アウンサンスーチー政権誕生から1年 ミャンマーの今は?  NLD重鎮 インタビュー

アウンサンスーチー政権が誕生して1年、ミャンマーはどうなっているのか。
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アウンサンスーチー政権が誕生して1年、ミャンマーはどうなっているのか。

昨年3月、アウンサンスーチー(国家顧問兼外相)が率いる与党、国民民主連盟(NLD)による文民政権が誕生。およそ54年ぶりに軍事政権から解放されたミャンマーの今を知りたく、先月ヤンゴンを訪れた。

何十年ぶりに訪れたヤンゴンは、国際空港も近代的な飛行場に建て代わり、市内へ向かう道路は渋滞、クラクションが鳴り止まず、走る車の中には「何々建設」、「何々保育園」と日本語で書かれたままになっている中古車もあった。韓国や台湾製のスマートフォンの宣伝が至るところで見られた。

まったく変わらないものもあった。人々のロンジー姿、路上を埋め尽くす露天や屋台、そしてスーチー氏の人気だ。街のいたるところに彼女のポスターや写真が溢れ、人々は口々に「マザースーはこの国のおかあさんだ」、「彼女がいるからこそ今がある」、「彼女は国民のために働いている」と、1988年に政治参加してからというもの、28年間の長きに渡り軍事政権と戦い続けた彼女の人気は相変わらず絶大だった。

それを証明するかのように、4月1日に行われた連邦議会の補欠選挙では、NLDが12議席中8議席を獲得して勝利した。しかし、ヤンゴン地域などの都市部では強いが、少数民族の住む地方州では少数民族政党や旧軍事政権の流れをくむ政党に議席を奪われた。これはスーチー氏やNLDがいまだ解決に至っていない少数民族・ロヒンガ難民問題や、まとまった経済政策の欠如などが背景にあると見られている。

スーチー氏本人も1周年を迎えるにあたって行ったテレビ演説で、「国民の期待ほどには発展させられなかった」と認めていた。他のNLD幹部はどう考えているのだろうか。1988年、スーチー氏と共にNLDを結成してからというもの、一貫してスーチー氏と同党を支えてきたティンウー氏にヤンゴンのNLD本部でインタビューをした。

氏と会うのはおよそ20年ぶり、その20年の約16年間は投獄と自宅軟禁の繰り返しだった。御歳90歳、「母親のお腹にいた1年をいれれば91歳になる」と笑い、90歳だとは思えないほどのエネルギーと情熱で語ってくれた。

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インタビューに答えるティンウー氏 ヤンゴンのNLD本部にて。

----過去1年のNLD政権をどう評価するか。

ティンウー「武力でなく、平和的な選挙によって政権につき、政権移譲を平和的に実施したことは評価できるはずだ。そのことによって政治の透明性も担保できたと思う。それから独裁的な軍事政権が反体制派や学生を抑えつけ、人権弾圧のために悪用してきた『1950年緊急規定法』を廃止したことは歓迎するべきことだ。もちろん、あらゆる問題に対して早急な解決策を求める意見があることは承知しているが、半世紀以上の独裁政権で起こった問題は根深く複雑だ。それらを平和的に解決するには5年や10年、それ以上の年月がかかるだろう」

----少数民族の問題はまだ未解決だが、今後の展望はどうか。

「問題は残っているが、すべての民族は『平和』を望んでいる。武力で問題を解決しようというのは過去のことだ。国軍と少数民族武装勢力との内戦を終わらせるために昨年8月、『21世紀のパンロン会議』を開催することで、各民族が集まり、自らの意見を述べることが可能となった。この問題は非常にデリケートだが、善意と信頼を持って前進していくしかないだろう。ビルマ族が国の人口の70%を占めるが、その立場を他の民族に押し付けることはできないはずだ。互いに理解しあい、対話を継続していくことが大切だ」

----だが、現実問題として約70年間も紛争が続いた国軍と少数民族との和解は可能なのか。特にイスラム教徒少数派との和解は難しいのではないか。

「確かに容易ではない。だが、70年以上前この国のあらゆる民族や宗派が大同団結して、宗主国だったイギリスと戦い、国の独立を勝ち取ったことは忘れてはならない。アウンサン将軍下で結成されたビルマ独立軍にはイスラム教徒も仏教徒もいて、一緒に戦ったのだ。70年前にできたことが今日できないということはないはずだ。アウンサンスーチーが受賞したのはノーベル平和賞だ、「平和」が最重要課題だということは論を待たない。平和がなければ国の繁栄も経済成長もあり得ない」

----国軍が再度、政治に武力介入する危険性はないのか。また、NLDが政策目標として掲げている憲法改正にも容易に賛成しないのではないか。

「国軍は過去25年以上、我が党に対して武力で嫌がらせをしてきたが、2008年ごろから諸外国や国連などの圧力で、武力で問題を解決しようとしなくなった。国軍の中にも、徐々に意識の改善の兆しが見えてきて、この国は変わらなければならないという共通認識が芽生えつつある。各民族が平和に暮らし、自治権を得て、連邦共和国のような国づくりを目指すことが必要だという認識だ。改憲しなければならないが、それはNLDだけではできない。すべての政党や国民が参加してこそ達成できることだ」

----アウンサンスーチー氏が「大統領の上に立っている」ことは自他ともに認めていることで、実際上、彼女ひとりがすべてを決定しているとさえ言われているが、その点は問題ではないのか。

「彼女は民族和解のために一生懸命に働いている。それは父親のアウンサン将軍すら実現することができなかったことだからだ。今、彼女は政権内にいる人々だけでなく、政権の外にいる人たちとも協力して問題の解決にあたっている。だから仕事に忙殺されていて、私すら彼女と会うことは容易ではない。そのような状況だから『他の意見を聞かない』とか、『ひとりですべてを決めている』といった批判を招く傾向があるのだろう」

メディアの一部は、スーチー政権への失望感を書き立てているが、ティンウー氏の指摘通り、半世紀以上も軍事政権下にあった国の経済や社会をたった1年で立て直すことは至難の技であろう。審判はやはり最初の任期が終わり、次回の選挙が行われる約4年後、それどころか10年ほどの歳月が経たないとその真価は明らかにならないはずだ。市民の間からも「本格的な経済成長にはまだまだ時間がかかる」という声が聞かれた。

とはいえ、10年後にはスーチー氏は81歳になり、現在政権内にもNLD内にもスーチー氏の後を継ぐナンバー2は、少なくとも今のところはいないといわれている。スーチー氏周辺の人々は彼女を恐れ、反対意見を述べることができないでいるという。

スーチー氏の父親で独立の英雄であるアウンサン将軍が暗殺されると、国は混乱し、50年以上の独裁政権が続いた。スーチー政権後、混乱が生じることは避けられないかもしれない。そうなら今後10年が勝負、この期間内にスーチー氏は国の繁栄と経済成長の基礎をつくり、自らの後継者を育てる必要があるはずだ。だが、それは可能だろうか。ミャンマー滞在中、そのヒントは得ることはできなかった。スーチー政権の最大の問題は、この点にあるといっても過言ではないだろう。

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ヤンゴンの両替所の壁を埋めるアウンサンスーチー氏の写真。彼女の人気はいまだ絶大。