「二・二六事件」とは? 日本列島を震撼させた日から80年(画像集)

政権中枢を狙った大規模なクーデター未遂事件の模様を、貴重な写真で振り返ってみた。
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日本列島を震撼させた「二・二六事件」から2月26日で、80年を迎える。政権中枢を狙った大規模なクーデター未遂事件の模様を、貴重な写真で振り返ってみた。

■東京に戒厳令 「国賊となるので皆泣いておるぞ」

1936年2月26日早朝、陸軍の青年将校たちに率いられた約1500人の反乱部隊が首相官邸などを襲撃した。

襲撃を受けた岡田啓介首相は無事だったが、高橋是清(たかはし・これきよ)蔵相、斎藤実(さいとう・まこと)内大臣ら9人が殺害された。反乱部隊は陸軍省、参謀本部、警視庁などを占拠、永田町周辺を封鎖した。

部隊を指揮した野中四郎大尉ら青年将校たちは、「昭和維新」を掲げて陸軍部内で国家革新を目指した「皇道派」に属していた。クーデターによって天皇親政を実現するのが目的だった。しかし、昭和天皇は「最も信頼する老臣を殺傷することは真綿にて我が首を絞めるに等しい行為」と激怒、鎮圧を命じた。こうして27日には東京市(現在の東京23区)に戒厳令がしかれることになった。

29日、戒厳司令部は約2万4000人の兵力で反乱軍を包囲して戦闘態勢をとった

ラジオや飛行機からのビラ、アドバルーンなどで「今からでも遅くないから原隊へ帰れ」「お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ」などと、下士官・兵に投降を呼びかけた。このため大部分の下士官・兵は投降し、青年将校も野中大尉が自決したほかは、憲兵隊に検挙されたという。

この事件の結果、軍部の影響力は強くなった。翌年の日中戦争、5年後の太平洋戦争へと繋がっていく布石になったと言われている。

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