III. 人と会う。鎖を外す。レールを剥がす。
メンタル面の助けを求めるために会いに行った人の中に、留学支援オフィスのスタッフと精神科のカウンセラーがいる。
留学オフィスは書類面のサポートがほとんどで、精神的な問題については学内の精神科に行かされるのが通例なので期待はしていなかった。親の押しで、自分の現状を打ち明けるメールを夏休み中に送った時も、どうせ「貴重なご意見ありがとうございます」程度の返信をもらうか、オフィスをたらい回しにされるだろうと思っていた。精神科も1年の時に使ったことはあったが当時役立たなかったので過度の期待はしなかった。
でも、いざ行動してみると、光が差し始めた。
テキサス州には10パーセントルールという州の法律がある。これは、テキサス州内の高校を成績上位10パーセント以内で卒業した人は、州立大への入学が自動で可能になるというものだ。私の通う大学は州内で一番人気ということもあって成績上位者が入りたがるため、2009年には入学者が州内生ばかりになってしまったという。そこから自動入学者は75パーセントと改変されたようだが、実際に2017年秋入学者の統計を見ると、90パーセントが州内生で、残り10パーセントが州外生だった。その内留学生は2パーセントだけだ。(参考:Texas Admissions Student Profile http://admissions.utexas.edu/explore/freshman-profile)
ここまでは予備知識を持っていた。しかし、スタッフやカウンセラーと面談をしたら、その続きの話を教えて貰った。
今、私の大学では州外からの学生は実際7から8パーセントにまで落ち込んでいるという。これは、主要大学であるがゆえにかかる"政治的圧力"が関係しているらしく、州内生合格者数を保つ為に州外生の入学者を減らす形になっているらしい。自分の選挙区のマイノリティーを大学に入れられるように民主党員や地方の共和党員が10%ルールを根強く押しているといった記事も見つけた。(参考:Watkins, Matthew. Texas Senators mull eliminating Top 10% Rule. THE TEXAS TRIBUNE , April 5th, 2017. https://www.texastribune.org/2017/04/05/texas-senators-mull-eliminating-top-10-percent-rule/)
大学側は受け入れ人数をその圧力の間で決めているのだろう。ただ、米国内の州外生でさえ一桁なので、国外からの学生は雀の涙である。
ずっと、色々上手くいかないのは全部自分が物足りないからだと考えていた。何においても州内生優先の雰囲気や機会の不平等は肌で感じていたけれど、心のどこかで「自分がダメだから機会をもらえないんだ...」と思っていた。でも、自分の立っている場所を改めて教えてもらったことで初めて、自分が勝手に被害妄想していたわけではないと根拠を持って思えた。
もちろん、心のどこか安心したと同時に、2年間分の苦しみを返せという怒りもマグマのように吹き出てきた。でもその感情をエネルギー源にして、留学生機構という留学生をサポートする学生自治会のポジションに応募し、書類審査と面接をクリアすることができた。初めての"合格"だったので嬉しかった。
私は、自分のいる環境も、辛いことも、全てをありがたく思おうとしているうちに苦しくなっていた。自分を必要以上に責めていた。それが分かったと同時に、肩の荷が下りた気がした。
無理に頑張らなくていいや。
そう思えた。その時に、少しずつ変わり始めた。
今まで全力投球で成果を得ることが常だと思っていたが、そうではなかった。上手くいかない環境を知った時、自分をより深く理解し始めた。自分をもっと良くするべきだと、自分を変えようとするばかりだった私は、自分の正確な立ち位置を把握できておらず、現時点での自分を受け入れらていなかった。
相談にのってくれた友達が教えてくれたものの中に、ピースの又吉さんの、近畿大学での卒業スピーチがある。
又吉さんは、吉本の個性的な人が集まる養成所で大半が辞めていった際のことを話している。
"辞めた人はもしかしたら、自分に課していたものが大きかったたんじゃないか、自分に対する期待が起きすぎたんじゃないか、自分がこうでなければならないとか...おそらく学生の時にすごくみんなから愛されて、日常的に周りの友達を笑わせて人気者だった人たちからすると、そういう人が集まっている中で自分が怒られたり、評価されない、っていうことがすごく辛かったと思うんですね"
又吉さんは、現状そうかもしれない、と受け入れる体制を持ち、一度自分が思い描いているビジョンや自分の存在を疑ってみると、自分の中の揺るぎないものがまた強くなるのでは、と括っている。
私はずっと周りから「変わっているね」とか「ユニークだね」と言われて育ってきた。でも海の向こう側に来てみると、その個性は消えた。日本ほど同調文化がない国では、それぞれの個性がよくわかる。そのような場所で、私は自分の"色"が背景に対し目立っていただけで、環境を変えてカラフルな背景を前にすれば、壁に同化してしまうくらいのレベルで声のない存在だと感じた。そして言語にコンプレックスを抱えていたので、実際声のないようなものだった。(記事①を参照)
実際私は、初心貫徹に美徳を置いて、自分で敷いたレールから外れようとしなかった。外れるのは格好悪いと思っていたし、夢を叶える人は夢まで一直線で諦めずにする人だと思っていた。でも心の底では、「あれ、思っていたのと違う」と思うことがよくあった。でもそんな声を無視して無理やり続けていくうちに、錯綜していき、色々重なって鬱になった。
さあ、鎖を外そう。自分の敷いたレールから降りよう。
私が始めたことは主に3つだ。
—身だしなみを整えること
—自分の活用法を見つけること
—イエスマンになること
(次の記事へつづく)