サントリーは今や、世界のウイスキー界をリードするブランドのひとつ。今回、サントリーの名誉チーフブレンダーである輿水精一さんとお会いする機会があり、世界一に辿り着くまでの長き紆余曲折を伺ってきました。
■コスト度外視・非効率な製法への方向転換
2003年、世界的な酒類コンペティション「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」にて、「山崎」の12年が日本のウイスキーとして初めて金賞を獲得しました。この栄光の裏には、長きに渡る試行錯誤の連続があったと言います。
ウイスキーは何か新しい取り組みを行ったとしても、それが最終的に製品の性質に反映されるまでにはタイムラグがあり、「山崎」の12年の原液がつくられたのも1991年。準備期間を含めると、時計の針はさらに遡ります。
ウイスキーをはじめ、お酒づくりで最も大切な工程は発酵です。発酵させる際には、雑菌の混入を避け、微生物を活性化させるためにステンレスが使われるケースがほとんど。しかしサントリーは1987年から1988年にかけて、敢えて昔ながらの木桶で発酵を行うようになります。
本場のスコッチウイスキーでさえも木桶からステンレスに移行していく中で時代を逆行した理由は、木の保温効果によって発酵が進みやすくなること、そして昔ながらの伝統的な製法の方が香りや味に深みを与えられるのではないかという感覚が拠り所にありました。
木桶に戻すことでコストは嵩張り、効率も悪くなりますが、それでもサントリーは昔ながらの製法へと舵を切ります。
■樹齢400年の木から、自前の樽をつくり出す
原酒を貯蔵する樽は、樽屋や樽メーカーから仕入れるのが一般的ですが、サントリーは「山崎」のためだけに、樽を作る工場を山梨県に開設しました。樽の素材として最適であると判断されたのは、日本だけに生えているミズナラという木。樽に加工するためには最低でも60センチ以上の太さが求められ、60センチに達するまでには最低でも約200年の歳月を要します。
しかも地面からまっすぐ生えていないと樽に加工することが出来ないため、まずは森に入ってじっくりと木を見極めるところからスタートしたそう。加えて、樹齢300年〜400年級のミズナラを求めたように、樽を選ぶ段階から多大な労力がかかっています。
■貯蔵庫での配置場所を肌感覚で変更
熟成の仕方は、貯蔵庫の配置場所によっても大きく変わります。天井近辺や南側だと熟成が早かったり、地面に近いと遅かったり。サントリーでは、ブレンダー自らが貯蔵庫に行って樽をテイスティングし、一つひとつの配置をフレキシブルに変えていると言います。ブレンダーとは、味覚・嗅覚・創造力を兼ね備えた、言わばウイスキーの職人。
ブレンダーたちは何度も現場に足を運ぶことで、言葉では説明することの出来ない肌感覚を養っているそうです。
■今のためではなく、将来のために何をやるべきか
ウイスキーは2007年に底を打つまで、約25年間に渡って不遇の時代を送っていました。市場がどんどんシュリンクし、いつ光明が差すか分からない中で設備投資を続けられたのは、サントリーのオーナーがマスターブレンダーであるという背景が大きく関わっています。
失敗を恐れずに新しいことにチャレンジしよう。やってみないと分からない。そういった職人魂とも呼べるようなカルチャーが連綿と受け継がれているからこそ、トレンドと逆行するようなアクションを起こすことが出来たのでしょう。
輿水さんの話には、今のマーケットに受けるかどうかという判断材料だけでは流行を生み出せないという示唆があります。今のためではなく、将来のためにやるべきことを俯瞰的な視点で捉え、ひたむきにチャレンジし続ける。そんなスタンスを貫いているブランドはそう簡単に揺るがないということが、ウイスキーの一滴に凝縮されているような気がしました。