「さよならテレビ」東海テレビのドキュメンタリーが描く”矛盾”

「働き方改革」が報道劣化を招く!?

「ヤクザと憲法」というドキュメンタリー映画をご存知だろうか?

 暴力団の組の内部をカメラで撮影して映画にした人物は東海テレビ報道部の社員で土方宏史(ひじかた・こうじ)さんという。

 正真正銘のヤクザの組事務所の内部にカメラを入れて、警察による家宅捜索まで組事務所の内側から撮影し、世間の話題になった衝撃作を制作した人物である。暴力団員が麻薬の密売にかかわっているような場面、野球の賭博にかかわっているような場面など、きわどい場面が次々に出てくるドキュメンタリーだった。

映画「ヤクザと憲法」公式サイトより

 「ヤクザと憲法」は、まるで最初から映画を想定していたかのように、通常のテレビドキュメンタリーにありがちなナレーションを排除して「ノーナレーション」つまり「ノーナレ」の手法で描かれている。テレビのドキュメンタリーは、通常はナレーションで様々な情報について説明している。それをまったく使わないという手法は工夫がいるのでかなり高度に熟練した制作手法といえる。

 その土方さんが新しいドキュメンタリーを制作して放送した。またしても「ノーナレ」の手法だった。

 「東海テレビ開局60周年記念」と銘打った「さよならテレビ」。

「さよならテレビ」とは挑発的なタイトルだ!

まるでテレビは「オワコン」だと自ら宣言するような言葉ではないか?

 この番組は、9月2日(日)の16:00ー17:30にかけて、1時間半にわたって東海地方でローカル放送された。

 冒頭から番組は、東海テレビ報道部のフロアの生々しいやりとりから始まる。

 入社19年目の土方ディレクターが報道部のデスクや記者らに撮影の協力を求めている。

「今、お手元にドキュメンタリーの企画書をお渡ししているかと思います。メディアが、特にテレビがマスゴミって叩かれていて、実際、メディアってどうなっているの?というのがこの企画の趣旨です」

 わけがわからずにキョトンとした表情の報道部のスタッフと熱心に説明している土方氏のギャップが面白い。

 最初はリラックスムードで始まった撮影だったが。次第にベテランの報道部員との間で緊張感が満ちていく。日々ニュースを放送しているデスクたちもカメラとマイクの存在に苛立っていき拒否反応を強く示すようになる。気になって仕方がない・・・などとぼやき始める。

入社27年目のデスクが不満をぶつける

「そもそも何を撮りたいのか全然理解できない。我々のミスとか事故とか、トラブルといったものをピックアップしてOAしようという方向になっていくわけでしょう」

「(カメラ回すの)やめろって言っているんだ。やめろって!」

「取材する時はきちんとお互いの合意の元で取材しなきゃいけないと思うんだけど」

「腹立たしい・・・だって勝手に取材対象にされているわけだから」

 声を荒らげるベテラン社員たち。男性も女性も・・・。

 何が彼らをいらだたせるのか。日頃は一般の人たちにカメラを向けて勝手に撮影した映像を切り取って放送しているくせに、いざ自分たちが被写体になってカメラを向けられると驚くほどに感情的になってしまう。

お化粧したメディアリテラシーはもういらない

報道の現場にカメラを入れ、「テレビの今」を取材する

 番組のホームページに掲げられたキャッチフレーズは挑発的だ。少なくとも放送局で働く関係者にとっては、挑発的に映る言葉だ。

 ドキュメンタリーは、ノーナレの手法を使っているため、どういうふうに番組の意図を読み取るかは視聴者に委ねられている面が大きい。そのため、ナレーションなしで物事が「ありのまま」に描かれている。いずれ映画として公開されることだろうし、興味を持った人は、ぜひ視聴してほしい。ネタバレになってしまうので、ここではこのドキュメンタリーの内容の一部しか紹介しないが、テレビ局の現状に対する問題提起が多方面に行われていて、考えさせられるドキュメンタリーである。

 ここではひとつの点だけを指摘するにとどめておきたい。このドキュメンタリーは、これまで「マスコミ」ともいわれてきたテレビメディアがけっして報道してこなかった、当のマスコミ自身のリアルな内実を「ありのままに」伝えている。

 ドキュメンタリーが描かれている、テレビが直面している問題はいくつかもある。

中でも「働き方改革」にまつわる苦悩は大きな柱だ。一見、正義である「働き方改革」の負の面がメディアでこれほど強調されたことはない。報道現場がすっかり変容しているのだ

 電通の新入社員だった高橋まつりさんが過労の果てに自ら命を絶ったのが、2015年のクリスマスの朝。その後、「長時間労働」の解消が叫ばれて、政府の政策目標となり、特に高橋さんがマスコミで働いていたことから、マスコミの長時間労働の解消を求める声が大きくなり、「働き方改革」ではテレビ局も新聞社も率先して改革に乗り出した。各社は労働行政の強い指導もあってそうせざるを得ない状況に追い込まれている。そうしたリアルな状況にありながら、マスコミ各社はその内実について外部にオープンにすることを拒んできた。

 しかし、このドキュメンタリーは違う。なかなか取材などに人員を割くことができずに苦労している局内の様子が赤裸々に描かれている。マスコミの職場における「働き方」改革の現状が、これほど大胆に、また等身大で描かれたことはかつてなかった出来事だ。

報道部長が部員たちに通告する

 「労働時間削減とリンクする形で、人事部に『もうちょっと人を増やしてほしい』と言っていた中でとりあえず派遣社員を、一応、会社的には雇っていいです、と内々が来ましたので一応ご連絡します」

 ちなみに報道部長は、時に土方氏に対してデスクなど報道部員の苦情を伝えたり、夕方ニュースの視聴率競争で苦虫をかんだ表情で頻繁に登場する。いかにも典型的な中間管理職として描かれている。番組内では「報道部長」としか紹介されないが、実は東海テレビのドキュメンタリー映画を何本か手がけてきた、知る人ぞ知るドキュメンタリーの世界では有名な名制作者でもある。それなのに「報道部長 入社25年目」としか表記されない。視聴率が伸び悩んでいて夕方ニュースで「4位」から抜け出せないことに苛立っている人物として登場している。

社員の"残業代減らし"のためにやってきた「派遣社員」の記者

 報道部長は、しばらく後で、その「派遣社員」を報道部員たちに紹介する。

 「報道の記者として加わってもらいましたW君です。彼はテレビ●●で2年間、報道の仕事に携わってきましたんで自己紹介してもらいます」

「××××××××××(東京に本社があってスタッフを多くの放送局に派遣している制作会社の名前)のW(番組内ではフルネームの実名)です。いろいろな人にわからないことを聞いたり、何か気づいたことあったら何でも言っていただければ助かります。今後ともよろしくお願いします」

 字幕で「外部スタッフ 実名 24歳 記者歴2年」と表示される。

 ドキュメンタリーでは、このW記者がいつも自信なさげで頼りない。

 人は良さそうなのに、押し出しが弱く、花見を楽しむ人たちに感想のインタビューを取るためにマイクを向けても断られるとすぐに断念してしまう。

 W記者はラーメンを食べて感想を話す「食レポ」も、言葉がたどたどしく、お世辞にも上手とはいえない。

 彼はたびたび先輩記者たちから怒鳴られる。本当に要領が悪く、別の仕事をすればいいのに、と思ってしまうほどにヘマばかりだ。

デスク陣vs報道部長の白熱した場面

  再び報道部の打ち合わせの場面で、報道部長から「働き方」についてのアナウンスがある。

 「ちょっとひとつみなさんにご相談というかお願いですが、昨日の夜に局長から『とにかく36協定を守るように』という命令がありました。もう、とにかく残業を減らせっていう・・・。

 法令遵守が一番だと。万が一、労基署が入って、東海テレビが(検察庁に)書類送りとかになったらダメージが大きいということで。

 夜勤は夕方出社で(午前)10時帰宅というのを徹底しましょう、というのと、もうひとつは「夜回り」をしない日を一日作りましょう、ということ、それから毎週毎週、残業時間をチェックして、(残業時間が)100(時間)行きそうな記者には休みを与えると・・・」

 「夜回り」というのは、警察の取材などで幹部の自宅などを深夜や早朝に訪れて情報を取る取材のことだ。テレビも新聞も記者ならやってきた取材方法だ。その「夜回り」をしない、ということは、これまでは当たり前のように行ってきた取材行為をしない、ということだ。記者という仕事を放棄するに等しいと感じる記者たちもいたことだろう。

当然のようにベテラン報道部員たちから不満の声が出た

 「これだけ視聴率も取って(と要請されて)、(労働時間を減らして)他局にも負けずにやるというのは、完全な矛盾だと思うんですけど」

 「納得いく説明をしてもらわないと・・・。さすがに残業へらせ、数字(視聴率)は上げろ、というのは・・・」

 「何らかの補填をしないと、それこそ報道機関の役目というのはどこで担えるのかしら・・・? 最低限の・・・?」

 報道部長は「まあ・・・、まあ・・・」ばかりで明瞭な言葉が続かない。

「本当に今、立ち止まって冷静に見て、後で後悔する時が来ないんだろうかとは本当に思っていて・・・。

本当に今、一生懸命作る体制で、我々はソフトをこれから作っていかなければならないのだけれども、

一番、大切な時期にそれに費やす時間がなくなるというのは将来的にはすごい財産がなくなっていくのではないかと非常に思うし、

そこが最後の砦かなと僕も思っていたんですけど、(上から)『やれっ!』と言われた以上、もうサラリーマンなもんですから、まあ、従わないといけないというのは、我々しょうがいないところですね」

「サラリーマンなもんですから・・・」

 この報道部長は、これまで報道機関として伝えるべきことを伝える、そのためには他の局はやらない手法でも東海テレビだけは命がけでやる、という気骨ある姿勢を貫いてきた人物である。他の局では作れないような名作ドキュメンタリーを数々手がけてきた。その人物が「上からの命令」だからと、部下たちに残業減らしを求めていた。まるで仕組んで演じているのではないのか、と疑うような場面だった。

 働き方改革で各放送局がどういう対応をしているのかについては、多くの会社は詳細を明らかにしていない。

 筆者は放送批評誌の編集長として、政府が音頭を取る「働き方改革」で各放送局の報道現場や制作現場がどのように変わってきているかを調査をしようとしたことがある。東海テレビと同じくらいの規模やそれよりも大きな放送局、あるいは、より規模が小さい地方民放局などで報道記者が警察幹部などへの「夜回りをやめた」というケースがいくつもあった。

 「(社員の負担がこれ以上増えないようにするために)派遣社員を増やした」というケースもあった。東海テレビと同様の取り組みをしている現状を聞いていた。しかし、それはあくまで「匿名で」「覆面で」という条件で、会社名を隠した形で雑誌で明らかにするほかはなかった。

 東海テレビでこの場面でデスクたちが部長に食い下がったように、報道機関として最低限の役割をそれで果たせるのだろうか、これでは報道機関としての役割の放棄ではないか、という不安や逡巡。記者やデスクだけでなく、部長や局長クラスやもっと上の幹部たちも「オフレコ」という条件でなら口にする"本音"だった。

 ただ、筆者が調査や取材をした時には、あくまで会社名は出さない形での取材のみOKだったが、東海テレビで自社のドキュメンタリーとはいえ、それぞれ顔をさらけ出してやりとりする管理職の姿や反発する現場のデスクらの姿をそのままに放送した。これには驚いた。本来、テレビ報道の現場は、自分たちのことも棚に上げずに視聴者にさらけ出すべきだと思うが、こと自分たちのことになると、棚に上げて知らないふりをしてしまうのが多くのマスコミの実態だ。

 「報道機関」としての使命や役割。

 働く人間の健康と命を守る、健全な職場としての役割。

 どちらも大切な価値だが、「働き方改革」で、マスコミがこれまで果たしてきた役割が果たせない状況なら、この問題についてもっと話し合うべきだと思う。

 東海テレビが「上からの命令で報道部長としても従うほかにはどうしようもない状況にある」ということをドキュメンタリー番組の中でさらけ出したことは、従来のマスコミ企業にはなかった、覚悟と勇気のある報道だと言っていい。

「さよならテレビ」から(キャスターが報道部長から指示される場面)

 さて、政府の「働き方改革」に対応するために東海テレビの報道部で働くようになった制作会社からの派遣社員の記者であるW君。

彼のようなケースは地方局だけでなく、民放キー局でも最近は増えている

 たとえば民放キー局の報道局は各官庁ごとに記者クラブを持っている。数年前には気象庁など、その局がそれほど重視していない記者クラブの担当記者として、制作会社から派遣された記者(それぞれのテレビ局の名刺を持っていて、小さく「所属先」として派遣元の制作会社名も隅に書かれている記者)が少しずついた程度だった。しかし、現在は次第に増えていて、現在では検察庁も担当する司法記者クラブでも、派遣社員の記者は珍しくなくなった。それが東京から大阪、名古屋、福岡、札幌など地方局の報道現場にも広がりつつある。W君の派遣元である××××××××××社は、手広く、各放送局にスタッフを「派遣」してきた比較的大手の会社である。民放の報道局ではこの会社の名前は珍しくもないし、筆者の記憶では、ドキュメンタリーに出てきたW記者のように、あまり経験がない若手ばかりを番組などに派遣してくる印象があった。

派遣の新米記者W君は、いろいろと「やらかして」しまう

 「ポケモンGO!」で楽しむ人たちの取材では、「顔を撮らないで」という男性を密着取材して、その映像を放送しようかという段階になって相手に連絡すると、「放送はダメ!」と言われてボツになってしまう。

 W君は釈明する。

「とにかく(ニュースを)成立させなければというプレッシャーもあった」

 W君に対して土方ディレクターは「過去にあった『あるある大辞典2』の教訓を知っているか?」と聞く。プレッシャーのあまり、事実や内容を捏造して、番組として「成立させる」ことを優先したテレビ界の大スキャンダルだ。結果的に制作した関西テレビはこのレギュラー番組を終了させたばかりか、社長が辞任した。会社としても日本民間放送連盟を除名される事態にまで至ったテレビの大事件だ。

テレビ界を揺るがした「あるある大事典2」もW君はよく知らない印象だった

 W君は正直な人柄で、「自分は制作会社の人間で、ある程度の成果がないと1年後には(契約は)終わってしまうのではないか」という不安も口にする。そうしたプレッシャーで、つい無理をしようと思ってしまうと白状する。

 時々、へまをやらかしてしまう、素直なW記者の存在がこのドキュメンタリーの重要な要素になっている。

「(本当は)制作会社の自分などよりも、新入社員を育てた方が会社として全然いいと思う」

 派遣という立場で、短期的な評価ばかり気にして「無理をしようとする」自分などよりも、きちんと新入社員を育てた方が会社にとってはいいはずだ。そういう本音を漏らすW君は、東海テレビに限らないが、長期的な視点に立たずにその場その場を付け焼き刃の弥縫策でつくろうことばかりに汲々とするマスコミ業界の本質を言い当てている。

 もう一人、W君と同じように東海テレビの報道部で協力スタッフという立場で働く48歳のベテラン記者S氏も登場する。

 ジャーナリズムのありようで関心を持ち、いろいろな本も読み、講演も聴いてきたS氏は東海テレビの社員である土方ディレクターに問いかけるように語る。

(S氏)「日本のメディアは会社員なんですね、記者とかディレクターとか。まず、このいい収入を維持するために、会社に極力しがみつく、

というか・・・。そりゃあ、年収300万円になったらどうしますか、みたいな」

(土方ディレクター)「それは考えたくないです・・・」

 この場面に関しては、「おっ?」と反発を感じた視聴者もいたようだ。

 「れい」さんという名前の視聴者が制作者側に送ったメッセージが番組ホームページに公開されている。

番組の中で、今の年収から、年収300万円台には戻りたくないというようなことをさらっと言っていたが、傲慢すぎる。実際、私の年収300万円台だが、それじゃ何もできないと言われているようで気分がわるくなった。

「れい」さんの言う通りで「傲慢」なのだ

 さらけ出しているように見せてはいても、年収ベースでいえばまだまだ高いのが当たり前の実態だ。「俗世間との乖離」が歴然と残っているし、「局の内輪同士の感覚」や「わが身かわいさ重視の本音」はあちこちに目につく。

 一方、派遣社員という立場で記者を務めるW君は携帯電話で自分の派遣元である派遣会社と話している。

「今のところは僕、まだこの業界でやりたいので、もう一回チャンスを与えてもらえるなら・・・」

 懇願しているのだ。派遣であっても自分が「記者」という現在の立場で働き続けることができるように、と。

 このシーンはよく撮らせてもらえたと思う反面、派遣という立場の「記者」の悲哀が伝わってくる。

社員といえども、安泰ではない

 夕方ニュースのキャスターを務めてきた男性アナウンサーは、テレビの視聴者が60歳以上になっているからとシニアのキャスターとの交替を部長から告げられる。番組の改編期には、社員も外部スタッフも悲喜こもごもだ。

そして、W君は「今年の3月末で契約は終わりです」と先輩の外部スタッフであるS氏に告げる。S氏はW君の後ろ姿を眺めながら「使えない人間はクビだという、見事なあれですよね・・・」とつぶやく。

 キャスターの交替とともに、派遣社員の記者W君は報道部を去っていく。

W君は"卒業"という美しい言葉で送り出されていく

報道部長「W君が一年間でしたが、本当にみんなに愛されて、本能に寂しいんですが、とりあえず、"卒業"と・・・」

W君「ここで学んだことを次の場所でも活かせるように頑張っていけたらなあと思います。一年間、ありがとうございました」

 報道部にあって、一人S氏だけが一言、周囲にひとり言を放つ。

「卒業なんていう、そんなオブラートに包んだような言葉で、これ、くくれるんですかね」

 その夜に一人帰っていくW君を、ねぎらうためにもつ鍋屋に誘って一緒に帰っていくのもS氏だ。

 胸が痛くなるような悲しい場面だが、そこには「社員」はいない。W君のことを他人事と眺めている「社員」たちの冷たさがしみるように伝わってくる。

 翌日、報道部長は夕方ニュースの視聴率が低迷する中で、「なかなか(数字が)伸びていないっていうのは、もう一回、ネタの精査やCMの置きどころ、このままでいいかどうかを真剣に議論してほしい。もっと数字にどん欲に、まだそれが足りないのかなと思います」と部員たちに注文をつける。

報道機関の役割や使命について、熱く語り合う姿はみえない

 いつから、テレビ報道は「理想」を語らなくなってしまったのだろう、とこの場面を見ながら、ふと思った。

 おそらく全国各地の報道の現場で、いま、同じようなことが起きているのだ。

報道の劣化はテレビに限ったことではないかもしれない

 「さよならテレビ」のホームページには、土方氏らが書いたと思われる文章が並んでいる。

 長年、メディアの頂点に君臨してきたテレビ。

しかし、今はかつての勢いはない。インターネットの進展など多メディア時代に突入し、経済的なバックボーンである広告収入は伸び悩んでいる。さらに、プライバシーと個人主義が最大化して、取材環境が大きく変化し、現場の手間は増える一方だ。

 何が原因でこうなってしまったのか。

 「働き方改革」は確かにその背景の一つと言えるのかもしれないが、「命」と「報道の役割・使命」は本来どちらか一方を選ばなければならないものではないはずだ。だとしたら、他の道だってあるはずのではないのか。そんなことをドキュメンタリーは静かに問いかけているようだ。

 最後の方で、「働き方改革」について顔出しNGの本音の座談会の映像で顔を隠したはずのインタビューが、編集作業の加工が間に合わずに顔がそのままさらけ出される失態を演じる場面が登場する。

 その時に、報道のデスクや部員たちは「うまく処理しないとBPOになる」と口々に叫んでいる。

 ここにも、報道の理念や理想といったものはない。

 あるいは、根本的なミスの原因を誰も問おうともしない。ただただ、その場をつくろって、ダメージが広がらないように、応急処置をしなければ、という弥縫策の発想しか伝わってこない。

問題の根っこは「働き方改革」だけではない。

 報道の現場は、いつしか、機械的に「作業」するだけの現場になってしまったのではないのか。

 明確に一つの要因に原因があるわけではない。根本的な解決策があるわけでもない。

 それでも「出口」や「光」を見つけることがなければ、テレビ報道は終わってしまう。

 互いに弱さを見せ合い、多少、言い淀んだりする方が、人間らしく伝わってくるという最近のロボット研究が最後の方で登場する。

 それはまるで、年度がかわってから関西のテレビ局で派遣社員の記者として、新たな人生をスタートさせたW君。あるいはキャスターを降板した後で商店街を訪ね歩くレポーターの仕事に生きがいを見出す男性アナ(入社16年目の福島智之アナ)とも二重写しになる。

 果てることのない視聴率をめぐる競争。

 働き方改革による労働時間の徹底した管理。

 楽しかった現場の仕事はどこに行ってしまったのか。

 あるいは、誰かのために仕事をする、という生きがいや充実感は・・・。

 今のテレビが失い、視聴者との間にできてしまった深い溝を埋めるためのヒントがあちこちに垣間見えたドキュメンタリーだった。

 かつて東海テレビは「ぴーかんテレビ」の「セシウムさん」事件という、様々な境遇にある視聴者や被災者らへの「想像力」を欠いた事件を引き起こし、BPO案件になった経験がある。2011年のことだ。報道現場の「想像力」は今はきちんと回復しているのだろうか。むしろ現場の劣化は進んでしまっているのではないのか。見る者にいろいろなことを考えさせる。

 東海テレビで7年前に起きた「セシウムさん」事件がドキュメンタリー全体の背景になっている。事件の時にスタジオにいて、とっさの謝罪コメントを言葉にした男性アナウンサー(福島智之アナ)に注目してみるだけでも、その後の人生の変遷が伝わってくる。そうした見方で見れば一つの会社のテレビ報道の歴史がリアルに伝わってくる。一級品の報道史ドキュメンタリーだ。主役はW君だけでない。福島アナも報道部長も、怒鳴り声を上げるデスクも・・・。

いろいろな登場人物がそれぞれ味わい深い

 様々なテレビ人たちの生き様を表現した、東海テレビならでは、という会心のドキュメンタリー作品だった。

登場人物も含めて、他の局ではこんな赤裸々なドキュメンタリーは作ることができなかったことだろう

 NHKにも作れない。朝日新聞にも読売新聞でも書くことができないリアルな実態。

 テレビに限らずマスコミで働いている人、これから働こうと考えている人はぜひこのドキュメンタリーを見てほしい。

 報道が果たすべき役割とそこで働く人たちの命を守る方法をどうやって見出すのかの解決策を話し合ってほしいと願う。

 最後に番組制作者の言葉を噛み締めてもらいたい。

 

「愛4の権力」と呼ばれた時代から、いつしか「マスゴミ」などと非難の対象となり、あたかも、テレビは嫌われ者の一角に引き摺り下ろされてしまったようだ。

果たして、テレビが本当に叩かれるべき存在なのだろうか。

「偏向報道」「印象操作」は、行われているのか。

 「さよならテレビ」は、老境にさしかかったテレビというメディアの自画像である。誰しも悪意を持って間違えた報道をしようとしているわけではない。それでも忙しさや人材不足のなかで時々、間違えてしまう。

 人々の信頼を回復するためには何が必要なのか。

 それを静かに問いかけるドキュメンタリーだ。

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