「はみ出してしまう人間のおもしろさが好き」若新雄純さんがひきこもりの若者と事業をつくる理由

「人間という存在の捉えどころのなさや、思い通りにならない複雑さと向き合うのっておもしろい」。プロデューサーであり、大学教員でもある若新雄純さんが手がける事業の核には、こうした思いがあるという。
NEWYOUTH代表、慶應義塾大学特任准教授など兼任する若新雄純さん
不登校新聞
NEWYOUTH代表、慶應義塾大学特任准教授など兼任する若新雄純さん

「はみ出してしまう人間のおもしろさが好き」と語るのは、従業員全員が若年無業者という「NEET株式会社」を立ち上げたプロデューサー・大学教員の若新雄純さん。

「はみ出したままでOKな場」をなぜつくるのか、お話をうかがった。

――若新さんは学生時代、どのような子どもでしたか?

小学生のころは活発で、勉強もよくできる子どもでしたね。学校の先生だった両親からは「お前はなんでもできる子だね」と言われて、ちやほやされることが多かったです。うれしかった半面、今ふり返ると「なんでもできる特別な人間じゃなきゃいけない」という強迫観念にもなっていたと思います。

中学高校ではそうした相反する思いが顕著になりました。背が高く、バンドも始めて、僕はスクールカーストのトップのほうに居続けようとしていました。ただし「輪の中心にいないと自分に価値がない」「カーストのトップでいなければならない」という思いが窮屈でもあったんです。

「学校生活、充実してます」という自己演出をしながら、実際は深い友人関係を築けていたわけではない。「自分って何だろう、何がしたいんだろう」とずっとモヤモヤしていました。あのころが一番毎日が重々しかったと思います。

そんなふうに悶々とすごしていたんですが、高校を卒業するすこし前、突然「素直」という言葉が頭から降ってきました。自分の人生を納得のいくものにするためには、自分の感覚に素直であることが大事なのでは、と考えるようになったんです。

人に対してカッコつけたり、思ってもいないことを言ったりするのではなく、僕は本当はどう振る舞っていきたいのかを徹底的に考えてみよう、と。自分を演出することをやめたんですね。それ以降は「僕はどうしたいのか」をつねに考えるようになりました。

「元に戻す」は、ただのお節介

――さまざまな事業を手がけるなかで、核になっている思いはなんですか?

「人間という存在の捉えどころのなさや、思い通りにならない複雑さと向き合うのっておもしろい」ということですかね。人間のめんどうくささを問題だと捉えるのではなく、どうおもしろくつき合っていくかだと思っています。

NEET株式会社なんて、この点を凝縮したプロジェクトですね。僕は「はみ出している」「ズレている」ということが好きなんですよ。溢れ出ているものや、こぼれているものを深掘りしていくと、何かが見つかるような気がするんです。

「こぼれているものをすくい上げてあげたい」「元に戻してあげたい」というわけではないんです。それはただのお節介だと思います。そうではなくて、はみ出すおもしろさや、はみ出てしまう人間のおかしさ、可愛らしさのようなものをただ感じたい、ということです。

――そんなはみ出し者たちを見てきて、どんなことを感じてきましたか?

みんなプライドが高く、自分の存在意義をすごく求めていると感じます。

ひきこもりながらも「自分は特別だ」と言いたがっている。だけど実際何かをしようとすると、うまくいかなくて自己嫌悪に陥ってしまう。それをすごく恐れていますね。失敗したら「自分は特別だ」と言えなくなってしまうから。

とはいえ、このまま何もしないでいても、どんどん時間が経って腐っていってしまう、という。そうした葛藤をすごく感じます。

でもそんなはみ出し者たちの不器用さが、言い方は適切ではないかもしれませんが、僕にはとてもおもしろく見えるんです。

それに、はみ出し者に光を当てる理由はほかにもあります。現代社会のさまざまな問題に突破口を見つけ出すためのヒントを、はみ出し者たちは持っていると思うんですよ。

社会のレールに乗ってきた人たちがつくってきたルールや常識はある程度の期間、うまく機能します。でも、歴史を見れば永遠に続くものではないですよね。時代を経るごとに新陳代謝が起きなくなって、硬直化していきます。そんなとき、内部からルールを変えるのは難しいです。たとえば学校や不登校の問題にしても、学校に通える人たちが、通いながら不登校について考えるのは簡単ではない。

それにくらべてはみ出している人たちは、はみ出てしまった元の母体に対してつねに敏感で、改革のヒントをたくさん持っています。だから、ブレイクスルーを起こすためには、はみ出し者たちが必要なんです。

――革命を起こすために、はみ出していない人たちと戦って変えていけばいいのでしょうか?

たしかにはみ出し者たちは革命を起こせるかもしれません。でもはみ出していない人たちと対立してしまうと、力を持っていないのでつぶされてしまう。

だから戦うんじゃなくて、ユーモアが必要になるのだと思います。「こいつら、偉そうにしやがって」「成功しやがって」という気持ちで正面から戦うのではなく、はみ出したからこそできるやり方で勝負すればいい。

たとえば、今NEET株式会社に所属しているあるメンバーは「ゲームのレベルアップ代行サービス」でお金を稼いでいます。

とある人気ゲームの特殊なステージをクリアするのがすごく大変らしいのですが、彼はネットに「1回5000円でやります」と書き込んだ。そしたら20件ほど応募がきたそうです。彼自身も努力して、今では15分でステージをクリアできるようになって「今オレは15分で5000円稼げるんですよ」と話していました。

ニートらしいユーモアあふれる働き方の1つですよね。そんな生き方を、レールに乗って生きてきた人たちが見て、「あれ? 自分の生き方が正しいと思っていたのに、はみ出している奴のほうが稼げてない?」「あっちのほうが楽しそうじゃない?」と立ち止まるようになったら、変化が起こると思います。

若新雄純さん
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若新雄純さん

若者に感じる愛情の格差

――ユーモアで社会を変えていくということは大事ですね。今の社会は、はみ出し者どうしで戦い、傷つけあっているように感じます。

僕がつき合ってきたひきこもりやニートの若者たちのなかに、1つ大きな格差があると感じています。それは愛情の格差です。親などから愛情を与えられてきたか、与えられてこなかったかの格差です。愛情を与えられてきた人は、他人とぶつかったときにある程度相手を許せるんです。そういう人はみんなから慕われて前に進む。学歴がなくても貧乏でも、見た目がイケてなくても関係なく他人から愛されるんです。

一方で人に愛されたという感覚に乏しい人は、他人を許せず自分を守るために攻撃的になってしまう。そうするとまわりの人が去っていってしまう。チャンスを逃してしまうんです。

たとえどんな状況になったとしても、親や身近にいる人が「いいじゃないか、健康なんだから」「生きているだけでハッピーじゃないか」と、その人の存在自体に価値があると言えるかどうか。それとも、「なぜ学校へ行かないんだ。行かないと仕事もしていけないし、クズだぞ」と否定してしまうかどうか。

仮に否定され続けたとしたら、本人はそう言われることを避けるために、他人に対して攻撃的になってしまうと思うんですよね。何があろうと「あなたは家族にとって最高の存在である」とちゃんと伝えることが大事なんです。

自分がどんな存在であっても、何も持っていなくても、それによって自分の価値が失われるわけじゃない、とわかっている人は愛情を持てる。心に余裕が生まれ、仲間を見つけて人に頼ったり頼られたり、その人なりの活動をできている気がしますね。

はみ出したままでOKな居場所を

――はみ出し者として、どういうふうに大人になっていけばいいですか?

自分以外の人に出会うなかで、意見が合わなかったり考えがズレることはたくさんあると思うんですよ。そのときに、自分との違いにおびえないこと。

同じであるほうが安心だと思う気持ちはわかるけど、違うことを怖いと思わなくていい。堂々と「こんなに違うのか」と違いを楽しめばいいんです。そうすれば、はみ出すことを恐れず、人との違いを味わいならが生きることができる気がします。

そして社会のなかに、はみ出したままでOKな場がもっとたくさんできるといいですね。「みんなで社会をよくしよう」「みんなはクズじゃないんだ」という居場所はあるけれど、それだけじゃつまらない。

第一、「俺はクズかもしれない」と思っている人に対して、「あなたはクズじゃないよ」というメッセージは本当に有効でしょうか。だって「クズしゃないよ」って言われたら、自分がクズではいられなくなるじゃないですか。

僕がNEET株式会社でやってきたことは、すべてのクズがクズのまま居られる場なんです。「いやーみんなクズだな、いいね!」って言い合える場です。そういう場所がもっと増えてもいいと思うんですけどね。

僕はロックミュージックにめちゃくちゃ影響を受けてきました。

でもロックって長いあいだ、舐められてきたと思うんです。バンド演奏されるロックやポップスのことを「軽音楽」と言いますよね。クラシックや伝統的な音楽に対して「軽い音楽」と舐められてきた。でもそんな「軽音楽」が、僕を含めた多くの人に感動を与え、人生を一変させるほどの衝撃を与えてきたんですよ。

そんなロックの歴史をふりかえって思うのは、僕は「軽人間」でありたい、と。軽音楽があるように、軽人間もあっていいと思うんですよ。

それはいい加減に生きる、ということではなくて、真面目に生きすぎないようにしたいということです。でないと、みんながよいと信じている価値観に縛られてしまうし、みんなが何かを選んだときに、同じものを選ばなければいけないような気になってしまう。

でもそんなときに、クラシックに対してロックという「はみ出し者」がいたように、自分も常識やルールからはみ出していたい。そうすれば、多少ヘンな目で見られても、自分のやりたいことを追求していけますからね。

――ありがとうございました。

(聞き手・古川寛太、編集・高山かおり、茂手木りょうが)

【プロフィール】

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)

福井県出身。実業家、プロデューサー。慶應義塾大学特任准教授、株式会社NEWYOUTH代表取締役などを兼任。新しい働き方や組織、地方創生・まちづくり、キャリア・教育などに関する実験的企画や研究活動をプロデュースする。愛称は「わかしん」。テレビ、ラジオ等のコメンテーターとしても活躍中。

(この記事は2023年8月29日の不登校新聞掲載記事「『めんどくさい』のがおもしろい 僕がひきこもりと事業をつくる理由【全文公開】」より転載しました)