取材先からのセクハラ、語り始めた女性記者たち 苦悩と後悔、メディアへの提言

自分が「鈍感」になることで、やり過ごしてきた。そしていま、後悔している。
セクハラの体験を付箋で共有する参加者たち=東京都文京区で
セクハラの体験を付箋で共有する参加者たち=東京都文京区で
MASAKO KINKOZAN /HUFFPOST JAPAN

4月21日、新聞社で働く人たちで作る「日本新聞労連組合連合」(新聞労連)の女性集会が東京都内で開かれ、50人以上が参加した。集会の前、財務省の福田淳一・事務次官のセクハラ疑惑が明らかになったのを受け、分科会の一つで、取材先から受けるセクハラについて女性記者たちが語り合った。なぜ、取材でのセクハラを容認してきたのか、自分が今回の当事者だったら...。テレビ朝日の女性記者への思いや、メディアの取材現場で起きるセクハラの土壌に話は及んだ。その中から見えてきたものはーー。

「気づいたら手をつながれていた」「車の中で帰り道にキスをされた」「マスクごしにキスをするよう求められた」「タクシーの中で手を握られたが、おじいちゃんだから仕方ないかと思った」「後輩がダンスを迫られていたが、自分にふられるのがいやで、生け贄にしてしまった」「容姿に関して気にしていることを言われた」...冒頭、見聞きしたり、受けたりしたセクハラ被害を付箋で共有し合うと、数分で10件ほど出てきた。それだけ、セクハラが普通にあったことがうかがえる。

■取材中のセクハラ、どう考える

C)週刊新潮の記事を読む限りでは、財務次官のセクハラ行為に対して、「やめてください」といいながら、質問を続けていた。そんな状況でもなんとか知りたいことを聞くという「業務」を遂行したい、というのが伝わってきた。自分の場合も、取材して原稿を書かなければならないのもあるし、相手から一刻も早く離れたいと思ってセクハラをされても流して取材を続けてしまうだろう。

B)会社の人間には言えない。いうと、モテ自慢か?と思われるのではと心配で、言い出しにくい。実際、後輩が(セクハラされた)問題を提起したら、冗談で終わってしまったこともある。軽くかわすのが、「いい女」だと思わされている面もある。

A)訳も分からずに飛び込んだ業界で、業務の一環で黙っていなければいけないという風潮なら、セクハラに遭ってもスルーしてしまう。セクハラは絶対だめという社員教育があれば、業界全体で取材中のセクハラは決して許してはならないという風潮が生まれるだろう。

C)自分の中にセクハラを受けるのは私にスキがあるから、という意識が根強くある。DVの被害者と同じ心理だ。「女」を見せたんだろ、といわれるのもいやだし、セクハラに遭ったと報告することで、低く評価されることが怖くていえないという面もあると思う。

B)仕事が、「密室」でのやりとりになりがちということもある。情報を与える側、もらう側との「力」関係も生じている。根本にそういう問題があると思う。

C)女性記者の中には、自分たちがセクハラを容認する土壌に加担してきた、と責任を感じている人もいる。最も悪いのは、もちろんセクハラの加害者だが、抗議する勇気も必要だったのかもしれない。

D)でも、実際に声を上げることはすごく難しい。声を上げて、という前に、あげやすい環境を作ることが先だ。セクハラされている瞬間は声が出ないものだ。自分たちがセクハラを許す土壌を作ったと責任を感じる必要はまったくないが、少しずつ声を上げていけば、言っていいんだということにつながると思う。

C)抗議の後の報復も怖い。ほかの記者が全員呼ばれている場所に呼ばれていなかったり、特オチも怖い。相手に悪印象を与えたくない。上司も取材の細かなプロセスまでは知らない。取材成果だけで評価する。やりがいのある仕事ではあるから、いやだなと思っても、担当まで外されたくはない。だから、自分が「鈍感」になることでやり過ごしてきた。

B)いやな思いをしたくらいで、と思い込まされている。本当なら自分を安売りしてはいけないけれど。

D)私は我慢するのはやめた。ほかの取材方法や取材テーマ、取材先の選択肢もある。

■メディアで起きるセクハラの問題点は

C)生きやすい社会を作ろう、人権侵害はだめだと、あらゆるチャンネルで社会に訴えてる組織でありながら、現場での人権がおなざりにされてきた。セクハラを受けたテレビ朝日の記者も会社組織が自分の人権を守ってくれるだろうと思っただろうが、結果的に自分がいる組織の中で実現できなかったのは相当なショックだったと思う。

A)想像でしかないが、権力組織のトップがセクハラ発言するような事態が横行していることを伝えなければならないと思ったんじゃないかと思う。セクハラだけでなく、皆が黙って受け入れていることに対して声を上げていくのは大事なことだと思う。

D)自分に同じことが降りかかったら、会社に報告するか。すごく躊躇すると思う。意識しないようにして、次の仕事に行くかもしれない。

C)自分が上司だったら、どう部下に声をかけ、どこにどうやってセクハラ相談を上げるのかが分からない。そういう課題には、児童虐待の支援現場のノウハウが生きると思う。虐待を知った時点で関与していなくてもすぐに児童相談所に通報する。当事者だったら「よく教えてくれたね、ありがとう」と感謝と肯定の気持ちを伝え、被害者は何も悪くないことを念押しする。なぜすぐ抗議しないのか、などと言うのは論外だ。

A)通報してもこの後、どうなるか分からないがために、黙っているのが長く続いてきた。そういう意味で、今回の事態は非常にショックだった。

C)個別に起きたことを組織で対応するのは、社員を守ることになる。会社が守ります、というメッセージは発してほしい。

■報道機関に求めること

C)セクハラまで受けて取材して記事を書く必要はない、という当たり前のことをメディアとして発信してほしい。組織で動きますと各社が発信すれば、抑止力になるかもしれない。

D)だが、セクハラはれっきとした人権問題なのに、会社にこういう姿勢をいまだに求めること事態、おかしいという思いもある。もう21世紀だ。セクハラは絶対に容認しない姿勢は、会社としてすでに「当たり前」でなければならないのに。

A)メデイアも、私たちは特別、だから強くあらねばならない、という考えが通用しない時代になっていることを自覚するべきだ。

D)日本のメディアに限って言えば、客観性を求められるので、絶対主体(主観)になってはいけないというスタンスをとっているが、英字の欧米メディアでは、第4の権力だということに自覚的で、主体的に語る、というスタンスをとって読者の共感を受け、社会を変えていっている。

4人の議論は1時間に及んだ。外には「人権」の大切さを説いておきながら、長年放置されてきたセクハラに対する組織の脆弱さが、対話の中から見えてきた。

小林基秀・中央執行委員長は、女性集会をこう振り返る。

「集会で、自分を責めている記者が多かったのが非常にショックだった。セクハラなんか適当にいなしてあしらってネタをとってきて、後輩にもそう言ってきた。それが今回のテレビ朝日のケースにつながってしまったーーと。でも、責任を感じるべきなのは、そんな土壌を無頓着に根付かせてしまった上司や会社だ。女性記者が自分を責めるような状況を生み出したことを、私を含めた男性たちは猛省するべきだ。別の観点で言えば、今これを機会に変わらなければ、新聞社は生き残れない。いま、新聞社の新入社員の4割が女性だ。セクハラの対応にすら真摯に向き合えないメディアは、もうつぶれるだろう」

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