日本人ジャーナリスト4、5人とアメリカ人がたしか2人、中年男だけのパーティだった。何年前か憶えていない。
すでに六本木ヒルズが出来ていて、ヒルズの近くに住む米人W氏がベランダで焼いたバーベキューを食べながら飲み、かつ喋った。
主客は来日したロビン・ベリントン氏という東京アメリカンセンター館長を最後に退官し、アメリカの動物園で爬虫類の飼育係をしている人で、カリフォルニア・ナントカという大蛇に噛まれた経験がある。
話題が出尽くし、夜が更けた。私は何のきっかけか、ヘンな話を始めた。
「この間、東京駅で人と待ち合わせをしたんだ。早く着いたので、カフェ・ド・コロンビアという喫茶店に入って丸の内南口を通る人々を観察した。そのとき痛感したんだが、みなさん日本はもはやアジアの国ではないよ。ここは西欧だ。東京駅は、北京やバンコクよりアムステルダム駅に似ている。日本は西欧だ。このことを忘れちゃダメだよ」
そう言ってから、私は夕方の東京駅で見た情景を物語った。
6時少し前だから、工事中の丸の内南口は帰宅ラッシュ前だった。
幼い女の子を2人連れた紳士が入ってきた。小さい鞄を提げている。電光掲示板に出ている新幹線の出発時刻を見て、自分の腕時計で確認し、可愛いオーバーを着た娘2人の手を引いて改札口を入っていった。
若い、格好のいい女性が入ってきた。この人も急いでいない。やはり掲示板を見て、人の流れから少し離れた位置で人を待つ姿勢に入った。人々は行儀よく、彼女を避けて改札口へ流れていく。
私の入った喫茶店は、駅が工事中の時だけの店らしく、200円か300円で立ったままコーヒーを飲めるセルフ・サービスの店である。
ほんの10分ほどの印象だったが、私はあたふた急いでいる人、大声で叫ぶ人を1人も見なかった。大きい荷物を運び込む人もいなかった。
アジアの駅とは思えない。アムステルダム中央駅に模して建てたと言われる東京駅だが、そこには本家のアムス駅以上にヨーロッパ風の光景があった。もはやアジアの風景ではない。私はそう強く感じた。
アムスでもパリ北駅でも、貧しい人々の姿をもっと多く見かける。東京のようにwell-dressedでお行儀のいい終着駅は、世界に2つとないんじゃないか。
顧みて50年の昔、NYグランド・セントラル駅のオイスター・バーは、月190ドルで暮らしている日本人留学生には、近寄り難い高級レストランに見えた。
今からほぼ25年前、当時ソ連のゴルバチョフは、西側に向かって降伏の白旗を振った。舞台は劇的に回った。
ベルリンの壁が倒された。泣く子も黙る「ソ連政治局員」の権威が失墜した。天安門広場に百万人が集って、抑圧的な体制に抗議した。東欧の独裁者は、チャウシェスクを筆頭にバタバタと倒れた。
社会主義の「実験」に失敗した世界は、改めて日本を見た。戦力を放棄し、日米安保条約によって米国の庇護の下にゼニ儲けにいそしみ、世界のどこにも敵を作るまいと小心翼々やってきた日本は、世界中が模範とすべき国に見えた。
しかし、それから20余年が経った。アラブの春がムバラクの退陣を招いた頃から、風向きが怪しくなった。
北京政府はチベット、ウイグルを圧倒的な漢族の力で押し切ろうとしている。プーチンのロシアは、ピョートル大帝の頃の栄光よ再びと狙っているらしい。シリアのアサドは頑として譲らない。その昔、洗者ヨハネの首を銀の盆に乗せて舞ったサロメに満悦したヘロデ王が現代に生き返ったかのようである。
中国がいい例だが、現代の独裁者は相手と対等の立場で「話し合う」「譲り合う」ことを知らない。南シナ海へ大量の土砂を運んで岩礁と岩礁を繋ぐという強引な手段に訴える。
政治的には自由選挙を土台にする民主主義。経済的には企業に自由な経済活動を認める資本主義。それと報道・言論の自由の三本柱が組み合わさって、初めて国民の意志は正しく政治に反映され、国民は自由に幸福を追求できる。それが民主主義というものだと、われわれは70年前に進駐軍から教えられた。
向こうはB29 や原爆を持っている。こちらは丸腰。彼らの命令に従う他なかった。
さいわいにも戦後日本人の選んだ従順は、繁栄を連れて来た。しかし近頃の世界の情勢は、民主主義が終点まで行って、もはや独裁者を捻(ね)じ伏せる力を失ったのではないかと疑わせる。
オバマ氏は、イラクへ僅か数百人の軍事顧問団を送ることでお茶を濁すハラらしい。かつて米軍はモグラのようにドルの札束を抱いて地に潜んだサダムを掘り起こして吊るした。何という差だろう。
不吉な予感だが、かつて民主主義と経済的繁栄が手を取り合っていた時代が終わり、独裁者が世界の主流になる世の中が来たのではないかと私は思う。東京駅で見た、あの美しく余裕ある寸景は、価値観が回れ右した世界の中で、最後尾に着くことになるのではないか。日本から幸福が去って、まもなく悲惨が来るのではないか。
徳岡孝夫
1930年大阪府生れ。京都大学文学部卒。毎日新聞社に入り、大阪本社社会部、サンデー毎日、英文毎日記者を務める。ベトナム戦争中には東南アジア特派員。1985年、学芸部編集委員を最後に退社、フリーに。主著に『五衰の人―三島由紀夫私記―』(第10回新潮学芸賞受賞)、『妻の肖像』『「民主主義」を疑え!』。訳書に、A・トフラー『第三の波』、D・キーン『日本文学史』など。86年に菊池寛賞受賞。
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(2014年7月9日フォーサイトより転載)