ここ数年、日本においてもセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)を取り巻く社会環境はめまぐるしく変化している。
「ここ2年間の動きは研究者もついていくのが大変なほど」とジェンダーやセクシュアリティ教育を専門とする埼玉大学の渡辺大輔准教授は語る。これから、学校、地域、社会、それぞれの場で性の多様性はどのように語られていくべきか。渡辺氏に聞いた。
■「今日は同性愛について学びます」という授業はやめよう
――渡辺先生は「さまざまな性のありかたを学校でどう教えていくか」というテーマで、教育関係者を対象にした講演や研修なども行っていますね。
最初はどうしても「セクシュアル・マイノリティの子を支援しなくてはいけない」と思われがちなんです。その気持ちは嬉しいのですが、そうなると「じゃあ今日はLGBTについて学びます」「同性愛と性同一性障害について学びます」というスタンスで受け取られてしまう。そうではなく、「みんなで自分たちの性の多様性について学んでいこうよ」という前提を伝えていきたい。
もちろん教員向けの研修の場合は、セクシュアル・マイノリティの子たちにどう対応すればいいか、相談してもらえるための環境づくりとは、といったダイレクトな具体策を話すこともあるんですけど、基本はマジョリティもマイノリティも全部含めての多様性であるということが大前提。中学生向けの授業づくりも行っているんですが、まずはそのことを子どもたちに伝えていきたい、というスタンスで実践しています。
――現状の教員養成課程にはそういった内容は組み込まれていないのでしょうか。
必修にはなっていません。保健体育の教員養成課程の中でも、学習指導要領にそのことが書かれていませんし。関心の高い先生ならば、例えば性感染症の授業で「さまざまなセクシュアリティがあるんだよ」と教えることはあるかもしれませんが。
教育現場には「隠れたカリキュラム」という専門用語があります。これは公的な指導案とは別に、教員が普段の生活で喋ったことや行動を見た子どもたちが、無意識にその価値観を学んでしまうこと。
たとえば男の子がふたり並んでいる姿を見た教師が「お前ら、気持ち悪いぞ(笑)」と冗談を飛ばしたとする。するとそれを見た子どもたちは「あ、男同士のカップルって笑っていいんだ」と学んでしまうのです。
――意図せずして、差別意識を植え付けてしまう。
「隠れたカリキュラム」はジェンダーやセクシュアリティについてとくに発露しやすいんです。先生が「じゃあ男の子は重い物運んで、女の子は飾り付けね」と言うだけでも、子どもは性役割分担の意識を学んでしまいます。そこに気をつけていきましょう、ということは講演などでも伝えています。
■テレビではセクシュアル・マイノリティの一面しか見えない
――普段は大学で「『多様な性』と出会う」という一般教養の講義も行っているそうですが、学生の反応はどうですか。
毎回テーマを変えてさまざまなゲストを呼んでいるのですが、第1回のときはゲイの若者に来てもらったんです。そしたら「この人がゲイだなんて思わなかった」「どんな女装したオネエが来るのかと思ったら、普通の男性でびっくりした」という感想が今でも出てきます。
そのあたりはやっぱりテレビの影響が大きいですね。もちろんオネエタレントの方々が悪いわけではありません。私が監修させてもらった「いろいろな性、いろいろな生きかた」シリーズにも登場してもらいましたし、オネエタレントの存在がいろいろな意味で、セクシュアル・マイノリティの存在を親しみやすくしてくれているという側面もあります。
ただ、「ああ、セクシュアル・マイノリティってああいう人たちだね」と捉えられてしまう、そこしか見えてこない限界が今のテレビにはあって。最近ではさまざまなメディアにいろいろなセクシュアリティの人たちが出るようになりましたけど、なかなか意識していないと存在が目に入らないんですよ。普段ぼーっとテレビを見ている分には、目に映らないんです。
だから、TVの印象で「ああいう人」というイメージを持っている学生は今も大勢います。ただ、「身近にセクシュアル・マイノリティの人がいる人、手を上げてみて」と授業で聞くと、その数は年々増えてきてはいるように思います。100人いれば少なくとも10人くらいは手が挙がります。
――受講生の男女比は?
女性のほうがやや多いかな、という印象ですね。女性差別が強い社会のなかでは、ジェンダー論、セクシュアリティ論はやっぱり女性のほうが関心が高いようです。あとはこの大学はアジア圏からの留学生が多いので、そのような学生も多いですね。インドネシアからの学生などは、宗教的な観点からも関心を持って受講してくれました。
――自身がセクシュアル・マイノリティであることを打ち明けてくる学生もいますか。
はい。授業の感想にそう書いてくれた人もいましたし、もちろん大学にもいます。私の研究室にふらっと来てくれた学生もいましたね。
私は中学の先生校と共同で中学生向けの授業づくりも行っているんですが、その授業を受けていた子が卒業して、高校生になってから、親友にカミングアウトされたそうなんです。そのときに「ちゃんと授業で知っていたから、『大丈夫、おかしくないよ』と言えたよ」と中学校の先生に報告してくれて。それは嬉しかったですね。
■誰もが大切な人との権利保障を等しく得られる社会へ
――2016年6月からは宝塚市で全国4例目となる同性パートナー認定制度が実施されました。日本社会も少しずつ多様性を認め合う方向に進んでいます。
他にも検討中の地方自治体があると聞きますので、今後はさらに広がっていくでしょう。流れがさらに大きくなっていけば、いずれは国の議題として取り上げられるはずです。今はセクシュアル・マイノリティであることを公言して活動されている議員さんも増えてきましたし、各党からもさまざまな案が出ています。
――地方にも動きは起きているのでしょうか。
地方でもセクシュアル・マイノリティが生きやすい社会を目指すサークルを市民が立ち上げたり、大学内にコミュニティカフェのようなラウンジを作ったりという活動が盛んになっています。何かあればすぐに町内に広がるような、匿名性がない地域で暮らし続けるのは、セクシュアル・マイノリティの人には大変なこと。「地方でも繋がりを持って生きている人たちもいるんだよ」というメッセージを伝えることは非常に重要なことです。
――渡辺先生としては、地方の条例や事例が積み重なっていき、ゆくゆくは法律改正に繋がればばいい、という考えでしょうか。
はい。「異性婚と同じように同性婚をつくることが本当にいいのか」「そもそも結婚制度ってどうなのか」などいろんな議論がありますが、やっぱり差別はなくしていきたい。個人の、そして大切な人との権利保障をきちんともらえることは、私達が生きていく上で重要なことです。そこはちゃんと国の制度として平等に整えていくべきではないでしょうか。
ヨーロッパ、アメリカ、カナダと比較すると、法律制定の部分では日本はやはり遅い。ただ、2015年から2016年にかけての社会の変化のスピードには正直驚いています。とくに、文部科学省がセクシュアル・マイノリティの子どもへの配慮を求める通知を教員向けに出したことは嬉しい驚きでした。そこまでいくにはもっと先かなと思っていたので
東京レインボープライドなどの各地のパレードの報道もそう。5、6年前までは「あ、一社だけニュースで流してくれた!」というくらいだったのに、2016年は多くのメディアで取り上げていましたよね。セクシュアル・マイノリティを取り巻くこの2年間の動きは、研究者である私もついていくのが大変なくらいにめまぐるしい(笑)。そう考えると、法律が整っていくのもそんなに遠い未来ではないかもしれない、と期待も込めて今は思っています。
渡辺大輔(わたなべ・だいすけ)
埼玉大学基盤教育研究センター准教授。東京都立大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。主要研究テーマは、ジェンダー/セクシュアリティ教育、セクシュアルマイノリティ支援。講義、講演、執筆、授業づくりなどを通して、性の多様性について、学校でどのように教えたらよいかなどの情報を発信している。
さまざまなセクシュアリティへの理解を深め、学校や社会とどう関わっていくかを考える「いろいろな性、いろいろな生きかた」(全3巻/ポプラ社)のシリーズを監修。
(取材・文 阿部花恵)
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