世界中の人々が全て自由になる日は来るかもしれない。だが平等になる日が来ることはないだろう。

「自由である権利」は人間にとって最も重要な権利の一つだろう。だから、世界中の原則で、例えば「日本国憲法」において、「アメリカ独立宣言」において、「フランス人権宣言」においても、その内容に含まれているわけである。もちろんこの権利は元々人間という生物に備わっているものではなく、後からつけられた単なるフィクションであるが、現在の我々にとって重要であることは変わりない。

「自由である権利」は人間にとって最も重要な権利の一つだろう。だから、世界中の原則で、例えば「日本国憲法」において、「アメリカ独立宣言」において、「フランス人権宣言」においても、その内容に含まれているわけである。

もちろんこの権利は元々人間という生物に備わっているものではなく、後からつけられた単なるフィクションであるが、現在の我々にとって重要であることは変わりない。

人類は太古の昔から、一貫して自由を求めてきた。

フランスの経済学者であるジャック・アタリによれば、人類の自由への渇望は、古くはギリシャ時代に遡る。

ユダヤ-ギリシャの理想とは、自由こそが究極の目的であり、また道徳規範の遵守ともなり、生存条件でさえあることを明確にした。富とは神の恵みであり、貧困は脅威であった。この時点から、個人の自由と市場の秩序は不可分なものとなる

(21世紀の歴史 ジャック・アタリ 作品社)

まさに自由は、市場とともに人類の発展の原動力となってきたのである。そして、今なおこの傾向は続いている。鉄道の発達も、自動車や携帯電話の普及も、そして核家族という家族形態も、すべて自由を求める人々の欲しがるものであった。

しかし、自由には別の側面もある。自由は、格差を拡大する。自由な世界、特に自由市場においては競争は「逆ハンディ戦」、すなわち強者が勝てば勝つほど競争においてますます有利になるので、市場は放置すれば必ず格差を拡大する方向に動く。

数字を見ても、世界各地において実際に格差は拡大している。ジャック・アタリによれば、

アメリカの金持ち上位0.01%の所得は、1975年には平均的労働者の所得の50倍であったが、30年経過したその後に格差は250倍まで拡大した

(21世紀の歴史 ジャック・アタリ 作品社)

だが一方で、人々は「平等であること」を重視する。日本国憲法が持つ「法の下での平等」という考え方は、ごく当たり前のものとして受け入れられている。また、フランスの標語である「自由、平等、友愛」という言葉も同じである。

が、「平等」については、難しい問題が残されている。「結果を平等にするべき」という人々と「機会を平等にするべき」という人々で見解が分かれる。特に、「自由」の結果生まれた格差について、それを是正し「結果を平等にしろ」という人々もまた多いのである。

所得税然り、消費税然り、相続税然り、常に「平等」の解釈のちがいが論点となる。

しかし、この勝敗は既に明らかである。人類の歴史上、「自由」は常に「平等」に勝利してきた。実際、「自由な人々」は増え続けてきたが、「不平等」は解消する気配すらない。

よく考えれば当たり前である。「自由」というものは本来、人と比較するものではないのに対して、「平等」というのはその本質からして相対的な概念だからである。もし世界に自分一人しかいなかったと仮定した時、「自由だ」とは思えるかもしれないが、「平等だ」とは思えないのである。

世界中の人々が全て自由になる日は来るかもしれない。しかし、残念ながら、平等になる日が来ることはない。

貧困は解決するかもしれない。しかし、平等は解決しない。

それが世の理なのであろうか。それとも、人類の精神は次の進化をとげることができるのだろうか。

・2014年4月26日 Books&Apps に加筆修正

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