安倍前首相の会見で「印象に残ったフレーズ」はあるか。危機下で「最悪のシナリオ」を持たない弊害とは

「日本の場合は、国民を不安にさせないように『最悪のシナリオ』を持たない、考えることもしないという政治がまかり通ってきました」

政府は、リスクコミュニケーションを十分にしていたのか――。

船橋洋一氏(元朝日新聞主筆)が理事長をつとめる「アジア・パシフィック・イニシアティブ」が中心となってまとめた『新型コロナ対策民間臨時調査会 調査・検証報告書』を読むと、そこには危機時に適切なメッセージを発信することが出来なかった“政治の姿”が浮かび上がる。

ここから何を学ぶべきなのか。民間のシンクタンクから提言を出す意義とはなにか。船橋氏が語った。(聞き手は石戸諭。インタビューは東京都内、11月5日に行った。前編後編に分けてお届けする)

リスクコミュニケーションの「下請け」

――課題として残ったのは、リスクコミュニケーションです。結果的に専門家が負うことになってしまい、失敗した部分も多かったんではないでしょうか。

船橋 結論から言えば、もっと政府が担うべきでした。専門家会議に、かなりの程度リスクコミュニケーションを下請けさせいたとも言えるし、専門家会議もまた「前のめりすぎた」という反省点を述べています。

ここで、もう一つ考えないといけないのは当時の安倍晋三政権が本当にメッセージを発する政権として信頼されていたか、という問題です。

当時、森友学園・加計学園問題に加えて、「桜を見る会」の疑惑があり内閣支持率は落ちていました。

ここで何かを発しても国民は「この政権は何かを隠しているかもしれない」と感じたでしょう。専門家会議が発することに批判はあったとしても、結果的に強いメッセージを国民は受け取った。そのことは忘れてはいけない。

インタビューに応じた船橋洋一氏
インタビューに応じた船橋洋一氏
ハフポスト日本版

もう一つは厚労省の中堅どころです。彼らの証言によれば「専門家会議を通じて、自分たちが伝えたいことを伝えた」という思いがあった。

厚労省内部でも専門家会議に対する強いリスペクトがありました。官邸側も「自分たちではリスクコミュニケーションがうまくいかない」と感じていて、守勢に回っていたので、専門家会議の発信は時にありがたかったのです。

ところが、問題は最後の最後、緊急事態宣言を解除するというタイミングです。ゴールデンウイークが明けて解除を急ぐ官邸に対し、専門家会議は待ったをかけた。厚労省は最後まで専門家会議の主張をありがたいと思っていたのですが、官邸側はありがた迷惑という受け止めになったのです。

記者会見をする安倍晋三前首相
記者会見をする安倍晋三前首相
Kim Kyung Hoon / Reuters

安倍さんの会見で「印象に残ったフレーズ」はあるか

――報告書のなかで、ある官邸スタッフは「首相会見をけちり過ぎている」「何も打ち出しがないと『新味なし』」と記者に描かれる不安が吐露されています。トップの発信力はかなり重要な問題として残ったのではないでしょうか。

回数よりも、問題は国民にどういう言葉を発したかが問題です。安倍さんの会見にも医療従事者への感謝や、国民への協力を呼びかけるために必要な要素は入っています。

でも、今でも国民が覚えている言葉はなんでしょうか。安倍さんの会見で印象に残ったフレーズなり、メッセージを上げてくれと言われてもでてきません。

それこそ「日本モデル」くらいでしょう。危機の時の日本の指導者の言葉はまだまだ課題です。それは「安全」と「安心」を区別し、政治は安全を保障し、心の部分は国民が一人一人の問題だと思っているからではないでしょうか。

それではいけないと思います。安心もまた政治の課題なのです。政治家が適切にメッセージを発し、不要な不安を感じさせないようにすることも危機には重要です。

日本の場合は、国民を不安にさせないように「最悪のシナリオ」を持たない、考えることもしないという政治がまかり通ってきました。

新型コロナ対応民間臨時調査会調査・検証報告書(アジア・パシフィック・イニシアティブ)
新型コロナ対応民間臨時調査会調査・検証報告書(アジア・パシフィック・イニシアティブ)
ハフポスト日本版

すべての安心を政府だけで担えなくなるのが危機

――「最悪のシナリオ」の公開が一つのポイントですね。危機時には、示したほうが安心につながるのではないかと思うのです。

まったく同感です。ここから先の話は断っておきますが、国民を突き放せとか、自助で頑張れという話ではありません。危機とは何かをあらためて考えてみましょう。

私たちの考えでは、すべての安心を政府だけで担えなくなるのが「危機」の定義です。

危機時には政府と国民はパートナーシップを組み、対処する必要があります。今回は全国民が巻き込まれる危機です。しかも、最大の対処方法は国民一人、一人の行動変容です。つまり、危機を克服できるか否かは国民の行動が変化するかどうかということですね。

安倍晋三前首相を映し出す巨大スクリーン
安倍晋三前首相を映し出す巨大スクリーン
Issei Kato / Reuters

危機の時は「安心してください」というメッセージは、かえって不安を呼ぶかもしれない。むしろ、最悪のシナリオを示して協力を呼びかけるほうが安心できるという局面もあるのです。

不要な不安を生じさせないために、大丈夫です、安心してくださいというのは危機のコミュニケーションではありません。政府は責任をもって危機時の最悪のシナリオを作るべきです。そういう時代に来ています。

政治的にシナリオ作りを回避していても、議論は深まりません。

秘密主義で乗り切れるのか

――メディアも最悪のシナリオへの備え方には慣れていません。

メディアも苦手なのは間違いですね。弱者に寄り添うことも大事ですが、危機の段階では、それだけでは弱い。

――菅義偉政権はかなり秘密主義的であり、決断回避型です。これでは来るべき第三波は乗り切れないと思います。さらに言えば、2回目のロックダウンは全力で回避すべきだと思いますが、しかし、取ろうと思ってもリスクが高すぎて取れないという事態になっています。国民の善意と良識に委ねるようでは危機管理とは言えません。

レポートでは「同じ危機は、二度と同じように起きない。しかし、形を変えて、危機は必ずまたやってくる。学ぶことを学ぶ責任が、私たちにはある」と結びました。これからがまさにそうだと思いますよ。

最初期はクラスターも遡ることが可能でしたが、いずれクラスターを遡ることができないような事態がやってくると思います。第一波のやり方では防げないかもしれないですね。

第一波は「致死率」「経済と生計」「人権とプライバシー」の3つを同時に守っていく、成り立たせるという問題でした。今の法の建て付けでは、法に頼らずに行動変容を促すとか、あるいは休業要請も「お願い」するというやり方になっています。果たして、これが持続可能な政策と言えるのか。

1回はともかく、2回は同じ方法は取れません。私たちは新型インフルエンザ等特措法の改正を提言しています。これはやれ、ということではありません。日本の場合、第一波はソフトロックダウンで乗り切りました。これは一つの手段であり、言い換えれば、とりうるカードがまだ残っているということです。

記者の質問に答える菅義偉首相
記者の質問に答える菅義偉首相
Anadolu Agency via Getty Images

それは危機に対して、法に基づく、より踏み込んだ政策です。私たちは経済活動等の制限について、罰則も含めた強制力を発動できる規定を設け、さらに公衆衛生のために経済活動の犠牲を強いられる企業や個人に対して一定の経済補償を提言しました。

危機だからといって、すべてをなし崩し的に進めるのではなく、危機時には政府が責任を持ち、法に基づくこと。

法の支配によって、危機を乗り切るための手順を整えるタイミングでしょう。

加えて、デジタルトランスフォーメーション(DX)は必須です。政府そして、医療現場、保健所などで即時に共有が必要なデータが共有されない。それはDXが遅れているからです。

次の危機のために、一気に改革が必要なのです。これは政府もわかっています。政治家も官僚も含めて、問題のありかは知っているけど、効果的な対策が打てない。私たちのようなシンクタンクの役割は、政府の中にある声をきちんと拾って、自分たちの知見を合わせて政策として提言することにあります。

インタビューに応じた船橋洋一氏
インタビューに応じた船橋洋一氏
ハフポスト日本版

必要なシンクタンクの力

――世界では政策をシンクタンクも積極的に提言し、また検証もなされています。しかし、日本ではそのような動きはまだまだ弱いです。今後、日本でシンクタンクが担う役割がどう変化していくべきか。ビジョンを教えてください。

世界の中で存在感を示しているシンクタンクは、社会が激変する歴史の中で出てきています。今、日本はまさにそういう時代に直面しています。

世界の秩序が崩れつつある中で、次は中国でいいのか。そうではないのなら、どのような体制が求められているのか。若い世代から新しい担い手、アイディアを持って出てこないといけない。

出てきた時に必要なのは受け皿です。私たちも受け皿になろうと思っていますが、まだまだ受け皿は必要です。日本のシンクタンクはこれからが大事なのです。

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