北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本という国に生を受けたことを幸せに思います」

両陛下に向けた、北野武さんのユーモアあふれる祝辞が反響を呼んでいます。
天皇陛下御即位30年奉祝感謝の集いで祝辞を述べる、タレントで映画監督の北野武さん(ビートたけし)=4月10日、東京都千代田区の国立劇場
天皇陛下御即位30年奉祝感謝の集いで祝辞を述べる、タレントで映画監督の北野武さん(ビートたけし)=4月10日、東京都千代田区の国立劇場
時事通信社

天皇陛下の即位30年を祝う式典「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」が4月10日、東京・国立劇場で開催された。天皇皇后両陛下のご結婚60年の記念日に、映画監督の北野武さんが両陛下への祝辞を述べた。

祝辞では、「両陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』ではないということを祈るばかりです」などと北野さんらしいブラックジョークを交えつつ、被災地に寄り添う両陛下への感謝の思いを吐露。ユーモアあふれる祝辞が反響を呼んでいる。

祝辞全文は以下の通り。

お祝いの言葉。天皇皇后両陛下におかれましては、御即位から30年の長きにわたり、国民の安寧と幸せ、世界の平和を祈り、国民に寄り添っていただき、深く感謝いたします。

私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて、日の丸の旗を持つ大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりました。

母は私の頭を押さえ、「頭を下げろ!決して上げるんじゃない」と、ポコポコ殴りながら「バチが当たるぞ」と言いました。私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。そうしないと、バチが当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。

そういうわけで、お姿を拝見することは叶いませんでしたが、おふたりが目の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました。

私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成28年のお茶会の時でした。

なぜか呼ばれた私に、両陛下は「交通事故の体の具合はどうですか。あなたの監督した映画を観ています。どうかお体を気をつけてください。頑張ってください」と声を掛けていただきました。この時、両陛下が私の映画のことや体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました。

ただ、今考えてみれば、両陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』ではないということを祈るばかりです。

また、おみやげでいただいた銀のケースに入っている金平糖は、今や我が家の家宝になっており、訪ねてきた友人に1粒800円で売っております。

5月からは、元号が「令和」に変わります。私がかつていたオフィス北野も、新社長につまみ枝豆を迎え、社名を変えて『オフィス冷遇』にして、タレントには厳しく当たり、変な情をかけないことと決めました。

私は、自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも陛下が、1月1日の四方拝を始め、毎日のように国民のために儀式で祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることは、知ってました。

皇后陛下におかれましては、「皇室は祈りでありたい」とおっしゃいました。

お言葉の通り、両陛下は私たちのために、日々祈り、寄り添ってくださっていました。私は、感激するとともに、今、感謝の気持ちでいっぱいです。

平成は平和の時代であった一方、災害が次々と日本を襲った時代でもあります。

その度に、ニュースでは、天皇、皇后の両陛下が被災地をご訪問され、被災者に寄り添う姿が映し出されました。平成28年8月、陛下は次のように述べておられます。

「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」

国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること、そのお姿に私たちは救われ、勇気と感動をいただきました。

改めて、平成という時代に感謝いたします。また、ずっと国民に寄り添っていただける天皇、皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に生を受けたことを幸せに思います。ありがとうございました。

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