イスラム国のために、故郷イギリスを捨てた9人の女性たち

「イスラム国」は現在、ヨーロッパ出身の女性たちを呼び込もうとしている。また、そうした女性たちの側も、「戦士」との結婚を望んでソーシャルサイトを利用しており、「これまでに前例がない現象」が起きていると研究者たちは語る。

イスラム国」(旧称ISIS)は現在、ヨーロッパ出身の女性たちを呼び込もうとしている。また、そうした女性たちの側も、「戦士」との結婚を望んでソーシャルサイトを利用しており、「これまでに前例がない現象」が起きていると研究者たちは語る。

ソーシャルサイトのQ&Aサイトには、10代のティーンエイジャーを含む女性たちから、イスラム国の戦士を対象にした結婚の申し込みが殺到している。専門家の推測によれば、すでに50人ほどの女性が、シリアやイラクで戦う戦士らの元へ向かった可能性があるという。使っているスラングなどから、その多くがイギリス出身者と見られている。

9月はじめには、イギリスからシリアに移住した女性4名が、専門家によって確認された。彼女たちはみな、2014年のはじめから同国に住んでいると見られ、同国から英語でツイートしている。

「女性4人を、シリア北部の都市ラッカ(アメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏が殺害された現場にほど近い、イスラム国の本拠地)で確認しました。互いに近所に住んでいるようです」と話すのは、キングス・カレッジ・ロンドンのInternational Centre for the Study of Radicalisation and Political Violence(過激化・政治暴力研究国際センター:ICSR)研究員、メラニー・スミス氏だ。

同センターの上級研究員シラーズ・マヘール氏によれば、イスラム教徒に対してシリアへの集結を呼びかけてきた過激派集団はこれまでもあったが、女性に対する呼びかけはこれまでなかったという。「イスラム国はその例外です」と、マヘール氏は語る。「特に、カリフ(預言者ムハンマドの後継者)を指導者とするイスラム国家の樹立が宣言(日本語版記事)されてからは、世界中のすべてのイスラム教徒に対し、同国へ仲間入りするよう強く呼びかけられています」

国家をつくるために、「男性の医師や技術者、弁護士など、職業を具体的に指定して、“カリフを指導者とするイスラム国”への集結が叫ばれています。そして、国家として機能していくうえでは、女性も必要です。子供を増やさなければなりませんから」

「女性たちは、戦士としてではなく、家庭で料理をし、掃除をし、さまざまな支援をするために必要だとされています。ほとんどがイスラム国の戦士と結婚しています」

女性たちは、シリアに渡る前に結婚できるよう、ソーシャルサイトを使っている。「少女とも言える若い女性が、『Ask.fm』のようなウェブサイトに、自分も“戦いの一部を担えるよう”、戦士と結婚したいというコメントを投稿しています。こうした現象は、これまでありませんでした」

どんな女性たちが、イギリスからイスラム国へ移住したのだろうか。具体的に見ていこう。

1.サルマ・ハレーンとザハラ・ハレーンの双子姉妹

16歳の双子姉妹は、マンチェスターのチョールトンに住む女子高校生たちだった。兄が戦士になるためにシリアに渡り、それを追ったと報じられている。地元紙の取材によれば、2人は現在、イスラム国の戦士と結婚し、大半の時間を室内で過ごしている。外出するときは夫と一緒のときだけだ。

2人はソマリア難民の両親の元に生まれ、マンチェスターにある女子校「ウェイリー・レンジ・ハイスクール・フォー・ガールズ」在学時には成績も良かった。「GCSE」と呼ばれるイギリスの全国統一試験制度(16歳の義務教育修了時に受験する試験。A+~Gで評価され、大学進学希望者は10科目ほどをしなければならない)で、A+~Cの高い評価を23教科で取得しており、将来は医学部を目指していたとされる。

姉妹のうち1人のツイッターを見ると、プロフィール写真には、ブルカをかぶってライフル銃「AK47」(1947年式ソビエト製カラシニコフ自動小銃)を肩から提げている女性の姿がある。

2.ハディージェ・ディア/ハンドル名「Muhajirah fi Sham」(「シリア移住者」の意)

ロンドンのルイシャム地区出身であるハディージェ・ディア(22歳)は現在、イスラム国に女性たちを呼び込む活動を積極的に行なっている。

2012年にイギリスを離れた彼女は現在、イスラム国の戦士であるスウェーデン出身の夫とともにシリアに住んでおり、一児の母だ。イスラム国への移住を呼びかけるビデオには、AK47で射撃訓練をする彼女の姿が映っており、「シリアでともに戦おう」とイギリス人たちに訴えている。「何もせずに家族や勉強のことばかり考えるのも、身勝手でいるのも、もうやめなければならない。その時は着々と近づいている」

彼女はTwitterに、「自分は西洋人の捕虜を殺害する最初のイギリス出身の女性ジハード主義者になりたい」と投稿したと報道された(日本語版記事)が、現在そのアカウントは停止されている。リンク先の記事では、イギリス「チャンネル4」による彼女の生活を紹介する動画も掲載されている。

3.アクサ・マフモード/ハンドル名「Umm Layth」

Umm Laythは、スコットランド・グラスゴー出身のアクサ・マフモードであると報道機関に身元を特定されるまで、頻繁にツイートしていた。その中で彼女は、戦闘に参加できないイスラムの男女に向けて、残虐なテロ行為を地元で行なうよう強く呼びかけ、2013年にロンドン南東部ウーリッチで過激派2名が路上で英兵リー・リグビー氏を殺害した事件や、ボストンマラソン爆弾テロ事件、2009年に起きた米テキサス州フォートフッド陸軍基地での銃乱射事件を称賛していた。

Umm Laythは、現在イスラム国の戦士と結婚しているが、シリアに行くまでは、グラスゴーの名門校クレイグホルム・スクールに在籍し、グラスゴー・カレドニアン大学で放射線を学んでいた。家族からは2013年に、行方不明の届け出が警察に出されていた。

テロ活動を呼びかけてはいるものの、欧米で生活してきたためか、スナック菓子のプリングルスや、パンに塗るヌテラをもらったと喜ぶツイートも見受けられる。

4.ウム・アンウォー/ハンドル名「Umm Farris」

ウム・アンウォーは「Umm Farris」というハンドル名でツイッターをしており、プロフィール写真はイスラム国の黒い旗だ。先ごろ、イスラム国兵士と結婚したイギリス人女性4人のうちの1人であることが専門家によって確認された。

ラッカに滞在していると見られ、最近では、訪ねた家にイラク出身の「ヤジド派少女の奴隷」がいるのを見て驚いたとツイートしている(冒頭の画像)。

5.ハンドル名「GreenBirds22」

「もうひとりの妻と親友でもあることはすばらしい」

ツイッターでは「Black Banners(黒い旗。イスラム国の旗が黒いためと思われる)」として知られ、プロフィール写真はウサマ・ビン・ラディンだ。戦士の2番目の妻であることをほのめかしている(上の写真)ほか、ラッカの町は「退屈」だから遊びに来てほしい、と友人に向けてツイートしている。

ゴールデンゲートブリッジやサンフランシスコなどの美しい写真やVine動画もリツイートされている。

6.アカウント名「UkhtiB」

先に紹介したウム・アンウォーの親しい友人だ。2人はツイッターを通じて、買い物のことで冗談を言い合ったりするほか、普段から一緒に車の相乗りの手配をしたり、スムージーを飲んだり、料理を作ったりしているようだ。

フィードのほとんどは、地元兵士の話やイスラムの名言のリツイート、また、イラク、シリア、ガザ地区で撮影された生々しい死者の写真だ。

7.ウマ・タリブ、ハンドル名「Qad Af-Iahal Shuhada」

「私が何をしているか、私はわかっている。天国には代価がある。これが、天国へ向かう代価であってほしいと私は願っている」

ラッカで確認されたイギリス人女性4人の最後の1人で、息子が1人いる。出身はロンドンかイギリス南部だと見られており、オイスターカード(ロンドンの交通機関で使われている非接触型ICカード)をアバヤ(イスラム女性の民族衣装)のポケットに入れたまま洗濯してしまったとツイートしたことがある。

食いしん坊らしく、ラッカでほかの女性たちと一緒に外食した様子や、フムス(ひよこ豆のペースト)とピタパンに、付け合わせのチリと野菜を撮った写真などが投稿されている。また、アボカドやレモングラス、鶏肉からなるベトナム風春巻きのレシピをリツイートし、友人たちに「つくってあげるね」と述べている。

ラッカでお食事中。もぐもぐ…

8.ウム・ハッターブ/ハンドル名「Umm Khattab」

ウム・ハッターブは今年6月、「この世界に生を受けて以来18年の中で下した最高の決断は、カフィール(アッラーを否定する不信仰者という意味で、非ムスリムに対する蔑称)の地イギリスを後にして、聖なるシャーム地方(「歴史的シリア」とも呼ばれる、レバノン、ヨルダン、イスラエル、パレスチナを含む地域)に来たことだった」とツイートした。

また、イギリス政府が、「イギリスに帰国しようとするジハード主義者についてはその国籍をはく奪する」という見解を発表したことについては、次のようにツイートしている。「イギリス政府はおかしなことを言う。私は、お前たちの汚れた社会にはもう帰らない。倫理的価値観が欠落しており、皆が野蛮だ。お前たちが解放されるにはイスラムが必要なのだ」

黒い旗はイラクやシャーム地方に限られるものではない。ダウニング街10番地(首相官邸)の空にもはためくべきものだ。

9.サリー・ジョーンズ、別名ウム・フセイン・アル・ブリタニ

ケント州チャタム出身で、地元のロックバンドに所属していた元ミュージシャン。2人の子を持つ45歳の母親でもある。イギリス人のイスラム国兵士ジュネイド・フセインと結婚するためにイスラム教に改宗したと見られている。

「キリスト教のやつらはみんな、切れ味の悪いナイフで首を切り落とし、ラッカの町でさらしものにしてやる。あたしがそうしてあげるから、さあ、おいで」といった投稿をツイッターで行っている。

[Jessica Elgot(English) 日本語版:遠藤康子、合原弘子/ガリレオ]

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