MEGUMIさんが「待つのをやめた」理由。刺激をくれたのは、芸能界の“外の世界”だった【インタビュー】

「サステナブル重視が時代の流れ。でも芸能界だけその視点が抜け落ちてる」。MEGUMIさんは経営者やプロデューサーの立場を経験し「考え方や感性も柔軟になれる」と話します。
MEGUMIさん
MEGUMIさん
Ayako Masunaga

「芸能の世界で、役者は受け身の仕事。呼ばれないと稼働ができないことの苦しさを感じてきました」

そうかつての葛藤を口にするのは、俳優・タレントのMEGUMIさん。「声をかけられるのを待つ」状況に悶々とした思いを抱くこともあったという。しかし、そこから抜け出すことができたのは、経営者の視点を身につけ、仕事への向き合い方が変わったからだと、MEGUMIさんは振り返る。

今はプロデューサー業への挑戦の真っ只中。「女性の痛みや想いに寄り添いたい」と考えて作品を作り、ドラマの撮影現場では廃棄野菜を使ったロケ弁を提供するなど、サステナブルな取り組みも行っている。

いろんな立場を経験することで「考え方や感性も柔軟になれる」と話すMEGUMIさん。インタビューで詳しく聞いた。

「待っていてはいけない」と決意したコロナ禍

Ayako Masunaga

時代が変わるんだろうな、これからは待っていてはいけない

2020年、コロナ禍に入ってすぐにそう直感した。これがMEGUMIさんがプロデューサーになったきっかけだった。

「役者は『〇月〇日に台本を持って、ここに来てください』と言われる、受け身の仕事。呼ばれないと稼働ができないことの苦しさを感じてきました。

これからは自分で発信したいと思い、1回目の緊急事態宣言の時、インスタグラムでドラマ『CLUMSY JOURNEY』を作りました。グリーンバックをネットで買って出演者のみなさんの家に送るところから始めて、大きな成功体験になりました。フリーペーパーの編集長やお店の経営など、昔から人を集めて0から1を作る感覚が好きだったんです

「自分の喜びはこれだ」とひらめき、すぐに事務所のマネージャーに映像のプロデュースをやりたいと伝えた。そこからYouTubeドラマやCMなどからプロデューサー業に乗り出していった。

▼インスタグラムで発表したドラマ『CLUMSY JOURNEY』

「私がお金集めます!」と宣言するも…

一番の挑戦であり、最も過酷だったのが、漫画家・浅野いにおさん原作の『零落』で初の長編映画プロデューサーを務めたことだ。一生忘れられない出来事。クランクアップを迎えた時は涙が止まらなかったという。

「監督の竹中直人さんの熱意に感動して、酔った勢いもあって『私がお金集めます!』って宣言しちゃいました。やったこともなかったのに。

そこから、いろんなことが手探りで紆余曲折がありました。配給や制作会社が決まったのに降りられて、役者もなかなか決まらず、吹けば飛んでいきそうな状況で。私自身もずっと不安で、朝起きた瞬間から『お金集めなきゃ…』って追い込まれていました

資金調達や配給・制作会社などを見つけるため、多くの企業や人に自分の足で会いに行った。企画が甘すぎると厳しく言われたこともあり、プロデューサーの苦労を心身ともに味わった。

自分が甘いところは認めて、どうしたら旨みを感じてもらえるか、何度も企画書を作りました。『これ面白いんですよ、海外の映画祭狙ってて』って言っても、私にプロデューサーとしての実績があるわけじゃないから、『そうですか』で終わりますから。特に映画はお金がかかるから社運を賭けるようなこともあるし、向こうも本気。いつも究極のやりとりです

アイデアが出てこない時は、経営者やプロデューサーらのインタビューを片っ端から読んだり、人に相談したりしてヒントを探ったという。

MEGUMIさんは「もう、場数を踏むしかないですよね。今ちょっとずつお金を集めるのが得意になってきたかもしれないです」と言って笑う。

プロデュースを始めた当時は、事務所のマネージャーと右も左もわからないまま行動していた。そんな時に出会ったのが、コンテンツスタジオのBABEL LABELであり、同社に所属し映画『余命10年』などで知られる藤井道人監督だった。今年2月、MEGUMIさんは同社にプロデューサーとして所属することを発表した。

「藤井さんの作品に出演した時に、プロデューサー業をもっとやっていきたいという話をしたら、BABELに誘ってくださいました。資金集めやスタッフィング、キャスティングなどで感じていた自分の痛みを理解して、解消したいと言ってくれたのが本当に嬉しかった。

藤井さんだけじゃなく、BABEL自体が時代の先を見ながらスピーディに進める集団。人としての感覚や目標が似ているから、いい化学反応を起こして一緒に面白い作品を作っていきたいですね

Ayako Masunaga

経営で培った「地図を描いて走る」仕事術

プロデューサー業では、経営者の経験も活きた。

MEGUMIさんは芸能活動と並行して、2016年に石川・金沢で地元食材などを使った「cafe たもん」を開き、オーナーを務めてきた。

伝統的な建物が並ぶ観光地・ひがし茶屋街で、築100年以上の町家をリノベーションしたカフェの経営。オープンに漕ぎ着けるまでの1年間、物件を借りるために月に一度、一人で企画書を持って、東京から金沢行きの新幹線に乗った。

自分の手で商売をやることで、芸能の世界だけでは身につけられなかった感覚を得ることができたという。

経営者の方は、球を投げ続けているんですよ。カフェの取引先の経営者と話していても、70代だろうが80代だろうがみなさん悩んでいる。それは健全なことで、球が外れても気にしなくていいんだと勇気をもらいました

芸能界は、声をかけられるのを待つ、どこか悶々とした世界だと感じてきました。でも地図を描いて、そこに向かって走るという考え方を、自分でお店を経営して、たくさんの経営者と会うことで磨くことができた。いろんな職種、年齢、地域、境遇の人たちに会うことで、考え方や感性も柔軟になり、世の中の風向きにも敏感になれると感じています

Ayako Masunaga

廃棄野菜を使ったロケ弁「芸能界にもSDGsの考え方を」

芸能界の「外」の社会や人との繋がりも大事にしてきたことは、芸能の仕事にも還元されている。

プロデューサーを務めたドラマでは、撮影現場に廃棄野菜を使ったロケ弁を準備した。

一般的な企業はサステナブルを重視するのが時代の流れです。廃棄野菜の有効活用や、労働者の環境が守られていることなどが重視されている。でも、芸能界だけその視点が抜け落ちてるなと思ってきました

毎日のハードな撮影で、楽しみが食事しかないこともあります。だから絶対に身体に良くて美味しいお弁当にしたいと考えていたのですが、加えて、芸能界にも環境問題やSDGsの考え方を入れていかないとと思って。

メディアや広告では『SDGsやサステナブルが大事』などと言って、影響力もあるのに、芸能界では実態が伴ってないとなると、それはダメなんじゃないかなと。現場でも好評で、会話が広がるきっかけにもなりました。小さな取り組みですが、そういう社会の課題は影響力のある人たちにも知ってもらえたら。今後の現場でも取り入れるつもりです

▼ドラマの撮影現場で提供した、廃棄野菜を使ったロケ弁

「40歳をすぎた今、仕事とアイデンティティが合致してきた」

自分の考えを発信するうちに、周囲から信頼を得て、共に新しい仕事をしたり、刺激をくれる仲間も増えてきた。MEGUMIさんは、そんな状況に今でこそ手応えも感じているが、実は、活動を広げていく過程では否定や反対の声も多かったという。

「グラビアアイドルからキャリアを始めて、産後、俳優をやりたいと言っても『え、ママタレントでいいじゃん』と笑われました。昔は『グラビアアイドルが映画に出るなんて』というムードもありましたね。

プロデューサーになった時も『プロデュースってどこまでやってるの?名前貸してるだけ?』と聞かれたり、“お飾り”扱いされたり…否定的な声がとにかく多かったです

周りの反応にどう反論したのかと尋ねると、「反論はしないです。だって、その人たちは責任を取ってくれるわけじゃないし、思いつきで言ってるだけですから」と、きっぱりとMEGUMIさんは言う。

「悩んだことはありましたよ。でも、私が尊敬する安藤忠雄さんやイチローさんも否定されてきたと知りました。あのお二人でさえ否定されるんだったら、そういうものなんだなと。誰もやってないことだから否定されるんだと考え方を変えて、クソーっていう悔しさはエネルギーに変えていくことにしています

Ayako Masunaga

他人の言葉より、まずは自分の強みや「やりたい」という気持ちを尊重しながらキャリアを築いてきたというMEGUMIさん。役者にタレント、プロデューサー、経営者…いくつもの「肩書き」を持つが、それぞれの垣根を越えて、時にミックスさせることで新しい挑戦を続けてきた。

「最近はそういう私のマルチ気質なところや、自分で発信するところを『いいね』と言っていただけることも増えてきて、本当に嬉しいです。

40歳をすぎた今、これまで仕事でやってきたことと自分のアイデンティティとが合致してきたなと感じています。独自の目線や感覚を発揮できる仕組みを自分の中に作ることができ、その一つがプロデューサーという仕事です

と言っても、私もまだ道半ばです。プロデューサーになったからには、映画作りの予算の問題にも本気で取り組まなければいけないし、海外のクリエイターと一緒に作品を作るために、英語の勉強も毎日続けています。ワクワクする仕事を待つのではなく、自分でどんどん作っていきたいーーそれが今の私を支える情熱です

Ayako Masunaga

(取材・文=若田悠希 撮影=増永彩子)

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