「臨床と研究が、医師の活動の両輪」

若手医師には「一流の人材に会い、刺激を受けるように」と促している。
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左から村田雄基医師、斎藤宏章医師
上昌広

9月27日、仙台厚生病院を訪問した。夜、斎藤宏章君と村田雄基君と食事をした。斎藤君は仙台厚生病院の消化器内科医、村田君は南相馬市立総合病院の初期研修医で、仙台厚生病院をローテションしている。二人とも学生時代から指導している。

彼らには、「臨床と研究が医師の活動の両輪」と伝えている。臨床が大切なのは言うまでもない。問題は研究だ。

研究と言えば、基礎研究や臨床試験をイメージされ、大学にいなければならないとお考えの方が多いだろう。そんなことはない。

病院に勤務していれば、症例報告は書ける。ある程度の規模の病院なら、ケースシリーズも可能だ。その際に重要なのは、現状の臨床医学に対する深い理解だ。優秀なメンターがいれば、病院の格は関係ない。

そもそも、研究の舞台を自らが所属する病院に限定する必要はない。斎藤君は、さいたま市の開業医多田智裕医師が主導する内視鏡の人工知能診断の研究に参加し、論文をまとめた。この研究に仙台厚生病院は症例を提供していない。提供したのはデータを整理し、素早くまとめる「情熱」だ。

さらに、ワセダクロニクルと医療ガバナンス研究所が共同で取り組んでいる製薬マネーと医師の研究にも参加した。この時もデータを分析し、論文をまとめた。メンターはいわき市の常磐病院に勤務する尾崎章彦医師だった。

IT技術が進歩した昨今、研究はスキルとやる気があれば、どこでもできる。

論文は沢山書いた方がいい。論理的思考力が身につく。テーマは自分の専門に限定する必要はない。幅広い情報に触れ、社会を俯瞰して見ることができるようになる。

ただ、若手医師が、このような活動をするには病院の理解が欠かせない。リーダーの力量に負うところが大きい。

斎藤君が活動できるのは、仙台厚生病院の目黒泰一郎理事長が、若手人材の育成に投資しているからだ。外部との交流を重視し、「一流の人材に会い、刺激を受けるように」と促している。受験生を将来の安い労働力と見做す大学病院とは対照的だ。

仙台厚生病院での勤務を経験し、村田君も色々と考えたようだ。彼は、学生時代から小児科を志望していた。小児科不足の昨今、貴重な存在だ。ところが、私は小児科は勧めなかった。

それは、彼が30歳と若干、年をとっているからだ。少子化が進む我が国で将来的には小児科医は過剰になる。若ければ、そこから他分野に転身すればいい。

私もかつては血液内科をやっていた。今の仕事に転身したのは35歳のときだった。私の経験からも言えるが、転身にはエネルギーがいる。若くないと難しい。村田君には時間がない。

私が彼に勧めたのは、放射線治療医だった。高齢化が進む我が国で、需要が急増する反面、専門医が極度に不足しているからだ。指導者が少ないので、早くから自分が一線に立つことができる。経験を積めば、自然と実力がつく。

私は、医師が増加し、グローバル化が進む将来、患者や社会のニーズに対応できない医師は生き残れないと考えている。

ところが、厚労省や医学会は、初期研修制度や専門医制度などを通じて、画一的なカリキュラムを押し付けてきた。診療科の配分は政治や行政の都合に影響され、特定の診療科を選択するように有形無形の圧力が加えられてきた。そこで優先されるのは、医療提供者サイドの都合だ。

若手医師にとって最大のリスクは、皆と同じことをして、「金太郎飴」になることだ。代わりは幾らでもいるので、歳をとれば要らなくなる。生き残るには、地道な診療と研究を通じて、現場のニーズに適応する力をつけるしかない。

*本稿は医療タイムスの連載に加筆したものです。