ハフィントンポスト日本版 ブログエディターの坪井遥です。
このたび、「ハフポストブログレビュー」という連載を始めます。
いまウェブ上には、なにげないつぶやきから力の入ったオピニオンまで、様々な言論があふれています。ハフポスト日本版でも、その一部を「ブログ」として掲載し、読者の皆様にお届けしています。
しかしそれらは、情報の大波に流され、またたく間に忘却の彼方へと消えていってしまいます。情報爆発の時代における自然の摂理なのかもしれませんが、本当はもっと読まれる言葉がそこにはあるのではないか。届くべき言葉が届くべき人に届いていないのではないか。
そんな問題意識から、ささやかながら、その1週間にウェブ上に放たれた言葉を拾い集め、ご紹介する企画を開始することにしました。ハフポスト日本版に掲載されたブログを中心としますが、自メディアにこだわらず、面白いと感じた記事は積極的にお薦めしていきたいと思います。
初回となる今回は、2016年7月1週を振り返ります。
大勢と異なる見方
バングラデシュのダッカで7月1日に起きた悲惨なテロ事件は、被害者に日本人が含まれていたこともあり、大きく報道されました。
自身も国連職員としてケニアで国際協力に従事した経験を持つ黒岩揺光さんは、「『援助したのになぜ狙われるのか』ではなく、『援助したからこそ狙われた』という発想転換を」の中で、「事件と日本を結び付けたがる人がいるが、私はその行為に何の価値も見出せない」と、世論、そして報道を批判します。
「『この国にはたくさんの援助をしてきたのに、なぜ日本人が殺されたのか』というナイーブな問いかけだけは、やめてほしい。逆に『援助をしたから狙われる』という発想転換が必要な時に来ているのかもしれない」という問題提起は大きな反響を呼び、SNSや記事コメント欄などにも多くの意見が寄せられました。
また、ウェブサイト「ChinaStartupNews」編集長の家田昇吾さんは「『まだ中国から学ぶことはない』と思ってはいないだろうか?」と、挑戦的な議論を読者に仕掛けます。その根底には、日本は「政府が提供するサービスは質と量ともに下り、国民の格差が進行」し、「『中国化』、『問題大国』に近づいている」という問題意識があるのです。
彼の論稿「私たち日本人がもう一度中国から学ぶ時代が来た」は、次回以降に続く具体的な議論の序文ではありますが、我々が持つ前提を揺さぶる力を持つ言葉が散りばめられています。
世界に起きた変化に大しては、まずそれに対する一般的な解釈が生まれます。しかしその後には、「一般的な解釈」に疑問を抱いた個人が、別の角度から異論を提起する。そしてそこに、対話が生まれます。
語りかける言葉の大切さ
社会問題の解決にも、新しい技術の活用にも、「言葉」の重要性は指摘されます。
スウェーデン・ストックホルム在住の大学院生、両角達平さんは「スウェーデンの『いじめをなくす方法』をもっと早く知りたかった。」で、いじめの撲滅をかかげるNGO「Friends」がまとめた「いじめをなくす方法」を紹介しています。
教員、保護者、生徒、それぞれの立場からいじめに対して何ができるかを実践的な方法論に整理したこのプログラムの中にも、随所に言葉の重要性を重視していると思われる記述が出てきます。子どもにはどんな言葉が必要なのか? 逆にどのような言葉は控えるべきなのか? それを「どのように」発するべきか? 対話の場に必要な条件は? など、様々な角度から言葉、発話に関する問いかけがなされるのです。
また、フジテレビ「ホウドウキョク」の清水俊宏さんが寄稿された「VRがもたらす報道の未来【テレビ記者の視点】」には、VR(バーチャルリアリティ)技術を震災報道に活かそうと悪戦苦闘した記録が綴られています。
撮影した360°映像を、どのように読者に届ければいいのか。ユーザーにただ映像を委ねるだけでは、新しい体験ではなく、むしろ「360度どこかを選んで見ないといけない」苦痛を与えるだけではないのか。そんな問いに清水さんが出した答えの一つも「言葉」でした。
撮影した記者が、その映像で「"見るべき視点"を教え」る。もちろん記者の言葉はあくまで「ガイド」なので、その視点以外のものの見方で動画を見ることも構わないということでしょうが、そんなことを心がけて取材したそうです。
仕組みだけ、技術だけでは足りない。そこに言葉があり、対話があることで、その仕組みや技術が目指す課題の解決に大きな前進がもたらされるのです。
対話を恐れない
日本では7月10日、参院選が行われました。
言論サイト「ポリタス」に、ハフポストでも執筆いただいているライフネット生命代表取締役会長の出口治明さんが寄せた「『誰も政治を教えてくれなかった』人たちへ」は、若者世代に「政治とはなにか」「選挙とはなにか」を平易な言葉で示すテキストとして話題になりました。
第二次世界大戦時のイギリス首相チャーチルの言葉
「選挙とは、いまの世の中の状況で、ろくでなしのなかから誰に税金を分配させたら相対的にマシになりそうか、消去法で選ぶ行為のことだ。選挙とは要するに忍耐である」
「だから、民主主義は最低の制度なんだ。これまで試みられてきた皇帝制や王制など、ほかのあらゆる政治形態を除いては」
を引用しつつ、「棄権するのは、勉強不足と言うほかありません」と選挙の意義を説く言葉には、説得力を感じます。参院選は終わりましたが、東京都では、7月31日に都知事選も控えています。今後も広く読まれていくべき文章だと思います。
また、同じポリタスでは、作家・思想家の東浩紀さんが「ぼくは民進党に入れる」と題し、自らの投票先を明らかにされました。これに対し、東さんとも親交の深い株式会社UEIの代表取締役社長兼CEO清水亮さんが「僕は自由民主党に入れる」という記事を書かれています。
「政治と宗教の話はするな」という言葉もあるように、自らの政治的主張を言葉にすることがはばかられ、何も言わないという形の"中立"が多くの人の基本的姿勢になっているのではないでしょうか。しかし、徐々にこうして、思いを明らかにして対話を始めるケースが増えていくのかもしれません。
と、ここまでで本稿を終えるのが、ニュースサイトのオピニオン欄編集者としても、記事の主旨としても収まりがいいかもしれません。しかし、もう1つ、紹介したい文章があります。
実は今週読んだ文章の中で、私が一番心打たれたのはこの記事でした。
大学時代のスナックでのアルバイト、そこで出会った「人との距離のとりかたがうまかった」バイト仲間、そしてfacebookに残っていた真実。
何かを主張するわけでもなく、社会問題を意識したわけでもない散文もウェブにはたくさん存在していて、それが人の心を打ち、何かを考えさせる。そんなことも、忘れずに紹介していければと思っています。
2016年7月1週の8本
- 1.「『援助したのになぜ狙われるのか』ではなく、『援助したからこそ狙われた』という発想転換を」(黒岩揺光/ハフィントンポスト日本版)
- 2.「私たち日本人がもう一度中国から学ぶ時代が来た」(家田昇吾/ハフィントンポスト日本版)
- 3.「スウェーデンの『いじめをなくす方法』をもっと早く知りたかった。」(両角達平/ハフィントンポスト日本版)
- 4.「VRがもたらす報道の未来【テレビ記者の視点】」(清水俊宏/ハフィントンポスト日本版)
- 5.「『誰も政治を教えてくれなかった』人たちへ」(出口治明/ポリタス)
- 6.「ぼくは民進党に入れる」(東浩紀/ポリタス)
- 7.「僕は自由民主党に入れる」(清水亮/shi3zの長文日記)
- 8.「彼氏がいるのに、彼氏がいないと言い続けるおんなたち。」(chainomu/おんなのはきだめ)