友人が大切な人を亡くした時、あなたにできること

大学時代の同級生が夫を肺がんで亡くした。まだ30代という若さで。昨年9月に妻を亡くしたばかりの私は、友人にすぐに連絡した。

大学時代の同級生が夫を肺がんで亡くした。まだ30代という若さで。昨年9月に妻を亡くしたばかりの私は、友人にすぐに連絡した。同じような体験をしている友人は少ないはずだ。私の時は数え切れない友人がそれぞれのやり方で支援の手を差し伸べてくれたが、その中でも、私が一番ありがたかった方法で、この友人に寄り添おうと思った。

友人のフェースブックの投稿で訃報を知った私は、まずメッセージを送った。

「ごめん 全然知らなかった。信じられないけど、何かできることがあったら、いつでも連絡ください」

できるだけ短いメッセージを心がけた。友人が返信ができない精神状態にある可能性があり、その場合、長いメッセージは、返信できないことを逆に心苦しくさせる可能性がある。とりあえず、「いつでも連絡できる人がいるんだよ」というメッセージを送りたかった。

そしたら、友人から「どうもありがとう」とだけ返信がきた。私は「少し落ち着いたら、長男と一緒に遊びに行かせてください」と返した。私の時は、電話をしてくる友人が結構いたけど、当時の私は電話で話せるような状態ではなかった。言葉にならない苦しみや悲しみを味わっているのに、言葉でしかコミュニケーションがとれない電話で話すことは苦痛だった。「少し落ち着いたら」という言葉を入れることで、友人が断りたい場合、できるだけ負担にならないよう配慮もした。

中には「こういう時はそっとしてあげよう」とか「会ってもかける言葉が見つからない」とか「私なんかより、家族や親友といたいだろう」とか思って、会いに行くことに躊躇する人がいるだろう。私の場合はどれも当てはまらなかった。妻を亡くしたという現実から逃避する最良の方法は誰かと一緒にいることだった。主夫だった私は、育児する以外の予定がなく、「明日になれば○○さんが来る」という予定があることが、その日を生き抜く糧になった。

そして、より親密な関係の人と一緒にいたいと思うとは限らない。むしろ、私の場合、家族と一緒にいることがより苦痛なことだってあった。私は今でも情緒不安定で、誰かに「ああしたほうがいい」とか「こうしないほうがいい」とか「なぜ、こうしてくれなかったの」とか言われることに、ものすごく敏感に反応してしまう。心の中で「あなたに妻を亡くした私の気持ちがわかるの?わからないでしょ。それなら、私の言動があなたに直接の悪影響を及ぼしていない限り、自由にさせてください。今は次の日の朝起き上がることで精一杯」と思ってしまう。

そして、私の両親は「ああしたほうがいい」と末っ子の私に言うことが愛情表現だと思っている節があり、実家で一緒にいることが辛いこともあった。(もちろん、家族は死に物狂いで私を助けようとしてくれたし、実際に大きな助けにもなった。それについては感謝してもしきれない)

この友人とは、2016年12月に私の妻のお別れ会で十数年振りの再会を果たしたばかりで、頻繁に連絡を取り合うような仲ではなかった。だから、友人が私と会いたがるかどうかも定かではなかった。

そしたら、友人から「うん、いつでもどうぞ。東京は結構くるの? 電話でも話そうよ。腐れ縁だね」と返事があった。どうやら、私と違って、友人は電話で話すことが大丈夫なようだ。友人が好きな時間に電話できるよう、私は「新潟からなら日帰りで東京に行けるから、都合が良いときに行かせてもらうよ」とボイスメッセージを残した。その日の晩、友人から電話があり、20分ほど近況報告し合った後、3日後に私が遊びに行くことになった。

長男と新幹線に乗って、午後5時ごろ友人宅に到着。まず、友人がドアを開けるなり、私は友人を抱きしめた。日本には友人同士で抱きしめ合う習慣が欧米ほどないけど、私は、妻を亡くした後、欧米の友人たちに抱きしめてもらえることが嬉しかった。たとえ、それが数回しか会ったことのない友人でも、男女問わず、その人の肌のぬくもりに慰められた。「どんな言葉をかけたらいいかわからない」という人もいるが、私は言葉なんて必要なかった。ただ、傍で一緒に時間を過ごしてもらえるだけでよかった。

できるだけ聞き役に徹し、「私の時は○○が辛かった。○○が嬉しかった」などと自分の体験を伝えると、「ああ。わかるー」と友人は共感してくれ、助けに来たはずが、逆に助けられた。友人の実家は東京近郊にあるのだが、私同様、両親といるのは一人でいるよりもしんどいらしく、夫と暮らしていたマンションで、愛犬と日々を過ごしているという。私が長男がいてくれて助かったのと同じように、友人も愛犬のおかげで何とかやっていけているという。

しばらくして「夕飯はどうする?」となった。私は「できたら、どこかレストランでご馳走したいけど」と言ったが、友人は「それなら、材料を買ってもらって、それで私が作るよ。何が食べたい?」と聞いてきた。こんな状況で、ご飯を作らせるなんてとんでもないと思う人もいるかもしれないが、逆に、こういう状況だからこそ、この友人がやりたいようにやってもらうことが一番大事だと思った。

私は「魚のムニエルみたいなやつ」と伝え、一緒に買い物に行こうとしたら、長男が寝始めてしまったため、仕方なく、私がアパートに残り、友人が私のお金を持って買い物にでかけた。

友人は昔から料理が得意だった。「レストランに行って、自分の作るものよりまずい物が出てきたりするとへこむんだよね」と言いながら、ごま油で炒めた油揚げとシラスを乗せたサラダ、ネギトロを薄く切ったヤマイモに乗せたおつまみ、アスパラやズッキーニなどを添えた白身魚のムニエルをささっと作ってくれた。私は「旨い!」と何度も繰り返した。

午後9時ごろ、最終の新幹線に乗るため、私は席を立った。余った料理を近所の友人におすそ分けするため、友人もアパートの外まで出てきた。別れ際に再びハグをした。出会ったときよりも、数倍長いハグだった。

午後11時半ごろ、新潟の家に着くと、友人からメッセージが入っていた。

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今日はきてくれてどうもありがとう

美味しい一時が一緒に過ごせて

とても嬉しかった

そして分かち合うことができる

友人がいることに

心から感謝します。

また近いうちに会いましょう。

本当ほんとうにありがとう

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