東京ディズニーランド40周年。まだ建設中のパークをミッキーマウスは歩いていた。その貴重な姿に「今まで見た中で一番エモい」

40年前の開園当日の来園者「ここまでのテーマパークになるとは」。当時の証言と貴重な姿とともに振り返る、東京ディズニーランド誕生までの過程。
東京ディズニーランドのシンデレラ城。1983年のパーク開園からシンボル的存在となってきた
東京ディズニーランドのシンデレラ城。1983年のパーク開園からシンボル的存在となってきた
時事通信社

2023年4月15日、東京ディズニーランドは開園40周年を迎えた。1983年のオープン以来、日本のみならず海外からも来園者が訪れる一大テーマパークへと進化を遂げた。

常に新たな価値を生み出しリピーターを増やしてきた東京ディズニーランド。一度は訪れたことがあるという人も多いだろう。皆さんにはどんな想い出があるだろうか。

今から遡ること40年以上前、ミッキーマウスはまだ建設途中の段階であった東京ディズニーランドのパークを歩いていた。その姿がおさめられた1枚の写真がある。その姿が「今までで見たミッキーの中で一番エモい」「歴史を感じる」と話題だ。

その貴重な姿を、東京ディズニーランド誕生の過程とともに見ていこう。

開園当日の来園者「ここまでのテーマパークになるとは」

東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランド。その公式サイトには東京ディズニーランドが開園するまでの歩みが紹介されている。

1979年4月に「東京ディズニーランドの建設および運営に関する契約(基本契約)」が締結され、1980年11月に千葉県から建設実施計画の認可を受け、同年12月3日に東京ディズニーランド着工式が執り行われた。

建設に関わる当初の予算は1000億円だったが、最終的な総事業費は約1800億円まで膨れ上がった。それでも当時の高橋政知社長は「妥協はするな。本物を造れ」と伝えていたという。

そして、1983年4月15日、東京ディズニーランドは開園した。開園日当日はあいにくの雨だった。

開園日に訪れたという埼玉県在住の女性は、ハフポストの取材に対し当日のことをこのように話す。

「偶然、開園日に友人と2人で行けることになって。せっかくの記念日なのに雨だったという印象が強く残っています。40年前はここまでのテーマパークになるとは正直思っていませんでしたから。驚きもあります。ワールドバザールを抜けると遠くに大きなシンデレラ城が見えて、あの時の興奮は忘れられないですね」

この40年で開園当初のパークに存在したアトラクションや店舗施設の数々は閉鎖し、新たに生まれ変わった。それでも残り続ける景色もある。ワールドバザールからの景観もその1つだ。

東京ディズニーランドのワールドバザールからの景観
東京ディズニーランドのワールドバザールからの景観
Tomohiro Ohsumi via Getty Images

「東京ディズニーランド」と言えば、何を思い浮かべるだろうか。“代名詞”の一つとなっているのは夜のパレードだ。

今でも多くのファンに語り継がれる「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード」がスタートしたのは1985年の3月だった(1995年6月に終了)。それから「ディズニー・ファンティリュージョン!」の公演を経て、同パレードは「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ」として生まれ変わり、現在も毎夜公演している。

夜のパレードルートを煌びやかなフロートが1台ずつ通っていく。そんなパークの光景が浮かぶ人もいるだろう。パークのオープンから6年後、1989年生まれの筆者も子どもの頃に初めて夜のパレードを見た時の感動は今でも鮮明に覚えている。

建設中のパークを歩くミッキーがひたすらエモい

開園前の貴重なシーンをおさめた写真がある。まだ建設途中の段階であった東京ディズニーランドのパークを歩いていたのは、なんとミッキーマウスだった。ディズニープラスの公式Twitterが2020年に公開している。

背景にあるのは、トゥモローランドに今も存在するアトラクション・スペースマウンテンだ。写真ではこのアトラクションもまだ建設中だったことが分かる。この貴重な姿に「今までで見たミッキーの中で一番エモいかも」「とても歴史を感じる一枚」と反応するファンもいた。

さらに、ミッキーマウスの足元を見るとまだ道すらできていない。まさに“未開の地”から始まったことが伝わってくる。

ウォルト・ディズニーはこんな言葉を残している

「ディズニーランドは永遠に完成しない。この世界に想像力が残っている限り、成長し続ける」

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「ファミリーエンターテイメント」を掲げて進化を続ける東京ディズニーリゾート。ジェンダー平等やダイバーシティへの取り組み、進むデジタル化や相次ぐ値上げの中で顧客満足度をいかに向上させるかなど課題も多くあるが、“唯一無二”の空間として、これからも幅広い世代の来園者を楽しませてほしい。

(取材/文:小笠原 遥)

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