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2020年10月26日 10時00分 JST | 更新 2020年10月26日 17時18分 JST

23歳の「すべきこと」に走らされていた。大学卒業後、新型コロナに足止めされて気づいた“癖”

漠然と「年齢別やることリスト」が幅を利かせた社会。止まるのが苦手な僕たちは、どんどんと急ぎ足になっていく。

2020年の春。大学の卒業を目前に控えた僕と周囲の友達は、4年間の思い出に浸りながら、来たる新生活に心を踊らせていた。

就職をする人、大学院に行く人、そして海外に踏み出して行く人。それぞれが選んだ未来を形にすべく、とうとう白いキャンバスに最初の一筆を入れる時が来る。

...はずだった。

筆者提供

しかし、与えられたピカピカのキャンバスに最初に筆を入れたのは、僕たちではなかった。そう。「パンデミック」だったのだ。 

「卒業後は海外で社会勉強だ!」と意気込んでいた僕は、就活に打ち込む友達の傍で勉強に熱を注ぎ、資金を貯めるために始めた夜勤のアルバイトで数ヶ月は生計を立てるつもりでいた。丁寧に練ったプランだっただけに「夏頃には飛び立てるだろう」と確信していたのだ。

しかし、次々と猛威を振るうパンデミックの影響で、渡航はおろか、バイト先まで休業になってしまった。

幸運なことに親元で暮らせている僕だけれど、在宅のインターンやクラウドソーシングだけでは頼りないと思い、夏には第二新卒で企業面接にも応募した。

しかし「これを仕事としてやりたいんだ」と自分を力技で奮い立たせてみても、ここぞと言うところで「本当はこれじゃない」という声が自分の中で轟く。

結局、課題やオンライン面接まではスイスイと合格が出ていた企業も、最終選考で呆気なく落ちてしまった。今思えば、面接担当の方も「本当はこれじゃない」という僕の滲み出た焦りや妥協を見透かしていたのかもしれない。

自分でもその矛盾には気が付いていたので、どんどんと気持ちは塞いで行った。もがけばもがくほど焦燥感は増していくばかり。歯痒さや息苦しさの中に沈み、鬱々とした日々が続いた。 

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年齢という“マス目”を埋めるようにして、生きてきた。

一通りジタバタとして力尽きてみると、ある根本的な問いが頭に浮かんだ。

「そもそも、自分はなぜ焦っているのだろう?」

騒ぐ息子を傍で見守っていた父と母も、状況が状況なので「世界が落ち着くまでは会社勤めでもしてみれば?」と提案することはあっても「急いで働きにでろ」と言ったことはない。そして親元で暮らしている以上、税金や携帯料金、そして最低限の生活費くらいは自分で払える。

「そもそも、自分はなぜ焦っているのだろう?」

ここに来て、やっと問い直すことができた。そして、一度向き合ってしまえばその答えは鮮明なものだった。立ち止まることが怖かったのだ。

振り返ってみると、僕はずっとずっと走っていた。小学校ではいじめっ子から身を守るために、必死で周りに馴染む「普通の子」を目指し、中学校では部活に熱を注ぎ、小学生で失敗した時間の埋め合わせをするようにして友達作りに励んだ。高校では「さぁ青春だ」と意気込み、放課後は部活かアルバイトで予定を埋めた。

良くも悪くも、僕は全力疾走だった。そして、その行く先は「充実感」だった。「年齢別やることリスト」を埋める日常が普通で、健全で、正義で、充実している。そう信じて止まなかった。

大学受験の時も、浪人をすれば世界は終わると思っていた。両親の「行きたい大学に受かるためなら浪人したっていい」という声も、ひたすらに年齢というマス目をテンポよく塗り潰そうとする僕の耳には、まるで響いてこなかった。

そして今、僕は23歳という“マス目”を盛大に塗りそこなっている。全力疾走が不可能となり、初めて立ち止まっている。そして、その未知の感覚に僕はアレルギー反応を起こしていたに過ぎないのだ。

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止まるのが苦手なのは、きっと僕以外にも多くの人が抱えている“癖”だろう。というか、僕なんてかなり可愛い方に違いない。

何もかもが足早に過ぎ去っていく社会では、漠然と「年齢別やることリスト」が幅を利かせている。誰がこしらえた訳でもない、いや、僕たち一人一人が無意識のうちに社会に刷り込んでいるのかもしれないそれが、僕たちの足を急がせるのだ。

コロナ禍を受けて広く発信された「お家時間」という言葉も、初めはただ家にいる時間を楽しもうというシンプルなメッセージだったはずなのに、「せっかく家にいるのにお家時間も充実していない」「生産性のない日々を送っている自分にウンザリする」とかえって力んでしまった友人もたくさんいる。

僕たちは、本当に止まるのが苦手なのだ。

肩の力が抜けた今、どんなタネを植えよう。

肩の力が抜けた今は、海外移住計画に指針を戻し、ゆるゆるとアルバイトを探しはじめてみている。そこには金銭的な理由ももちろんあるけれど、「働かなきゃ」というよりも、単純に「少し外の仕事もしたい」という気持ちが強い。

正直、学生時代よりもスケジュールはずっとのんびりとしているし、“23歳”になれない自分に苛立ったり、「周囲をがっかりさせてしまったのでは」という気持ちが拭いきれない現実もある。

けれど、今は急いで走ってはいけない。この選択ができる環境に感謝しながら、しっかりと立ち止まって、ゆっくりと足元の土を耕して、次にどんなタネを植えるかを考え直すときだ。

きっとその種が芽を出す頃には、焦燥感やコンプレックスとはかけ離れた、心の奥底からのエナジーが再び湧いてくるはずだ。実際、すでにその芽はもう土を破って顔を出そうとしている。

そして、もしもこの芽が育った先で「年齢」という意地悪な風が吹いたとしても、この先もずっと「年齢別やることリスト」のない、既製品でもない、オリジナルの23歳を、33歳を、43歳を、僕は生きていくのだ。

安田七海

画像提供:安田七海

なんとなく受け入れてきた日常の中のできごと。本当はモヤモヤ、イライラしている…ということはありませんか?「お盆にパートナーの実家に帰る?帰らない?」「満員電車に乗ってまで出社する必要って?」「東京に住み続ける意味あるのかな?」今日の小さな気づきから、新しい明日が生まれるはず。日頃思っていたことを「#Rethinkしよう」で声に出してみませんか。