私自身40年以上にわたってハンセン病制圧のための活動を懸命に続けてきましたが、あるとき重要なことに気づきました。当初、私は病気を治すことばかり考えていたのです。確かに医学的には病気が治れば、そこで終りです。しかし、病気が治っても患者を取り巻く状況は、ほとんど変わらないままにありました。もちろん私は、医者ではありません。ハンセン病の問題を根本から解決するためには、私たちには沢山の課題が残されているのです。
病気の数は、数千とも数万とも言われていますが、社会から、そして家族からも棄てられる病気はハンセン病だけと言っていいかもしれません。しかも病気が治った後も、差別とスティグマ(社会的烙印)の対象であり続けます。ハンセン病から治癒した人々は「回復者」と呼ばれ、私もこの連載ではこの言葉を使ってきました。しかし、風邪や結核、そして癌やマラリヤでも、完治した者が「回復者」などと呼ばれることはありません。
人類学や歴史学によって検証されたわけではありませんが、私は人類の歴史の中で差別が生まれたことにも、ハンセン病が大きくかかわっているのではないかと考えています。ハンセン病は「人間とは何か」という非常に深い問題を問いかけている病気です。地域や文化を超えて、ハンセン病患者を差別する意識は、人々の間に、そうすることがあたかも常識であるかのように、深く染み込んでいます。患者たちの多くも、自身が発症する前は、差別する側に立っていました。そして患者となった後も、「差別されても当然だ」と思い続けてきました。そこに、ハンセン病差別を解消することの難しさがあります。
また、差別の存在により、患者が初期症状を自覚しながら名乗り出ることを怖れ、あるいは患者が家族によって隠され、治療を受けられないままに病状が進み障害が残るケースも少なくありません。病気の制圧にとっても、差別は大きな壁となっているのです。
私たち日本財団の活動はいま、公衆衛生上の病気を制圧するとともに、差別とスティグマを撤廃することを、大きな目標としています。
私はハンセン病の問題について説明するときに、モーターサイクルのメタファー(隠喩)を用いています。発想のもとは、2004年に見たチェ・ゲバラとその友人アルベルト・グラナードが南米を縦断する映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』でした。
モーターサイクルの前輪は病気を治すこと、後輪は社会的差別とスティグマと闘うことを表しています。両方の車輪が動いてこそ、モーターサイクルは走り出します。それでは、このモーターサイクルの乗り手は誰で、どこに向かうのでしょうか?当然のことながら、乗り手はハンセン病と闘うすべての関係者であり、回復者も一緒です。そしてそれが向かう方向は「ハンセン病やそれにまつわる差別のない世界※」です。つまり本当の意味で病いから解放される世界の実現が目標なのです。
※Leprosy-free world:WHO(世界保健機関)のGlobal Leprosy Strategy 2016-2020における目標