インターネット上では、以下のような論法をみかけることがある。
「あの人は精神科に通院しているから」
「あの人はメンヘルだから」
その言わんとしているところは、精神科や心療内科に通院しているから、格別の配慮をすべきだとか、コミュニケーションに注意を払いなさい、といったところだろうか。
こうした「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」を私が耳にする機会が多いのは、私が精神科医なブロガーだからかもしれない。
しかし私はこの論法が受け入れられない。
だとしたら、精神科や心療内科に通院しているアカウントを見つけたらただそれだけで格別の配慮をし、コミュニケーションに注意を払え、ということだろうか?それでは対等なコミュニケーションなど望むべくもないのではないか?
診察室という場面で、主治医と患者さん、あるいは当直医と患者さんといった治療者-患者関係が規定されている場面ではこの限りではない。治療者-患者関係という文脈を踏まえて、初診の段階からなんらかの配慮はあって然るべきだろう。そして診断名やカルテ内容に沿ったかたちで最適な配慮を試みるのが、ドクターとして期待される態度だと思う。
だが、インターネットという、ブロガーとブロガー・アカウントとアカウントがフラットな状況のなかで、やれ、精神科に通院している・抗うつ薬を飲んでいるというだけで、「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」とコミュニケーションのプロトコルを決めてしまうのは、個人その人よりも病名をみて人間を判断しているって事に他ならないのではないか。
私は精神科医だ。その私が、もし「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」的発想に基づいてコミュニケーションの平等性を捨ててかかったら、私は精神科に通院しているブロガーや抗うつ薬を飲んでいるブロガーと、フラットなコミュニケーションを諦めなければならない。診察室でもないのに治療者-患者関係に類するような構図を取るのは、私にとって負担であるだけでなく、相手にとっても失礼な話ではないのか。
私は、インターネットというフラットな状況のなかで「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」的な予断に基づいて行動するのは、スティグマに基づいた裏返しの差別ではないかと考えている。少なくとも、そうしたスティグマを裏返しの恰好で後押しする危険は潜んでいると思う。私はそんな事には加担したくないし、この二十年近くの間、精神科や心療内科に通院している数多のアカウントと対等な議論を行い、相応のよしみを結んできたつもりである。いや、精神科医をやっているからこそ、インターネット上の私は「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルなんだから」的なスティグマに基づく予断によってコミュニケーションの帯域を狭めたくはない。
もし、インターネット上で、「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」的予断に基づいてコミュニケーションを決め打ちするとしたら、それは、オフラインの世界で「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルなんだから」的予断に基づいてコミュニケーションを決め打ちしてしまうのと、どこが違うというのか? もし私がそんな事をしていたら、私の知己のリストは寂しいものになってしまうだろう。
これまで私は、精神科や心療内科に通院している多くの人とネットコミュニケーションしてきたし、その際、病名に基づいた特段の配慮や遠慮をしたつもりはない。それで良かったと思っている。ちなみに過去には、レアケースながら、コミュニケーションの進展に伴い治療者-患者関係的な依頼を引き受けてしまった人もいた*1が、残念ながら、そのような色彩を帯びてしまった人間関係はあまりうまくいかなかった。だから尚更、私はインターネット上で治療者-患者関係的なコミュニケーションの傾斜を望まない。それは診察室で行うべき行為で、ネットコミュニケーションの場面でやるべき行為ではない、と固く決めている。
だから当然だが、私は「あなたは○○病だから」と"ネット診断"をしたことが無い。私は承認欲求やナルシシズムといった、あらゆる人間に備わっている心理学的因子には格別の注意を払い、言及を繰り返してきたし、これからもそうだろう。だが、統合失調症や双極性障害やASDをネット上で診断するなんて、そんな大それたことをしたことは無いし、これからもする予定は無い。
診断名を言い渡すべきは、診察室という場面で治療行為を行っている医師であり、そうでない場所でそうでない人間がやって良いことではない。だから例えば、マスメディア上で特定の政治家に精神疾患名をあてがう香山リカさんの言動は悪いものだと私は思っている。業界の大先輩を批判するのは気が引けるが、あれは精神科医としての仁義に反しているのではないか?と思わざるを得ない。少なくとも、ブロガーとしての私の仁義の基準とメディア人としての香山リカさんの仁義の基準の間には、大きな違いがあるとみえる。
【問うべきは、精神科通院の有無や疾患名ではなく、その人の言動そのもの】
そうした「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」的なスティグマを排除したうえで、私は個別のブロガーやアカウントの言動を個別のものとして評価する。ろくでもない人とはお近づきにならないようにしたいと願い、友誼を結びたいと思う人とは友誼を結ぼうとする。批判したければ批判するし、賞賛したければ賞賛する。
精神科や心療内科に通院していても付き合うに値する人は付き合うに値する人だし、付き合うに値しない人は付き合うには値しない。また、通院していない人でも付き合うに値しない人とは付き合わないし、付き合うに値する人とは付き合う。そして言動や行為が道理から外れていたり、批判に値するものだったり、違和感を覚えるものだったりすれば、精神科通院の有無とは無関係に、私はこれを批判したり嫌悪したりするだろう。これまでもそうしてきたつもりだ。
ちなみに、これまで未経験だが、もし反対に「私は○○病だから、特段の配慮をしてください」と常日頃から要求し、プロフィールにも大書している人がいたとしたら......私は個人的よしみとして配慮することはあるかもしれないが、その要求に従うかどうかは最終的には自分で決めるだろう。そしてもし、言動や行為が道理から外れている場合には、「○○病」だから人の道を外れて良い・誹謗中傷を許して構わないといった考えには与さない。病気が関与していようがいまいが、悪しき行為は悪しき行為であり、良き行為は良き行為に相違ないからだ*2。私は病気だからという理由で人を見下したいとは思わないが、病気だからという理由で人を持ち上げるつもりも無い。精神疾患の有無や病名は、その人が実際どうでありその人をどう評価するかとは別個の命題である。
【ご批判や違和感のある人もいるでしょう。でもこれが私の基準です】
以上、(精神科医である)私のブロガーとしての行動基準、仁義の基準を述べた。私は、市井のネットユーザーとしてこれが人間関係のあるべき姿であり、精神疾患に基づいた先入観を介在させる余地はできるだけ少なくするのが望ましい、と考えている。私はインターネット上で誰かの主治医や当直医をやりたいのではない。人間でいたいのだ。ブロガーとして生き、ブロガーとしてコミュニケートしたいのだ。
もちろんこれには批判的な精神科医もいるかもしれず、批判とまではいかないにしても、個々の精神科医が想定するネットコミュニケーションの仁義には一定のバラつきはあるだろう。「私にとっての当たり前は、誰かにとっての当たり前ではない」「私にとっての良き態度は、誰かにとっての良く無い態度」というのは、オンラインでもオフラインでもよくあることではある。「なかにはおまえは人間をやめろ、インターネットの人もやめろ」という声もあるかもしれないが、私は私なので、私をやめるつもりはない。
*1:もちろん、そういった一部始終はネットで公開したことはない
*2:ちなみに私は、措置診察で措置入院が決定されるような例外的場面ですら、"「○○病」だから人の道を外れて良い"という態度は絶対にとらないことにしている。もし「○○病」で人の道を外れた行為があったというのならば、それこそ、そのような事態を繰り返さないためにも措置入院の決定は重く、きちんとした治療が要請されるわけだし、そのように患者さんに伝えるべきではないか。病の善悪を考えるのはナンセンスだが、だとしても、行為の善悪はきちんと検証・評価すべきだというのが私の立場である。
(2015年10月23日「シロクマの屑籠」より転載)