安保の現場とは、すなわち沖縄である。それは我々本土人が最も向き合いたくない事実である

私は沖縄で生き、迷い、立ちすくんだ。私の1年3ヶ月の軌跡が日本人の沖縄理解に少しでも寄与することができれば、と願う。
国民の8割が性急だ、と判断する安保法案が衆参両院で可決した。

国会前で非暴力の抵抗を続けた市民の怒りが、国民が日米安保、憲法などについて引き続き考えるきっかけを与えた、という意味で全く無駄ではなかった。

民主主義を取り戻す国民の闘いは始まったばかり、とも言える。
辺野古新基地建設反対への意思は、国会前での闘いの一翼を担った。私は今年前半まで1年3ヶ月沖縄に移住し、辺野古での運動を含め今の沖縄を撮影した写真集「沖縄のことを教えてください」(赤々舎)を8月に出版した。
安保法案と辺野古新基地建設は、現政権の民意を無視した横暴という点で一致しており共闘して政権に圧力をかける動きは必然だった。

その一方で、本土に住むほとんどの日本人にとって、沖縄問題はとても分かりにくいはずだ。

ニュースを見ていても沖縄人の本音がどこにあるのかが掴みにくい、と感じている人は多いのではないか?

東京に住む日本人写真家としての私が、移住し撮影することを選択したのも、複雑な県民感情を少しでも理解したい、と考えたからだった。

沖縄で何を感じ、発見し、シャッターを切るかは、実際に撮影を開始する前の段階では未知数だった。

そもそもドキュメンタリー写真は偶然の中から生まれるので、始めから何を撮るのかを規定して現地に入っても意味がない。

私が何に出会ったか、を大切に時を過ごす以外に方法はなかった。逆に言えば、何に出会っても受け入れるだけの胸襟を始めから開いて過ごす他はなかった。
北朝鮮写真集「隣人。38度線の北」(徳間書店)を出版し、一段落したところで沖縄に向かったのだが、ひと月後に仲井真知事(当時)の辺野古埋め立て承認会見があり、年明けの名護市長選へと政治的に大きく動くタイミングに直面した。

辺野古をめぐる問題は沖縄の問題ではない。我々日本人一人一人に突きつけられた問題である。

写真家である以前に日本人として、この問題を回避して過ごすことはできなかった。

那覇を中心に日常の中に発見を見いだしながら、辺野古にも頻繁に通った。毎晩のように見知らぬスナックの戸を叩き、明け方まで現地の人と酒を飲んだ。

沖縄人の本音はそう簡単に理解できるものではなかった。

南国気質、血縁社会のしがらみ、400年に渡り日本国からの様々な抑圧を受けた歴史的哀しみと怒り。

本土復帰後、国家権力からのアメとムチの間で揺れ動いた県民感情。結果としての保革の分断。それらが一つの魂として本土から来た私を告発、糾弾した。

私の実感では沖縄の魂は一まとまりだった。保守革新の政治的分断は表層の薄皮一枚程度の話である。

一貫して本土の都合で眼差されてきた県民が、東京からひょっこり現れた私に向けた感情は、その内実が複雑過ぎて皆が明瞭に言葉にできるわけではなかった。

話が噛み合わない日々が続いた。「写真なんか持ち帰るくらいなら、基地の一つでも持って帰れ」「沖縄の気持ちなど、いくら写真を撮っても分かるわけがない。さっさとヤマトへ帰れ」と罵られる日々だった。

議論を尽くせば分かり合えると思い込んでいたことが、上から目線そのものであることに気が付くまでに数ヶ月を要した。
ところで、日本の平和は憲法9条に守られてきた、という意見に同意する沖縄人は少ないだろう。

安保の現場とは、すなわち沖縄である。在沖米軍によって我々の平和が守られてきたことに私自身無自覚に生きてきたことを恥じた。

0.6%の土地に74%もの米軍専用施設を押し付けられた沖縄の我慢と屈辱の上に日本の平和が保たれてきたことは間違いのない事実であり、その認識は保革を越えた県民の総意だ。

そしてそれは我々本土人が最も向き合いたくない事実である。

日米安保賛成派のみならず、反対派であっても、70年間沖縄を犠牲にした上で安保に守られてきたことから逃れることはできない。

現在の政治状況下で反安倍を唱える者たちは、状況を覆すために沖縄も連帯するのが当たり前だと呼びかけるが、基地の本土への引き取りについては、その多くが反対を表明する。

「基地は沖縄にも本土にもどこにもいらない」という反戦平和主義者は、崇高な目標が達成されない限り基地の多くが沖縄に置かれ続ける状況に、結果として加担することになってしまうのだ。この事実に気が付いた瞬間「共に闘おう」という呼びかけが軽率であることに気付くはずだ。

なぜならば、沖縄の闘いは原理的には全ての本土人に向けられているからだ。

帰京後、その話をすると左派の方が案外簡単に「独立すべきだ」と口にすることを知って驚いた。「そのほうが沖縄のためになる」などと言う。

矢が自分にさえ向いていることに耐えられないのだろうか。客観的に日本と沖縄の関係を理解した上で辺野古新基地建設阻止の運動に加わることがどうしてできないのか。

沖縄を犠牲にした上で平和や民主主義について語ってきた、という揺るがない事実に我々は今こそ立ち戻る必要がある。国民の間で憲法や民主主義の在り方が問われ始めた今こそだ。

日米安保破棄の主張と県外移設、つまり本土引き取りは矛盾せずに同時進行で行えるはずだ。ここ10年程で、多くの沖縄県民はそう考えるようになった。

日米安保そのものの是非、安保法案がこの後どのような形で適応されるかへの注視、議論は日本人全体が当事者意識をもつ中で取り組まなければならない課題である。

辺野古新基地建設に反対の沖縄人は政治的実践のレベルにおいて、引き続き人口の99%を占める本土人と連帯していくことになる。

だからといって、そこに甘んじて「沖縄人も日本人もない」と非抑圧民族の感情を無視した働きかけをすることは慎まなければならない。

70年間沖縄を犠牲にしつつ平和を享受してきた我が身への自覚をもち、沖縄を苦しめている側の一員として連帯を呼びかける節度が必要だ。
写真集は150点の写真と2万8000字の原稿から構成されている。明るい写真群と、日本人としての責任を自問する原稿とのギャップに違和感をもたれる方もいるだろう。

明るさ、美しさの奥には様々な沖縄の内実が隠されている。あらゆる社会は多方向的な意志の集積であることは沖縄でも同じだ。

写真とは、社会の矛盾と撮り手の内なる矛盾が出会う場所である。

我々一人一人に内在化された沖縄イメージを写真によって一旦解体し、原稿を通じて日本人としてどのように沖縄に向き合うべきかを考える入口になれば幸いだ。

私は沖縄で生き、迷い、立ちすくんだ。私の1年3ヶ月の軌跡が日本人の沖縄理解に少しでも寄与することができれば、と切実に願う。
最後に念を押そう。沖縄の苦しみは我々一人一人の無自覚な差別の実践によってもたらされている。

このことに向き合うことなく、沖縄問題について他人事のように考えることは、どのような思考であったとしても、引き続き彼らを傷付けることになるであろう。

辺野古埋め立て本体の工事開始は10月と予測される。辺野古を取材する海外メディアは、日本人による少数民族差別問題と報じてきた。

辛くとも沖縄の痛みに向き合い、1人でも多くの本土人がこの事態を自らのこととして受けとめ、辺野古ゲート前に結集することを願う。もちろん私も含めてだ。

安保法案成立により周辺諸国との緊張関係が増大することで、最も標的になるリスクを抱えるのは当然ながら沖縄である。

もう知らん振りはやめようではないか?沖縄への構造的差別を克服することが日本の民主主義を取り戻すために不可欠なことなのだから。
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