養っているのは妻? 「誰が養ってやっていると思っているんだ」という夫の間違い

貧困を恐れて耐える妻は、弱い立場にある。だが、生活を回すという側面から考えた時、実は「養ってやっている」彼が「弱い」ことに気づく。
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最近、ある人が、友人に会いに出かけた妻に対し「誰の金で遊んでいるんだ」と言ったという話を聞いた。令和の今、こんなことを言う人が現実にいることにショックを受けたので、この発言と背景について、掘り下げてみたいと思う。

 

「誰が養ってやっていると思っているんだ」はDV

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「誰が養ってやっていると思っているんだ」というセリフ、いつ頃から禁句になったのだろうか。改めて考えてみると、昭和の頃は夫が妻を、あるいは子どもを殴る、蹴るという暴行すら、「家庭の問題」とか、「それも愛情」などと片づけられてしまうことが多かったように思う。私がドメスティック・バイオレンス(DV)という言葉を知ったのは1990年代だったが、広く認知されるようになったのは、2001年にDV防止法が制定、施行されてからだ。

DVの概念が知られて一世代分の時間は流れたが、精神的な暴力についての認知度はまだ低いように思う。三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」のサイトに、DVについて分かりやすい説明があるので、引用する。

「言葉の暴力や威嚇、脅し、抑圧などの心理的暴力、性的暴力、実家や友人たちとの付き合いを制限したり、勤めに出たいと言ってもだめだという社会的隔離、生活費を渡さないなどの経済的暴力なども含む」。

特に後半の抑圧的な言動は、明らかに暴力だとわかる身体的暴力や罵詈雑言と違い、分かりにくい。それがよくない言葉だと分かっていても、暴力とまでは思っていない人もいるのではないか。加害者も、自分が発する言葉がどれほど抑圧的かという自覚が薄いかもしれない。しかし、言動だけでも「相手の感情や考え方、行動をコントロール(支配)する」ことができる。だから、冒頭の男性の言葉はDVなのである。

 

逃げ出す経済力がない妻の足元を見て、夫が心身の暴力をふるう。それは、肉体的、経済的に圧倒的に優位な男性が、弱いはずの女性に甘えているからである。外では発散できないエネルギーを、ネガティブな感情を、彼女にぶつけている。

 

DVをする夫は、何を恐れているのか

ただ、生活を回すという側面からこの言葉を考えとき、「養ってやっている」彼が実は弱いことに気づく。確かに妻は逃げ出しにくいかもしれない。子供を抱えていればなおさらである。仮に自分の生活は何とかなるとしても、子供たちの養育費まで稼ぐことは難しいと躊躇する人は多いからである。

何しろ日本では、女性がキャリアを築くことが難しい社会構造になっているため、シングルマザーの貧困率が非常に高い。労働政策研究・研修機構が行った「第5回(2018)子育て世帯全国調査」によれば、母子世帯の貧困率は51・4%と、父子世帯の22・9%の倍以上、2人親世帯の5・9%の8・7倍もいる。

貧困に陥ることを恐れてDV夫に耐える女性は、弱い立場にいる。それなのに、強い夫は妻が出て行かないよう支配しようとする。彼は何を恐れているのだろうか。妻の愛情を失うことか? 妻子を養う一人前の男、という立場を失うことか? あるいは、自分を受け止めてくれる存在を失うことかもしれない。愚痴や暴力のハケ口にすることもその一つだ。

彼女が出て行ったとき、彼が確実に失うのは、整った家庭環境である。「養ってやる」感覚を持つ男性が、家事育児を積極的に行っているとは考えにくい。彼は恐らく、昭和半ばに広まった性別役割分担の考え方に基づいて行動しているからだ。夫が外で稼ぐ役割に徹し、妻に家事育児を含めた家庭責任を全面的に依存するライフスタイルである。

 

性別役割分担は、夫たちを家庭責任から解放して身軽にする

この役割分担が広まった時期にさかのぼってみよう。

戦後、日本国憲法が制定されて男女同権が謳われたことで、女性の自立意識は高まった。しかし、日本企業は女性を積極的に雇わず、高度経済成長期まで結婚退職制度を設ける企業も少なくなかった。また、近年大きな問題になっているが、キャリアに影響する教育においても、女性は差別されてきたが、文部科学省の学校基本調査によれば、2016年でも、大学進学率は男子が55・6%に対し、女子は48・2%と7・4%も低い。今でも、経済的に厳しくなると、息子を娘より優先的に進学させる親はいる。

就職・進学の差別は憲法違反ではないかと思うが、それが現実と受け入れた昭和の女性たちは、家庭内を取り仕切る役割を引き受けることで、対等と考えるよう自分を合理化した。人は、とうてい届かない夢はみないからである。

性別役割分担は、夫たちを家庭責任から解放して身軽にする。その結果、焼け跡から出発した日本の奇跡的な高度経済成長は成功した。しかし、その大き過ぎる成功体験が、長く女性を積極的に雇用しない社会を築いてきた。同時に、家庭責任を負わず家事能力がない男性を大量生産し続けたのである。

 

「養っている」のは妻かもしれない

家事に手を出さない夫に、家事の大変さが本当にわかっているわけではないだろう。しかし、家に帰ればご飯があり、洗濯された衣類がある安心感を、彼は知っているはずだ。子供が飢えることなくちゃんと育っているのも、妻が面倒をみているからである。

実は、養っているのは、妻のほうかもしれない。確かにお金がなければ生活はできない。特に都会においては、食糧調達もままならなくなる。しかし、家事・育児をしなければ命に関わる。

都会では、テイクアウトの総菜や弁当の選択肢も、外食の選択肢も豊富だ。今は料理ができなくても食べることには困らない。しかし、食習慣によっては、生活習慣病などの病気を招くリスクが高くなると言われている。

外注できる食事の選択肢はたくさんあっても、料理に興味がなく栄養学にも疎い人には、適切な選択ができるかどうかは危うい。「生活習慣病」という名前からもわかるように、病気は日々の食事の積み重ねで引き起こされる危険がある。一度や二度ならともかく、毎食毎日、何週間も何年も何を食べたいか選ぶ生活は、今まで用意された食事をしてきた人にはキツイかもしれない。面倒だからと同じものばかり食べ続けるのも、体に悪い。

 

些細だけれど積み重なれば山となる雑務

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掃除、洗濯については、「汚れていても平気」と思う人もいるだろう。しかし、清潔な部屋で清潔な寝具を使い、清潔な衣類を着て寝る生活と、散らかっていて、ゴミやホコリが溜まった部屋で、汗や垢が染みついた衣類と、汗をたっぷり吸い込んだ寝具で眠るのでは、快適さが違う。環境が悪いと体調を崩す場合もある。

何より、家事には「名前のない家事」と最近呼ばれている、些細だけれど積み重なれば山となる雑務が大量にある。その煩雑な作業を引き受けるのも面倒かもしれない。

そして、子供たちだ。もし妻が、子供を置いて出て行ってしまったら、彼らにきちんと食事をさせ、学校でいじめられない程度にきちんとした服装で送り出す役割が待っている。話し相手もしてやらなければならないし、学校との連絡その他子供の世話に関わる「名前のない家事」も大量に発生する。

 

当たり前だと思っていた快適さを失う危険を分かっているのか?

そうした、誰からも謝礼はもらえない、非生産的に見えることもある家事・育児が、一気に自分にかかってくることを、「誰の金で遊んでいるんだ」「誰が養ってやっていると思っているんだ」と言う彼らは内心恐れているのではないか。自分に妻のしているすべてをやることはできない、と思っているかもしれない。

しかし、食べなければ人は死んでしまうし、健康的な生活ができなければゆっくりと命が縮む。子供たちも、きちんとケアしなければ心身ともに健やかに育つことが難しくなるし、食べさせなければもちろん死んでしまう。

家事・育児が命に関わる、という意味がお分かりだろうか。妻に任せきりの夫がどの程度大変さを理解しているかはわからないが、当たり前だと思っていた快適さを失う危険を彼は分かっているのではないだろうか。

仕事は生活を支えるが、家事は命を支えるのである。

 

(編集:榊原すずみ