吉田茂氏の「国葬」はどんな様子だったのか。全国でサイレン、弔砲の発射も…写真で振り返る

戦後、首相経験者で「国葬」が執り行われたのは1967年の吉田茂元首相のみ。当時は一般参列者の献花も行われた。

参院選の街頭演説中に銃で撃たれ死去した安倍晋三元首相の「国葬」を、9月27日に日本武道館で行うことを政府が閣議決定した。TBSによると、葬儀委員長は、岸田文雄首相が務めるという。

首相経験者の葬儀は近年、内閣と自民党による「合同葬」が主流となっており、戦後に「国葬」が行われたのは1967年の吉田茂氏のみだ。

この吉田氏の「国葬」は当時、どのように執り行われたのか、写真とともに振り返る。

吉田茂氏の国葬で、献花する参列者(東京・千代田区の日本武道館)=1967年撮影
吉田茂氏の国葬で、献花する参列者(東京・千代田区の日本武道館)=1967年撮影
時事通信社

皇族方や外国特使らが参列、弔砲の発射も

吉田氏の国葬は、1967年10月31日午後、東京・千代田区の日本武道館で執り行われた。

この日の朝日新聞によると、天皇、皇后両陛下のお使いや皇太子ご夫妻ら皇族方、73カ国の外国特使など約6500人が参列。吉田氏の遺骨が午後2時に到着し、防衛庁(当時)の儀仗隊が19発の弔砲を発射したという。

喪主吉田健一氏の胸に抱かれ、吉田邸を出る吉田茂元首相の遺骨=神奈川・大磯町(1967年10月31日撮影)
喪主吉田健一氏の胸に抱かれ、吉田邸を出る吉田茂元首相の遺骨=神奈川・大磯町(1967年10月31日撮影)
時事通信社
吉田茂元首相の遺骨を持って式場に入る喪主の吉田健一氏(中央)。右は佐藤栄作首相(当時)=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
吉田茂元首相の遺骨を持って式場に入る喪主の吉田健一氏(中央)。右は佐藤栄作首相(当時)=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
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弔砲を撃つ防衛庁(当時)儀仗隊=東京・千代田区の北の丸公園(1967年10月31日撮影)
弔砲を撃つ防衛庁(当時)儀仗隊=東京・千代田区の北の丸公園(1967年10月31日撮影)
時事通信社

1分間の黙祷、各地でサイレン

開会の辞の後、1分間の黙祷が行われ、全国各地でサイレンが鳴らされたという。

佐藤栄作首相(当時)らによる追悼の辞の後、皇族方による供花、遺族や外国特使、招待参列者の献花があり、一般参列者の献花に。儀仗隊による弔銃斉射の中、吉田氏の遺骨は午後5時すぎに式場を出たという。

黙とうする人たち=東京・千代田区の北の丸公園(1967年10月31日撮影)
黙とうする人たち=東京・千代田区の北の丸公園(1967年10月31日撮影)
時事通信社
献花される皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
献花される皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
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献花される皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
献花される皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
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献花する外国使節ら=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
献花する外国使節ら=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
時事通信社
献花する一般の参列者=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
献花する一般の参列者=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
時事通信社
献花する一般の参列者=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
献花する一般の参列者=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
時事通信社
献花に訪れた一般参列者の列=東京・千代田区の北の丸公園田安門(1967年10月31日撮影)
献花に訪れた一般参列者の列=東京・千代田区の北の丸公園田安門(1967年10月31日撮影)
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献花のため会場に入る一般参列者=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
献花のため会場に入る一般参列者=東京・千代田区の日本武道館(1967年10月31日撮影)
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官公庁では早退、学校は午後休に

一方、1967年10月25日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)によると、政府は当時、国葬当日の午後について、官公庁は業務に差し障りのない程度に職員を早退させ、国公立の小、中、高校、大学も午後は休校としたという。民間の学校や企業もこれにならうよう要請し、一般家庭にも当日弔旗を掲げ、午後2時前後に1分間の黙祷をするよう要請したという。

また、「競馬や競輪、オートレース、競艇などの公営ギャンブルは当日は開かないと決めた」といい、「NHKと民放連でも当日、ラジオ、テレビの番組を一部変更」し、「葬儀の前後、国葬にふさわしくないと思われるドラマ、歌謡ショー、CMなどはやめる」と報じている。

これに対し、1967年10月26日朝刊(東京本社版)によると、「民間会社や団体は大半が通常通り業務を続け、官公庁のように『午後から業務に差し障りのない程度に早退させる』ことはほとんど考えていない」と報じ、政府が学校の午後の授業を取りやめる方針を決めたことについて、全国の教員や学校職員による労働組合の連合体「日本教職員組合(日教組)」が抗議声明を出したと報じている。

産経新聞によると、今回の安倍元首相の「国葬」にあたっては、生活に影響を及ぼす国民の服喪は求めず、学校や官公庁などは休みにしない方針だという。

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