女性政治家の進出を阻む一因は「身の危険」

駅に立ち、街頭で演説をすることが怖くなって出馬を取りやめたり、政治家を辞める人がいる。大抵は女性の話しだ。

駅に立ち、街頭で演説をすることが怖くなって出馬を取りやめたり、政治家を辞める人がいる。大抵は女性の話しだ。

毎議会、必ず議会報告で駅に立つ私も、幾度となく身の危険を感じる場面を経験している。警察や家族、後援会からも一人行動を避けることを指導され、徹底している。駅で議会報告を配布していると、突然罵声を浴びせてきたり、脅迫されたり、言葉の暴力は日常茶飯事だ。

彼らは会社や家庭でも同様なのだろうか・・・。

松戸市選出の千葉県議会議員が駅頭活動をしている時、事件は起きた。報道や本人のSNSによると、ガラの悪い2名の男性が大声でその県議に罵声(政治的な批判)を浴びせながら通過し、無視して続けていると持っていたレポート数十枚を奪い取り辺りにばら撒き、反対側にいたお手伝いの女性が倒され、頭から出血し搬送されたのだ。

この記事を読んだ時、私は転倒まではしていなくとも同じようなことを同じ男性から幾度もされていることが頭をよぎった。その男性はネットで私のデマを流し他の議員のページに私の誹謗中傷を貼り付けたり、私の顔を見る度に大人とは思えない口調で怒鳴ったり、嫌がらせを必ず行う。身の危険を感じたため、警察に相談したが、なんのしがらみもなく街の発展のために政治に挑戦した20代女性の私がターゲットにされたことに疑問が残った。

当選直後すぐに人物を特定し、警察と弁護士にも話してあるが、政治家にしても運動員にしても女性が直接的被害を受けやすい。私と同じことを質問・追及している男性議員は全く攻撃されないというのだ。女性なら言いやすい、攻撃しやすい、といったところだろう。

私の政治活動や信条、政策が気に食わないのだろうが、世の中には多種多様な思想があり、その集合体が民主主義である。私は彼らと同じ考えでない政治家であるかもしれないが、一方で私と同じ考えの有権者が存在するからこそ当選しているのも事実である。攻撃などせずとも選挙で私の名前を書かなければ良いだけの話だ。

女性政治家の進出が遅れているなどと日本の社会を憂う記事が散見されるが、育児や出産という環境整備面は別問題として、まずは女性政治家の活動における苦悩をしっかりと取材し、有権者が女性政治家の進出を阻んでいるという現実も報じるべきである。

これは実際に継続的に議会や駅で活動し、単品で闘っている女性政治家にしか見えてこない。地方政治は政党政治ではないため、本当に市民や街のことを想うしがらみのない政治家が誕生することが望ましいが、こういった事態が横行すると、女性は組織に守ってもらわざるを得なくなったり、駅に立つことを恐れるようになり、結局選挙の時にしか活動しなくなるからだ。

それでも負けずに笑顔で駅に立ち続ける私を見て、前職の仲間たちは私に防弾チョッキを勧める始末だ。実際に命を落とす可能性も否定できないからだ。

有権者が政治に呆れていることは理解できる。働いていない政治家がいることも理解できる。自分と異なる考え方の人間が活動していることにイラッと来ることもわかる。

しかし、その矛先が顔を見せて活動をしている政治家なのだろうか。その手段が攻撃なのだろうか。

社会では実に様々な人と交流する。その中で自分と違う意見の人にいちいちつっかかったりするわけがない。それが大人であり、社会人であり、日本人の礼儀というものではないのだろうか。

私は公選法に違反せずに地道に活動している政治家や運動員に対しての妨害にはもっと厳しいペナルティが必要であると思う。

実際にこのように流血事件が起きているのだ。

こういったマイナス面ばかりが表面化すると女性は益々政治に関わることを恐れ始めてしまい、政治家に挑戦したいと思う女性が減少することが危惧される。

女性は出産、育児、生理という身体面でのハンデを負い、尚且つ妨害を恐れながら物理的に命を懸けないと活動できない日本の政治の在り方というのは再考すべきではないだろうか。

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