85年、私はアナウンサーになった。 セクハラ発言「乗り越えてきた」世代が感じる責任

男女雇用機会均等法。1985年、成立。
2017年6月、ホワイトハウスにて
2017年6月、ホワイトハウスにて
Tomoko Nagano

世界的な潮流に比べて、日本では大きなムーブメントにつながるほどの関心事として捉えられてこなかった#MeTooが一気に噴出した。

告発されたのが日本の官僚トップ中のトップ、財務省の福田淳一事務次官であり、なにより告発したのがテレビ局の女性記者という「伝える側」のド真ん中であることから、日本メディアもようやく目が覚めたかのように議論をし始め、SNSでも多くの女性が自分の体験を語り始めている。

「セクハラに対する認識が甘いのでは」という記者の質問に、「...今の時代というのはそういう感じなのかなと」と福田事務次官が答えるのを聞いて暗澹たる気分になった。

昔は平気だったと言いたいのか。こういう男性を増長させたのは我々世代の女性なのかと。

AFP=時事通信

私は今回訴えた側のテレビ局で働いてきたが、色々なところで語られているように、テレビ局も決して褒められた環境ではなかった。

「顔色悪いね。彼氏とお泊り?」

「腰掛けだと言って、3,4年で辞める女くらいがかわいいよね」

「30歳ってもう終了じゃん」

アナウンサーという職業柄、容姿について言われるのはある程度仕方がないこととはいえ、ここには書けないよう言葉も日常的に飛び交っていた時代である。

しかし、当時の私たちはそういった環境を変えるというよりは、むしろ「なにくそ」と乗り越えて闘い続けることがデフォルトだった。「あのおじさん、ほんとしょうがないよね」と女同士で愚痴を言いながら。

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80年代「男女雇用機会均等法」が成立した年に入社した私たちは、「男性なみに徹夜も大丈夫?」「会社の泊りもいい?」と事あるごとに聞かれた記憶がある。

そのたびに私たちは「大丈夫です」「男性と同じに扱ってください」と、とにかく男性と同じ環境で仕事をさせてもらうことに必死だった。

「なんなら飲み会もガンガン行きます」

「別に下ネタだってOKです」

職場以外でもそうした姿勢を貫くことが「正しい」と思っていたし、「だから女は」と言われないよう細心の注意を払っていた。

新人の女性記者がトイレのない現場の徹夜取材で「女はめんどう」だと言われたくないから我慢をし、膀胱炎を患うことも珍しくなかった。

そして、そういう女性こそが「仕事ができる」と評価され、ついていけないと感じる優秀な女性の何人かは辞めていった。

「もっと大切なことがある」「成し遂げるべき正義がある」

官僚ならば「国益」、メディアならば「スクープ」、志高く言葉を掲げる組織であればあるほど、足元の「人権」や「尊厳」が後回しになってしまってはいなかったか。

加害者は軽い気持ちで投げかけた言葉であっても、受け取る女性側は存在を否定されたような気持ちになる。

自分はこんなこと言われる程度の人間なのだ、認められていないのだと屈辱的な気持ちにさいなまれる。

「セクハラ」によって与えられる、とてつもなく屈辱的で、相手のみならず自分にも嫌悪を抱き、自らを責めてしまう思いを、加害者は想像することすら難しいのかもしれない。

同じようにそうした経験があるにも関わらず、気にしていては仕事にならないと必死に踏みとどまって、受け流していた「昔の女性」を福田氏が「今の時代」と比べているのだとしたら、その責任の一端は我々世代の女性にもあるのかと思うといたたまれなくなる。

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これまで足元の「セクハラ」問題について比較的関心の薄かった日本のメディアは、今回の件をめぐり大きな転換期を迎えたと信じたい。

テレビ朝日は女性記者が上司に「セクハラ」を訴えた時点での対応を誤った。その結果、記者が週刊誌に告発するまでに追い詰められたことは本当に残念である。

一方で、その反省も含めて記者会見で公表し(自局で中継をすべきであったと思うが)、財務省にテレビ局として抗議文を送ったことについては、長くテレビの世界で働いてきた私自身、大きな変化を実感している。

伝える側が変わらなければ、社会は変わらない。

将来振り返ったときに、今回の件がターニングポイントだったと思えるよう、自分自身テレビにかかわる者として努力をしなければならないと感じている。

そして、くれぐれも「現場に女性を出さないように」といった安易な対応が取られないことを祈るばかりである。

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