中学生の私へ。「黒髪」「ストレート」ではない自分の髪を嫌いにならないで

中学校では、私のように髪がくるくるで茶色であるというだけで「悪い」とされた。それでも当時の私は、学校の校則や規範を疑うことはできなかったのだ。
小学生時代の私。髪は薄い茶色で、遠くから見てもわかるほどウェーブがかかっていた
小学生時代の私。髪は薄い茶色で、遠くから見てもわかるほどウェーブがかかっていた
筆者提供

コロナがきっかけで、世間ではお片づけが流行ったらしい。それは自分の両親も例外ではなかったようだ。

先日実家に帰った際に、掃除していたら出てきたという古い写真が置いてあった。ほとんどは飼い猫たちの写真だったが、その中で一枚だけ、小学生時代の自分の写真を見つけた。

過去の自分の髪は今よりもずっと薄い茶色で、さらに遠くから見てもわかるほどウェーブがかかっていた。しかし、小学校の頃は、自分の髪の毛を気にしたことはほとんど無かった。

その意識が変わったのは中学校に入った瞬間だった。薄茶色でウェーブのかかった、自分の自然なままの髪が嫌になった。

中学に入ると、非常に強いステレオタイプや規則が襲って来た。まず、小学校と違い、制服になった。爪も長くないかチェックされたり、とにかく、外見についてのルールが急に増え出した。

そうした中学の価値観では、髪の毛は「黒髪」で「ストレート」が良いとされた。私のように髪がくるくるで茶色であるというだけで、「悪い」と言われた。

生徒たちもまた学校側の考えに影響され、「黒髪」で「ストレート」ではない髪は「悪い」と考えた。

私は、基本的には成績優秀な方だったし、良い子のタイプであると思っていたので、自分が優等生の規範に合わないのが、居心地が悪かった。

今考えればバカバカしい話なのだが、当時の私はその規範を疑うのではなく、自分をあてはめようとしてしまった。つまり、髪の毛を「黒髪ストレート」にしようとしたのだ。

“ブラック校則”という言葉は最近よく聞かれるようになったが、その頃の私は知らなかった。学校の校則や規範を疑うことは、田舎者で、習い事などもせず、生活のほとんどが学校と一体化していた自分には難しかった。

学校に行かなくなって気づいた、自分の気持ち

そして私は、中学一年の夏休みに入る前には学校に行かなくなった。そうしたら、私の中にあった「ステレオタイプ」は、どこかにいってしまった。私が自分の髪の毛を嫌に思う気持ちは、学校からの影響だったという事がわかった。

その後、高校に進んだが、そこは制服をはじめとして、外見に関する規則は何もなかったので、悩むことなくのびのびと過ごす事ができた。

本来、髪型は衛生を保つことで健康を害することなく、邪魔にさえならなければ自由にしていいはずではないだろうか。何より、自分の持って生まれた体についてコンプレックスを持ってしまうような環境は、果たして良いものなのだろうか。少なくとも、私にはとてもストレスフルだった。

最近でも、地毛が「黒」でない生徒の髪を、学校側が黒く染めさせるというニュースを定期的に目にするが、こうしたことを疑問視する声が大きくなっている現状を良い事だと思う反面、今でもそういったことが行われているのかと暗い気持ちになる。

おそらくニュースという形で表に出なくても、私がいた中学校のように、染めさせる事はしなくても、毎回のように嫌味を言われるという環境はきっとまだまだあるはずだ。

小中高と学校に通っている間は、どうしても学校が自分の世界のすべてになってしまい、学校が決めたルールやその価値観が正しいと思ってしまいがちだが、一歩外からみれば、全然そんな事ないのはよくあることだ。

学校が、今いる場所が、すべてではない

私は今大学生で、留学生も多い大学に通っている。当たり前だが、地毛なんて人種が違えばバラバラである。それに、カラフルに染めている学生も多い。

髪の色で成績は決まらないし、ひと括りに学校といっても、学校によって全然違う世界がある。自分の通っている学校がすべてではない。

頭皮を傷めるリスクのある染髪に関して、注意をするのはまだ理解できる。とくに子どもであれば、健康被害のリスクは高いだろう。にも関わらず、地毛に関して注意をするのは、体の健康も心の健康も害すだけなのではないだろうか。

中学生の頃の自分に会えたら、自分の髪の毛を嫌に思わないでと伝えたい。学校がすべてではないと伝えたい。規範を疑えと伝えたい。そう思わずにはいられない。

(文:神内真利恵 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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