エレベーター8割 新基準の安全装置なし 施行令改正から7年 国交省庁舎も設置せず 既存設備には義務なく 事故遺族は批判

「息子の事故だけの問題ではなくて、みんなが使うエレベーターの安全の問題なんです」(市川正子さん)

写真は2006年6月に戸開走行事故が起きた事故現場で。事故を起こしたエレベーターは現在、既に交換されている=東京都港区 2016年1月撮影

取材・執筆・撮影 : 木下翔太郎

国内の8割以上のエレベーターで、ブレーキを二重にするなどして、1つのブレーキが故障した際に扉が開いたまま動くことを防ぐ新基準の安全装置(戸開走行保護装置)が設置されていない。国土交通省は「安全装置が設置されたエレベーターは、国内にある約70万台のエレベーターの2割未満で、10数万台程度だ」と話す。

その国土交通省の庁舎エレベーターにも同装置は2016年1月現在、設置されていない。新基準の安全装置は、2009年9月の建築基準法施行令の改正によって設置が義務付けられたが、施行令の改正前に設置されたエレベーターは義務化の対象外となっているためだ。既存のエレベーターの安全性は改善されないままで、エレベーター事故の遺族から批判が出ている。

戸開走行事故のエレベーター、いずれも施行令改正以前の設置

エレベーターの扉が開いたまま、かごが急上昇する「戸開走行」による事故は、2015年に入り東京都と大阪府などでそれぞれ報告されている。死亡事故も2012年10月に金沢市のアパホテルで発生しており、清掃会社従業員の女性(当時63歳)が扉が開いたまま急上昇したエレベーターに挟まれて亡くなった。事故が起きたエレベーターは建築基準法施行令の改正施行以前の1998年に設置されていたため、新基準の安全装置は設置義務付けの対象外で、設置されていなかった。

他にも2010年 11月に東京大学柏キャンパスで1名が怪我をした事故などの戸開走行事故が国土交通省に報告されている。これらのエレベーターも改正施行以前に設置され、新基準の安全装置は未設置だった。国土交通省の建築指導課は「安全装置が設置されていれば2012年に金沢で起きた戸開走行による死亡事故は防げたのではないか」と話す。

約70万台のエレベーターが設置義務化の対象外に

新基準の安全装置の設置を定める建築基準法施行令は、2006年6月に東京都港区で市川大輔(ひろすけ)さん(当時16歳)が扉が開いたまま急上昇したエレベーターに挟まれて死亡した戸開走行事故を受けて、2008年9月に改正され翌年9月に施行された。新基準安全装置の設置が義務化されたが、2009年9月以前に設置された既設エレベーターは、義務化の対象外になった。その数は約70万台にのぼるとみられ、その既設エレベーターの安全をどうするのかという対策は具体的に進んでいない。

都内6区、新基準の安全装置のエレベーターは5~15%程度

学生記者は東京23区にあるエレベーターの新基準安全装置の設置状況について調査を行った。その結果、取材に対して6区(千代田区・中央区・新宿区・杉並区・板橋区・練馬区)は、新基準の安全装置を設置しているエレベーターが2015年1月時点で5~15%程度であることを明らかにした。

特に義務化の対象外となった既設のエレベーターでは、新基準の安全装置が設置されているエレベーターは各区でそれぞれ数十台にとどまっている。他の区は「区として数の検証に時間がかかり責任を持てないため、公表できない」(港区建築課)などの理由から回答しなかったが、東京都昇降機安全協議会は「(数字を明らかにしなかった)他の区でも、新基準の安全装置の設置率は同じ程度。2009年9月以前に設置された既設のエレベーターについても、新基準の安全装置が設置されたエレベーターはそれぞれの区で数十台程度に留まっている」と話す。

「みんなが使うエレベーターの安全の問題」

「息子の事故だけの問題ではなくて、みんなが使うエレベーターの安全の問題なんです」

市川正子さん(64)は2006年6月の事故で息子の大輔さんを失って以来、その思いを胸に、事故の徹底した事故原因究明とすべてのエレベーターへの新基準安全装置の設置義務化を訴え続けている。

正子さんは、事故後、パニック障害に陥り、エレベーターを利用できなくなった。外出の際は、自宅があるマンションの12階から1階までの264段の階段を昇り降りする。その数は1年間で約19万段にのぼり、2014年12月には180万台を超えた。

「信じていたんですよ。安全だって。人の命を奪うなんてありえないですよ。だれが安全の責任を持っていたんですか。」家族の命を奪ったエレベーターに不信を抱く一方で、事故の再発防止を願い、安全対策の強化を訴え続けてきた。

「エレベーターは命を預けて移動する乗り物で、日常のあらゆるところに設置されています。安全装置が設置されていようとなかろうと使わざるをえないんです。義務化の対象外となっているエレベーターは法律の隙間。安全を考えるうえで命に区別をつけないで、全てのエレベーターを安全に利用できるように設置を進めてもらいたい。事故の再発防止に向けて、安全装置をつけるハードルを下げるために行政が先頭に立って取り組んでほしい」と話す。

補助制度、十分に機能せず

既設のエレベーターに新基準の安全装置の設置が進まない背景には、法的義務がないほか、設置に数百万円程度の高額の費用がかかる費用の問題や、設置に1~2週間程度かかるためその間に利用者がエレベーターを利用できない期間の問題がある。

現在、国による費用の支援策として、市区町村が補助制度を設けた場合に、国とその市区町村が改修費の一部をエレベーターの所有者に補助する制度が設けられている。国土交通省は「支援の枠組みとして門戸は開いており、多くの地方公共団体に活用してほしい」と話すが、2015年度に東京23区内で補助制度を設けているのは新宿区、千代田区、墨田区の3区のみだった。3区に加え、2016年度から新たに港区が補助制度を設けるが、他の区は補助制度を設けるかは未定(2016年3月時点)だという。

「事故が起きてからでは間に合わない」

正子さんは「事故が起きてから、人の命を奪ってからつけるのでは意味がないんです。安全対策は起きる前にやるべきことで、それにはお金もかかる。命とどっちが大事なの?って私は思うんです。だって家族がそうなったら嫌でしょ。なんでつけなかったのってなるでしょ」と話す。

大輔さんの事故から9年半が過ぎた。安全対策の責任を問う刑事裁判は現在も続いている。裁判では、エレベーターの製造会社と保守点検会社との間で点検マニュアルが共有されておらず、不具合情報の引継ぎも行われていなかったことが明らかになった。

正子さんは、「安全装置の設置に加え、保守・点検がきちんと行われ、製造会社と保守点検会社がエレベーターに関する情報を共有し、協力しない限り安全はない。失った(大輔くんの)命をエレベーターの安全対策に活かすことが、息子が私に残した宿題だと思っています」と、事故の教訓を活かす取り組みを国に求めている。

この記事は2014ー2015年度の秋学期実習授業「調査報道」における取材をもとに作成しました。

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