こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。
12月は政局の季節です。来年には国政選挙があることもあり、
色々な選挙戦略・党利党略が聞こえてきます。
その中でどうしても、私がスッと許容できないのが、
「有権者なんて、どうせそこまで見ていない」
「選挙のためには、○○という風に見せておけば良いんだ」
といった類の意見です。
もちろん、軽減税率が世論調査で7割近くの支持を受けているなど、
国民の刹那的な判断に対して疑義を唱えたいことは沢山あります。ホント。
それでもね、われわれ政治家が、
有権者を突き放すよう結論は出してはいけないと思うのです。
私がいま議員という立場であり、一定の行動が許可されているのは、
1万人以上の方に「おときた駿」と名前を書いてもらい、
議会に送り出してもらったからに他なりません。
この敢然とした事実を時として、
政治家・議員は忘れがちなのだと思います。
いったい、どこの誰が、自分自身に力を与えてくれるのでしょうか。
政策も理念もわからない、ただ単に「顔を知ってる」から入れてくれる...
そんな有権者たちによって自分の立場があるのならば、
それはとても虚しいことではないでしょうか。
まだ議員ではない新人ならまだしも、
すでに現職の議員だったら、その責任はなおさら重大です。
「国民はわかってくれない」
と嘆くくらいであれば、何よりも
自分たちの情報発信力の弱さを悔やむべきです。
仮に有権者たちが誤った決断を下すのだとすれば、
ただ「知らない」からなのだからと、啓蒙に力を注ぐべきです。
「選挙に受かった後に、××すれば良い」
という考え方も同様にまた、納得することができません。
国民が政治家に対して明確に判断を下せる機会は選挙だけであり、
これではその場だけを乗り切った後、欺くことになるからです。
■
私自身が政治家として、政治の嫌な側面を死ぬほど見てきて、
ドブ板ばかりをする大物議員たちが絶大な権力を振るう現状に
希望を捨てそうになったことは多々あります。
それでも、諦めたくないんです。
有権者を、自分を選んでくれる人々を諦めたら、
いったいなにが政治なんでしょうか。
民主主義を選んだ意味って一体、何なんでしょうか。
だからこそ私は、愚直に情報発信を続けているのかもしれません。
すべての人が十分な知識を共有した上で、適切な判断を下していくこと。
道のりは遥か遠くても、それがきっと理想の政治のあり方だから。
政策・理念・信条...
われわれ政治の世界で、「一票にもならない」と言われている部分こそに、
何らかの核心があるし、そうであって欲しい。
たぶんアホでどうしようもないと思うんですが、
私はそんな風に思っています。
年末なのでね。脈絡もなくこんな話しを書きたくなりました。
それでは、また明日。
(2016年1月1日「おときた駿ブログ」より転載)
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