我が家の長男、こもたろが自閉症とわかったとき、療育園へ通うようになり、家庭でも療育を出来る限りやるよう心がけました。療育園で行われていることを家でも実践したり、当時3歳半まで、言語取得が全くなかったこもたろに何とか物事を伝えようと、イラストやジェスチャーで視覚的に訴えたり。この頃は本当に、こもたろに対して療育一本の生活でした。
こもたろが何か納得がいかないことがあると気持ちを代弁し、私に対する他害(噛みつき、ひっかき)も、彼が落ち着くならとひたすら耐える日々でした。こだわりには「それでこもたろが落ち着くなら」と、彼の特殊な行動に何時間でも付き合いました。
とにかく、こもたろがこの世の中を少しでも安心して過ごせるように、母である私との心のつながりをより強いものにできるように、そればかり考えていました。
こもたろは3歳半を過ぎたあたりから、少しずつ言葉が出てきました。その後の言語取得は、ゆっくりとですが少しずつ伸びていき、その成長過程で、ある程度のことなら言葉で伝えられるようになりましたし、自分以外の人の気持ちというものも、少しですがわかってきているように見受けられました。
こもたろの成長につれ、ひとつ悩んだことがあります。
それは、療育と躾の狭間。
療育だからと、このままでいいのだろうか。これは、単なるわがままに繋がってしまうのではないか。
この子たちは、本当にこの辺りの見極めが難しいところがあって、融通が効かない部分がわがままと捉えられてしまったり、こだわりが自己中心的だなんて思われたりします。
本人にしたら、それはそれは心からつらいところであり、日々闘っている部分ではあるのですが。先に書いたように、こもたろはだいぶ成長しています。以前はやっていいことと悪いことが理解できず、それでも無理やり理解させるのは酷なので、私が耐えて受け止めるようにしていました。例えで言うと、先に書いた噛み付きやひっかきですが。
日々の生活でわかることが増えてきて、物事もある程度理解できるようになってきたので、噛み付いてきた後、こもたろが落ち着いてから言うようにしました。「お母さんはココを噛まれて痛かった。悲しかった。えーん、悲しい。」
――すると、こもたろは噛まれた跡を触りながら「いたい?」と聞いてきます。
相手の気持ちというものも、少しずつですが理解できるようになってきた感があるので、
これはやっていいことなのか、本当はやってはいけないことなのか。こもたろに考えてもらうようにしました。
そしてもうひとつ。
これまでの生活では、まずは色んなことに関わり触れさせようという思いがあり経験させていました。ただその中でもルールというものが存在します。我が家には電子ピアノが置いてあるのですが、こもたろはそのピアノを弾いて遊ぶのが大好き。気分がのると、音量を最大にまで上げて弾こうとします。最大にすると、とにかくうるさい。ただの騒音です。そこで約束します。音量メモリに印をつけ「ここより大きい音はバツ。うるさいはしません」。でも好奇心からまた最大にしてしまう、こもたろ。約束を守れなかったので電源を落とし「おしまい」にします。
こうして「これはやってはいけないことなんだ」と理解させる。"やってはいけないことをしてしまったら"強制終了される。"やってはいけないことをやらなかったら"そのことを大いに褒める。これを根気よくくり返し行う。妥協すると混乱するので、こうと決めたら徹底的に行います。こうやってこもたろに教えるようにしています。
今までは療育に重みを置いてきた、こもたろの育児。小学校に上がって、療育と躾、このバランスに日々奮闘しながら、何とかやっているところです。
~続く。
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