メンタルが不調な仲間へ「推し」と「どうでもいい雑談」があれば、なんとか元気でいられるかも【2022年 上半期回顧】

ノンフィクション作家・川内有緒さんによる『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』。この1冊との出会いが、不安障害からの回復を支えてくれた。文筆家・青山ゆみこさんによる寄稿です。【2022年 上半期回顧】
川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)
HuffPost Japan
川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)

2022年上半期にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:1月3日)

ノンフィクション作家・川内有緒さんの『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)は発売1週間で増刷。大きな反響を呼んでいる。

5刷決定の報を受けて、私は感動と興奮で涙ぐんだ。なぜなら私はこの『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(以下『白鳥さんとアート』)の熱心なファンだからだ。

これからあなたが読むのは論旨のまとまった分析的な書評ではない。ファンが「推し本」について暑苦しく語るいわば「推し活」である。

補足しておくと、私は2021年9月の発売日にこの本を手にした「川内有緒」ファンでもある。呼び捨てにするのは、「村上春樹」「アキ・カウリスマキ」などと同じ文脈なので、むしろ敬意が含まれていると理解して欲しい。

とはいえ、リアルな知り合いでもあるので、呼び捨てすることに個人的違和感もあるため、今回は有緒さんと呼びたい。「推し」なのに親しげですまない。

「推し活」の一端ではあるが、コロナ禍にメンタルが不調になった人に向けた、いわば「仲間」へのメッセージでもあることも先に伝えたい。『白鳥さんとアート』は、未知の感染症による影響で、心がヨレヨレでもう誰とも話したくない、そんな人にやさしい本なのです。安心してください。

診断名は「不安障害」。できることは本を読むことだった

というわけで、皆さん、人生の調子はいかがでしょうか。 私はハンパなく絶不調でした(きっぱり)。

1年ほど前、パニック発作を体験し、精神科で「不安障害」という診断名と抗不安薬をもらった。

「不安障害」とはざっくりいうと、自分が生みだす「根拠のない不安」が新たな「不安」を生むという病で、なによりしんどいのは「不安のループ」から抜け出せないような思考の囚われだ。

大きなストレスが発症の要因ともなるらしく、思い当たりそうなことを遡ってみた。確かにこの4年ほど、両親の介護や看取り、命に関わる家族の手術や愛猫の看取りなど、立て続けに人生の一大事が降りかかった。

ただ、パニック発作が頻発するようになったあたりは、むしろ平時が戻ったような、特に突発的なアクシデントのない時期だった。それなのになぜ?

オンラインのやり取りで可能な仕事は細々と続けていたものの、体力気力ががくんと落ちて、一日の大半は、なぜ、なぜ、とよくわからない不安に対する自問を繰り返し、出口のない迷路に入り込んだような気分で、家に引きこもっていた。

抜け穴があるはずだ。どこだ。探したい。 外出せず、人に会う気もしない中で私にできることは、本を読むことだった(私の場合はそうでしたが、本を読むのがしんどい人は無理をしないでください)。

skaman306 via Getty Images

「しんどい思考」は脳内のバーチャル小川にリリース

メンタルヘルス関連本を読みあさり、まずは「身体」へのアプローチが必要だと感じ、「自律神経を整える」ために鍼治療に通い始めた。

鍼治療は向いている人そうではない人がいると聞くが、私は前者。心身ともに良い感触があった。

徒歩で10分ほどの距離にある鍼灸院への通院は、「外出の目的」ともなった。春先の陽気な気配が「歩く」楽しさも思い出させてくれた(私の場合、目的のない「散歩」は苦痛とも感じている)。

次は「心」へのアプローチを開始した。

思考のトレーニングに関する本を片っ端から読み、でもただでさえ何かをするのも難しいので、できるだけ簡単そうなものを……と辿り着いたのが、カウンセラーである伊藤絵美さんの『セルフケアの道具箱』(晶文社)だ。

例えば、セルフケア(自分で自分を上手に助けること)のワークの1つ、「大きな布やストールや毛布にくるまれる」。こうした具体的で日常に採り入れやすいワークが、10段階で10個ずつ、細川貂々さんのイラストとともに計100通り紹介されている。

読むことがストレスになるような堅苦しい文章ではなく、伊藤さんのやわらかな語り口、ヨレヨレの身にも「見る」だけでごく自然にすーっと入ってくる「絵」。ハードルの低さが尊い。

著:伊藤絵美、イラスト:細川貂々『セルフケアの道具箱』(晶文社)
著:伊藤絵美、イラスト:細川貂々『セルフケアの道具箱』(晶文社)

その流れで、伊藤さんの主宰するセルフケアのためのストレスコーピング(※)入門の洗足ストレスコーピング・サポートオフィスのオンライン講座を受講した。ライブで5時間の講座を一気に見る集中力がなかったので、視聴アーカイブを10、20分と小分けにして1カ月かけて見た。

伊藤さんの声が毎日耳から入ってきたことで、予習・復習のような効果があったのかもしれない。思考のトレーニングを、パーソナルトレーナーと一緒にコツコツ取り組んだような感触で、併走してくれる存在がいて、完走できた気がする。伊藤さんは時折ご自身の体験も話されて、「仲間」に思えた。仲間、すごく大事だ。

人には何かの出来事があったときに瞬間的にうかぶ考えやイメージがあり、それは「自動思考」とも呼ばれている。次から次へと心にモヤモヤ浮かぶ良いこと、嫌なこと。無意識のうちに「自動」に起きるので、消したり止めたりすることはできない。

ただ、意図して「意識」することはできる。自分にとってしんどいものであるときは、脳内に創った「葉っぱの流れるバーチャル小川」の葉っぱにのせてリリース(放つ)する方法をクセづけた。イメージというのはすごい。よくも悪くも強い力を持つのだと実感している。

自動思考は誰にもあるものなので(その事実も驚いた)、「気にならない」ならそれでいいそうだ。

※ストレスコーピング…「コーピング」は「対処する」の意味で、ストレスに対処するためにとる行動のこと。

「推す」こともまたセルフケア

さて、伊藤さん自身も採り入れているワークの1つに、「推す」というものがあった。自分の好きな人やものを誰かに話したり、見たり、聞いたりするのは、悪くない感じに気が紛れそうだ。

そういえば、周りの中高年層で、BTSに沼ってARMYになった人も少なくない。タカラヅカの熱心なファンの人、韓流ドラマにハマり韓国語まで習得した人、みんななんだか楽しそうだ。

そうか、「推し」か。ほとんど引きこもりの私にもできることはあるだろうか。そうだな、「読む」ことはできる。そういえば気にいった本を「すごい」「おもしろい」という語彙力のなさを発揮しながら、熱心に「推す」ことは不調な時から継続しているぞ。

お試し的に、「推し」たい本を意識して熱心に「推す」ようになった。『セルフケアの道具箱』も「推し」の1冊だから、この記事でもこうして長々と「推し」ている。

SNSで反応してくれたすべての人に、この場を借りて御礼を言いたい。

川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)
川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)

満を持して出会った1冊。ついに推し活はじまる

思考のトレーニングを始めて3カ月ほど、気がつけばメンタルが低めとはいえ安定し始めた。そんな折り、満を持したように出会ったのが『白鳥さんとアート』である。

あまりに面白く、すぐに読み終わることが勿体なくて(せこい)、鑑賞する作品ごとに展開する12章のうち、1日1章に無理に止めたほどだ。読み切り漫画のように読めたことも、無重力のような「無集中力」全開の私にはありがたかった。

ちびちびとスルメでもしがむように読んだことで、SNSでの推し活投稿は小刻み、自然と回数が増えた。「推し仲間」を探して、「エゴサ」ならぬ「推しサ」。共感した投稿は嬉しくなってRT(リツイート)。ポチッとスマホを押す度に「一人じゃない」気分がした。そんな瞬間は「不安」はどこかに消えている。精神科で処方された薬は飲まなくてよくなった。

1カ月近く推し活をしていたら、福岡の唐人町にある書店「とらきつね」にて、その階上で学習塾を運営する鳥羽和久さんが、『白鳥さんとアート』をテーマに、有緒さんを招いたトークイベントを開催すると聞いて驚いた。鳥羽和久さんの著書『おやときどきこども』(ナナロク社)も、昨年からの「推し」の1冊だったからだ。

親子の関係がしんどいのはなぜなのか。鳥羽和久さんの語りに、「親」ではないけれど、かつて「こども」だった私は多くのヒントをもらっていた。著者の鳥羽和久さんのファンにならないわけがない。その鳥羽さんが自分の「推し」である有緒さんと対談とは……。

「川内有緒×鳥羽和久」は、「推し×推し」夢の共演トークイベント。 ファンとして、いくら重たいお尻でも上げずにはいられない。折しも緊急事態宣言解除後というタイミング。思わず新幹線のチケットを予約していた。

深い考察に満ちた、知性とユーモアにあふれる二人のトークセッションは、今も時折、脳内再生している。

推しに背中を押されるように、ひっそり停滞していた私の「誰かとの関わり」はにわかに活発化した(マスクして、離れつつ……)。同時に、自分のことを考える時間がどんどん減っていった。人と関わって動いている間は、思考が「自分」に居着かない。

鳥羽和久『おやときどきこども』(ナナロク社)
鳥羽和久『おやときどきこども』(ナナロク社)

さて、賢明な読者は、本題である『白鳥さんとアート』の内容について、まだ私がほとんど語っていないことにお気づきだろう。何かに沼っている人は「雰囲気」だけでついてきてくれているかもしれない。落語でいうと「マクラ」部分が長すぎやしないか。雑談みたいなどうでもいい話ばかりじゃないか。

そのとおり。

私が伝えたい大きな1つは、『白鳥さんとアート』から感じた「雑談の偉大さ」であり、その雑談がメンタル不調な人にとって有効かもしれないという可能性だ。

だってさ、しんどいときに、深刻なことばかり聞かされるのは、まあまあしんどいよね。

「不安のループ」に陥ったとき、初めて「こんなに苦しいなら生きることをもうやめたい」とまで感じた私が言うのだから、深刻な人には気楽に届いて欲しいと心から願う。 ※後編につづく

(文:青山ゆみこ 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)