「へそ出しトップスで登校禁止」に多くの人々が反発。その理由を探ってみた

デンマークの多くの人々が根強くこの問題に意見したり反発し続けることには正直少し驚いた。だがしばらく観察していると、これは単にクロップトップスの是非を問うているのではないこともわかってきたのだ。
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Alys Tomlinson via Getty Images

デンマークの学校には制服がない。ごく一部の私立校を除き、普段、デンマークの子どもたちは私服での登校が一般的だ。また服装や髪型、染髪についても校則で規制しないため、子どもたちはいつも自分たちの好きな恰好で通学している。 

ところが今年8月半ば、新学期を迎えたある学校では、義務教育の高学年(7‐9年生、日本の中学生に相当)の子どもたちが、クロップトップス、いわゆるへそ出しトップスで登校することを禁止した。この決定に一部の保護者や生徒が違和感を示したため、その後この出来事はデンマーク中で話題になった。今回の記事では、なぜこのことが多くのデンマークの人々の関心となったのかについて、わたしなりにその理由を探ってみたい。

8年生で14歳のある女子生徒は、普段からクロップトップスが好きで着ていたが、授業中に学校の先生から肌を隠すように指導され、上着を着用するようになった。この学校では同様の例がいくつか続き、教員と学校の管理職で話し合った結果、学校として高学年のクロップトップス着用禁止を決定したそうだ。

学校側の意見は、クロップトップスは自宅の庭やビーチで着用するものであり、子どもたちにとっての「職場」である学校や公の場では、その場に見合う服装をする必要があるとのこと。この点について保護者に対し、家庭で子どもと話し合いをするように求めていた。またこの学校の校長はメディアの取材に対し、学校はさまざまな人が集う場所であり、だれもが健やかに過ごし必要な課題に専念できるよう、この決定を下したと発言していた。

SNS上で多くの反発

このニュースが報道されるやいなや、SNS上ではクロップトップス禁止に反対する声が続々と挙げられた。著名人たちも男女を問わず自分のへそ出し写真をSNS上に掲載。子どもたちの服装について、学校が一方的に禁止することへの危惧や、生徒が学習に集中できない理由を女子生徒の服装のせいにするべきではないという意見が相次いだ。デンマーク初の女性首相を務めたヘレ・トーニング・シュミットもSNS上で「女の子たちにどんな服なら着ても良いかっていつまで言い続けるんですか?」「次は何がくるんでしょうね」と批判している。

SNSだけではなく、この話題はワイドショーやプライムタイムのニュースでも取り上げられ、職場や学校でも話題になったところもあるという。実際、わたしの14歳の娘も学校で友人たちとこの是非をめぐって話をしたそうだ。

続く議論ー争点はどこなのか

日本で生まれ育ち、中学時代には白色靴下や染髪禁止といった校則を無批判に受け入れて生きてきた者として、今回のクロップトップス禁止のニュースには正直あまり驚きを感じなかった。むしろ、どこかで制限をしなければ、ありとあらゆる服装が無制限に可能になることに疑問も感じたし、たとえクロップトップスがだめであっても、他に禁止されているものがないのであればそれほど不自由でもないだろう、その程度にしか感じていなかった。また、この決定を合理的だと考える人々の中には、職場や冠婚葬祭など、実際多くの場にはドレスコードがあり、子どもたちはそれを学校という場を通して学ぶ必要もあるのではないかという意見もあった。

だからデンマークの多くの人々が根強くこの問題に意見したり反発し続けることには正直少し驚いた。だがしばらく観察していると、これは単にクロップトップスの是非を問うているのではないこともわかってきた。

この問題について意見する人々の多くが口にしたのは、学校が一方的に生徒の服装を規制するのはおかしいということだった。この決定がされる前に生徒たちの意見は問われたのか、決定時に生徒の代表は含まれていたのか、学校の運営委員会(教員、管理職、保護者と生徒代表が含まれる)の判断はどうだったのか。そんな問いかけがいくつも見られた。つまり、反発する人たちは、クロップトップスの是非が焦点だったのではなく、子どもの服装に関する決定を、当事者である子ども自身や民主的プロセスである学校委員会と意見を交わすことなく決定したという、意思決定のプロセスに反発していたようだ。むしろ、これが学校内で民主的に決定されたのであれば、これほど人々は騒がなかったのかもしれない。

さらに別の理由もある。これは学校側が一部の生徒(例えば女子)が肌を5cmほど露出していることで、他の生徒(仮に男子とする)が学習に集中できないということを、これまた一方的に断言していることへの反発だ。ここでも、集中できないとされる側の意見は反映されていない。また、デンマークでは近年復活したMeTooの影響もあり、女性の服装を男性の性欲と絡めてその是非を問うことにも疑問の声が上がるようになっている。大人がむやみに子どもを性的な存在として、女子生徒の服装の是非を独断で決定したことについても、危惧する声が多かった。

ある男子生徒の意見

この点については、自由党青年部の副代表で9年生の男子生徒が新聞に意見を投稿している。同じ年頃の男子生徒として、女子生徒がクロップトップスを着ているだけで自分たちが授業に集中できないだろうと、一方的に性的な判断を押し付けるのはもう辞めてもらえないかという意見だった。

もちろん、僕らは若いしホルモンが身体中をかけめぐっています。でも、お腹の肌がちらっと見えたぐらいで興奮するなんてどう考えてもありえません。

残念ですが、これは男性/男子の性欲への考え方だけでなく、2021年になってもまだ消えない女性へ視線、つまり、男を興奮させないよう女はなるべく肌を覆うべきだ、というとんでもない考え方をも表しているのです。

僕たちは今、親世代が引き継いできた女性やマイノリティといった人々の捉え方を変えていく時代に生きています。だからこそ、僕はこの学校の決定にはとても残念なのです。当然、女子は学校でもクロップトップスを着て良いし、男子は少しの肌の露出にも耐えられないような動物でもありません。

エミール・ノアヴァン

私の身体は私のもの

クロップトップスの禁止は、その後約1週間ほどで解除された。同校の学校委員会(上述)が学校側と話し合い、この決定は無効であるという旨が発表された。翌日から女子生徒たちはまたいつも通り、自分たちの着たい服を着て登校するようになった。学校委員会による決定という、民主的なプロセスを経て再び議論され決定がなされたためか、人々の不満の声は落ち着いた様子だ。その一方で、クロップトップスを着ることや、女性の服装への批判については引き続き高校生らがSNS上でクロップトップスを着てデモを続けている。高校生らは、女子生徒の学校生活が性的な視点によって制限されるべきではないと語っている。

改めてこの国の人たちは意思決定のプロセスに非常に敏感なのだなと感じる。そして、たとえ子どもであっても意志があり、それを大人がどのような意図であれ、軽視したり一方的に封じ込めることには、子ども自身だけでなく、大人も批判的になる。そこに近年のフェミニズム的な視点も加わって、女子・女性の服装についての判断も今後さらに変わっていくのだろう。

わたし自身は子どもの頃から育んでこなかったこのような批判的視点からは学ぶことが多い。人々が何に対して怒りを感じるのか、また議論の争点は何なのかなど、時には思いも寄らないことであり非常に興味深い。長く暮らしていても、いつも新しい発見がある。

(2021年8月25日さわひろあやさんのnote掲載記事「『へそ出しトップスで登校禁止』に多くの人々が反発。その理由を探ってみた」より転載)

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