何かの拍子でまだ赤ちゃんだった娘が泣き出しました。そんなに長い間泣いていたというわけでもないと思うんですが、ふいに男の人の、大きな怒鳴り声が店内に響きました。

「うるさい人は出て行ってください」

少し間をおいて、それが私達に向けられたものであると気付いて、固まりました。

いつも、なるべく人様に迷惑をかけないようにと気をつけていたつもりだったんですが、そのときは大型商業施設の中にあるファミリー向けの店であったことや、もともと割と賑やかな店だったこともあって、"これくらいは大丈夫だろう"と判断していたんです。

私はすぐに娘を抱いて、その人のところに謝りに行きました。

その後、お店の方の配慮で私達家族を個室に移してくださったのですが、折しもその頃の私は産後の特別な精神状態で、いつもと別人のようになっていた時期だったこともあって、しばらくの間、涙が止まりませんでした。

適切に対処できなかった自分のふがいなさ。そして、それによって我が子が、社会の一角から"歓迎されない人間"になってしまうというショックが、後々ずっと、心の中に残り続けました。

のちにウェブメディア、ウーマンエキサイトとともに製作したWEラブ赤ちゃんプロジェクト「泣いてもいいよ」ステッカーは、まさにこのときの体験がきっかけとなり誕生しました。

「泣いてもいいよ」ステッカーが出来るまで

HUFFPOST JAPAN / Kaori Sasagawa
「泣いてもいいよ」ステッカー

2015年の秋頃。私が近所の喫茶店でパソコンを広げて仕事をしていると、ふいに店内に赤ちゃんの泣き声が響きました。向かいの席の女性のすぐ脇に置かれたベビーカーの中で、それまでおとなしく眠っていた赤ちゃんが、目を覚ましたようでした。

お母さんと思われる女性は、すぐに赤ちゃんを抱き上げて、なんとか泣き止ませようとあやすのですが、赤ちゃんは一向に泣き止みません。お母さんの必死な表情を見て、そのとき既に中学生と小学生になっていた自分の子どもたちの、まだ、赤ちゃんだった頃のことを思い出し、切なくなりました。

焦らなくていいですよと、なんとか伝えたかったけれど、あまりジロジロ見ていると、逆に「うるさい」の意思表示と誤解されてしまうかもしれない。そんなことを思って、結局声をかけることができず......。

ステッカーがあるといいな、と思ったのはそのときでした。

目の前に広げているラップトップパソコンの側面、あるいはスマホの裏なんかに、大丈夫ですよ、という意志を伝えることのできるステッカーを貼っていれば、公共の場で赤ちゃんが泣き出したときにも、親御さんはもっと安心して対応できるんじゃないかと思ったのです。

そこで当時、ちょうど連載の話をいただいていたウェブメディア、ウーマンエキサイトさんに、Facebookの投稿を通じて、一緒にこんなステッカーを作りませんか? と呼びかけました。すると、なんとその日のうちに快諾していただき、実現に向けて走り出したのです。

30名の応募者プレゼントに900件超の応募

HUFFPOST JAPAN
ハフポストのエディターのPCにも「泣いてもいいよ」ステッカーが貼られている

ついにステッカーが完成し、発表となったのは、2016年5月5日の子どもの日でした。「泣いてもいいよ WEラブ赤ちゃんプロジェクト」というメッセージに併せて、イラストレーターの栗生ゑゐこさんが、可愛いイラストを描き下ろしてくださいました。

制作意図とともに、ウーマンエキサイトのサイト上で、応募者30名へのプレゼントを発表。すると、結果としてなんと900を超える応募をいただいたのです。

中には、企業や飲食店、NPOの方などから、うちに置かせてください、という声も少なからずありました。そこでウーマンエキサイトさんがさらに頑張ってくださり、同年10月には、WEラブ赤ちゃんプロジェクトの特設サイトが誕生。企業に向けた賛同受付窓口を設けると同時に、このプロジェクトに賛同してくれる人の数と、また賛同してくれた人達から寄せられたメッセージが"可視化"されるようになりました。

ありがたいことに、それから現在までの2年半という月日の中で、「泣いてもいいよ」ステッカーは、ウーマンエキサイトの皆さんによって、とても大きなプロジェクトに育てていただきました。

現在では国内で約10万枚が刷られ、全国のユザワヤさんの店頭を始め、200を超える企業・自治体を通じて配布していただいています。また、2017年1月には、自治体として初めて三重県がこのプロジェクトに賛同を表明、これを皮切りに今や14県5市区町も賛同してくださっています。

自治体の正式なオファーとは別に、北海道旭川の高校生が「私達の地域でも"泣いてもいいよ"ステッカーを配りたいんです」と、私のFacebookメッセージ経由で連絡をくれ、駅前での意識調査やポスター作り、ステッカーの配布などを、すべて子どもたちで企画・実行してくれたこともありました。

子どもたちがこのステッカーの必要性を感じ、動いてくれたことは本当に嬉しいことですが、同時に大人として、こんなステッカーが必要とされる社会を子どもたちに託してしまうことには内心、不甲斐なさや、申し訳なさを感じもしました。

プロジェクトの趣旨はポジティブな意志の「可視化」

紫原明子さん提供
遊ぶきょうだい

「泣いてもいいよ」ステッカーは、決して「赤ちゃんの泣き声に寛容になろう」と、社会に呼びかけるキャンペーンではありません。

そうではなくて、公共の場で、赤ちゃんが泣いても大丈夫ですよ、親御さん焦らなくていいですよ、という気持ちをもともと持っている人が、その気持ちをただ見えるようにするためのものです。

特にインターネットの中では、こと子育てに関する話題は本当によく炎上します。電車の中での赤ちゃんの泣き声問題、ベビーカー問題。よく炎上するというのはPVが取れるということでもあるので、わざと対立構造を煽るような書き方がなされる場合も少なくありません。

そうすると自ずと、誰かの見かけた非常識な親子の姿や、誰かの見かけた可哀想な親子の姿といった、ネガティブな情報ばかりが日々、次々とシェアされることになります。

最初の方でお話したように、特に産後間もない母親は、ともすれば普段以上に不安定で、疑心暗鬼な精神状態におかれている場合もあります。ここに輪をかけて、育児に関するネガティブな情報ばかり取ってしまうと自ずと、社会は全然信用できない、恐ろしいところのような印象を抱いてしまうでしょう。

そんな状況にあっては、親御さんは、子育てに関する不安や悩みやトラブルを、誰にも相談できずに、家の中に抱え込んでしまうかもしれません。家の中で大人が無理をすると、最終的にその煽りを食うのは他ならぬ、最も立場の弱い子どもです。

子育てってとても大変なので、本当は親だけでなく、たくさんの大人の手が必要です(なんでも、人間の長い歴史の中でも、今のように両親だけが子どもの面倒をみるようになったのは、つい最近のことだそうです)。

子どもの安全を守るためにも、親御さんが困ったときや苦しいときに、安心して家族の外に相談できるようでなければなりません。そしてそのためにもまずは、ネガティブな情報に負けずに、社会がある程度信頼に足る、あたたかいものであることを地道に見える化していくことが、何より大事なことではないかと私は思うのです。

泣かせっぱなしになるのではないか?

紫原明子さん提供
手をつなぐきょうだい

このステッカーが広まっていく中で、時折「泣かせっぱなしでいいと誤解する非常識な親が増えるのではないか」という声が上がることがあります。またネットの情報に多く触れる方の中には実際、非常識な親が増えているという印象を抱いている人もいるかもしれません。

もちろん、ある程度分別のつく年齢となった子どもには、親の側が、時と場所をわきまえた振る舞いをすることを教えていかなければなりません。ただ、まだ小さい赤ちゃんであれば、こちらがどんなになだめても、全然泣き止んでくれないことはよくあるのです(私は子どもを産む前、赤ちゃんはオムツを替えてお腹がいっぱいになれば泣かないものだと思っていました)。

また、親の焦りを察して余計に不安になって泣いてしまう敏感な赤ちゃんもいます。さらには、一見、ある程度言って聞かせることが可能そうに見える年齢の子でも、実は発達障害を抱えていたりすると、泣いているときの他人の接触が新たな刺激となり、余計に混乱して泣いてしまう場合もあるそうです。

そういうとき、親御さんは、早く泣き止ませるためにこそ静観するしかない、という状況に置かれてしまい、はたから見ればそれだって泣き止ませようとしない"非常識な親"に見えてしまうのです。

親側の都合ばかりを列挙してしまいましたが、当然、公共の場でよその赤ちゃんの泣き声を受け止める側の人にもまた、千差万別のさまざまな事情があります。

そういったお互いの事情を全く想像することなく、簡単に常識、非常識とジャッジし合うことが、果たして本当に良いことなのかどうかについては、一度みんなで検討する必要があるのではないかと私は思います。

なぜなら、それをよしとするということは、自分もまた、いつあらゆる事情を無視して、乱暴にジャッジされる側に回るかもしれないリスクを負うことに等しいからです。

私達は、これから赤ちゃんになることはなくても、年齢とともに、体が思うように動かなくなるということは当然起こり得るのです。自分だけがずっと、誰かをジャッジする強者の側でいられるなんていう保証はどこにもないのです。

ですから、同じ空間にいる他者をジャッジするのでなく、相手の立場に少しだけ思いを馳せ、なるべく受け入れるように務めること、そういう空気を醸成しようと務めることが、"情けは人の為ならず"ではないけれども、ゆくゆくは弱った自分自身をも救ってくれるのではないか。

さらには、結果として多くの人にとって、本当に安心できる、居心地の良い場所を築けるのではないかと、私は思うのです。

「うるさくないですよ」と言うと涙を流した母親

最後に、現在約3万7000名の賛同をいただいているWEラブ赤ちゃんプロジェクト、サイト上にお寄せいただいたコメントをひとつ、ご紹介します。

「先日ファミリーレストランで泣いている赤ちゃんに対してうるさいと言って出ていった老人がいたので、母親にうるさくないですよって慰めたら涙を流されてました。ラブかどうかはわかりませんし日本語もうまくないかもしれませんが、こういう言葉は大事なのだと思ったので書かせてもらいました。」(10代/男性)※原文ママ

思いがけずあたたかい言葉をかけてもらえるだけで涙を流してしまうほど、孤軍奮闘の育児を頑張っている親御さんが、今の世の中には決して少なくありません。

もし「泣いてもいいよ」ステッカーを街で見かけることがあれば、見ず知らずのどこかの親子のためにぜひ、あたたかい社会の可視化にご協力いただけると嬉しいです。

親も、子どもも、ひとりの人間。

100人いたら100通りの子育てがあり、正解はありません。

初めての子育てで不安。子どもの教育はどうしよう。

つい眉間にしわを寄せながら、慌ただしく世話してしまう。

そんな声もよく聞こえてきます。

親が安心して子育てできて、子どもの時間を大切にする地域や社会にーー。

ハッシュタグ #子どものじかん で、みなさんの声を聞かせてください。