ロバート キャンベルさんが語る「共感」の危うさ

「私は目立つので、“杭”になっていきます。声をかけて」 ロバート キャンベルさんが対話を望む理由

「共感はとても大事な感情だけど、『そうだよね』と思えない人たちとの間に”殻”を作って、コミュニケーションを閉ざしてしまうもの」――。

日本文学研究者で「スッキリ」などテレビ番組でコメンテーターとしても活動するロバート キャンベルさんが3月7日、ハフポストのネット番組「ハフトーク」に生出演した。2018年8月に公開したブログ「『ここにいるよ』と言えない社会」は、同性のパートナーと暮らしている自身の経験も交えながら、LGBTを巡る問題について綴り、SNSを中心に共感の輪が広がっていった。

キャンベルさんが語った「共感」の功罪、そしてブログ公開後の変化とは。

ロバート キャンベルさん
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jun tsuboike

《共感という言葉は強い言葉です。社会を変えることもできれば、人を分断することもできる。共に感じる、人の感情を追体験して共振する。共感する素質を育てていくことは人間社会にとっても大切なことです》とキャンベルさんは語る。

だが、大事な感情である共感は時に危うさもある。

《私が言ったことに『そうだよね』と(出演している)3人で共感する。そうすると、ここに一つの“世間”ができてしまい、共感できない人たちとの間で枠ができてしまう。『共感の硬いシェル』、つまり卵の殻のようなもので覆われてしまい、なかなか殻を突き破られることはないですね。

アメリカのトランプ政権の支持者も同じです。憲法違反をしても、嘘をついても、人を傷つけても必ず30数%は動かない。共感でできた殻の中にいるのです。

人間にとって基礎的な能力でありながら、コミュニケーションを閉ざしてしまうのも共感です。例えば、LGBTの問題で言えば、共感はしなくても気づいて理解することができるのではないかと私は思っています。

「あの人たちはなんか気持ち悪い」と思う人はこれからもいるし、「生産性がない」といったひどい発言をする政治家はこれからも出てくるでしょう。

そこで大事なのは、同性婚を認めていこうという話は共感は難しくても理解はできるという人を増やすことです。(緊急時に病院での面会が認められない、遺産相続で配偶者控除を受けられないなど、パートナーとして生きる上で)必要な法制度が整っていない、というファクトやエビデンス、データに基づいて話すことで、同性婚に共感はできないが必要であることは理解できるという人も出てくるでしょう。共感の中で、完結させないためにファクトは重要です。》

ロバート キャンベルさん
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しかし、現実のメディア空間ではファクトだけの記事は多くの人に読まれないし、シェアが広がってもいかない。むしろ、感情に訴えるストーリーや強いオピニオンを打ち出したほうが広がりやすい。

《私は文学研究者ですから、人間にとってストーリーが武器になり、重要になるということはよくわかります。共感を呼ぶストーリーは問題を知る入り口には必要です。ですが、そのベースになるのはファクトです。》

キャンベルさんが来日した1985年から比べると日本社会も少しずつ変化している。今年に入ってからも2月14日には、日本初の同性婚訴訟が全国各地の地裁で一斉に提訴された。同性相手の婚姻制度を認めないのは憲法に反するという主張だ

異性婚には認められるさまざまな法的保障が同性パートナーとの生活では認められない。

《基本的な社会保障、相続などで認められる権利が同性パートナーには認められていない。社会の中で生きる基本的な環境が、ほとんど整備されていないのです。

ある女性がお父さんに「自分はレズビアンだ」と言った時、最初はその事実を受け入れてくれなかったそうです。女性は悲しかったと思います。でも、私には親の気持ちもわかります。

制度や仕組みができていないということは、社会の中で高いハードルを課せられて生きていかなければならないということです。親が心配するのは当然の感情ではないですか。

私は活動家ではありません。自分の姿を見てもらい、言葉を伝えていくことで、議論を促していきたいです。》

同性婚には思わぬ効果もあるのだ、とキャンベルさんは自身の経験から語る。

《私とパートナーはアメリカで結婚式を挙げました。そうすると異性愛者から予想もできない反応があったのです。僕らの話を聞いたり、姿を見たりして結婚はいいものだなって気がついた、あるいは結婚することの喜びは一緒だって思ったというのです。

僕たちの姿を見て、あらためて見直したということでしょう。幸せのお裾分けですね。同性婚で幸せな人たちが増えると、LGBT当事者ではない周囲の人たちも幸せになる。

幸せは奪い合いや引き算ではなく、増やせるものです。》

社会の変化も感じている。先日もこんなことがあった、とキャンベルさんは語る。明治神宮近くの交差点で赤信号が青に変わるのを待っていたキャンベルさんに高齢の男性が声をかけてきた。

「キャンベルさんですよね。あなたは勇気がありますね。よく告白しました」と声をかけてきた。そこでこう返す。「悪いことはしていないので、『告白』はしていないんですよ」

《おそらく彼は初めて、告白や公表といった言葉の違いを考えたと思うんです。

きっと彼の人生のなかで信号待ちをしている私に声をかけてきたのはとても勇気がいる行為だったと思います。

彼は、私の言葉に対して何かを思い、「共感の扉」の前、入り口に立っていた。そこでさらに扉を開いて、靴を脱いでから、部屋に上がってもらって、「告白」という言葉の意味まで考えてほしいなと私は思ったんですね。

今までの殻を突き破って、短い時間でも対話すれば、いろいろ考えてもらえますよね。》

路上でも声をかけられるキャンベルさんは自らを「杭」に例える。

《芸能界にはLGBTの人はたくさんいますね。でも研究者の世界、スポーツの世界はどうでしょう。まだまだLGBTであると声を上げる人は少ないですね。いるよと言えないのではないでしょうか。私は杭のようなものだと思っています。この社会にもっと杭が増えるといいですね。》

安心して「ここにいるよ」とすっと言える社会に向けて、キャンベルさんがブログで投じた一石から広がった緩やかな波紋は少しずつだが、確実に広がっている。「少しずつ」からさらに広げていくために、メディアができることはたくさんある

もちろんキャンベルさんもまだまだ広げたいと思っている。

「私は目立つので、杭になっていきます。もっと声をかけてください。赤信号で渡ったりしませんから」。ジョークを混ぜつつ、茶目っ気たっぷりの笑顔でトークを締めた。

ロバート キャンベルさん
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