先日、Mediumの記事を翻訳しているとき、ふたつの面白い言葉に出会った。
そのひとつが、
wantrepreneur
「アントレプレナー」(entrepreneur)と「なりたい、したい」(want)を組み合わせた言葉で、「自分は起業のためのビッグアイディアを持っているとはいうものの、現実には起業しない人のこと」を意味するという。
そういえば、僕も30代の後半ぐらいから、数年以上、その「ワントレプレナー」だったなと思い、その言葉のウィットに感心した。
それだけでなく、僕は長い間、それこそ何十年という間、「ワントレライター」だったなと思い、苦笑してしまった。「作家・ライター」になりたかったくせに、現実には、毎日欠かさずに文章を書いていたわけでもなく、ただ、そうなりたいと夢想していた「ワントレライター」だった。
たしか、あれは同期で久しぶりに宴会をやった時のことだ。
ある友達に、小売業というのはこうあるべきという話を、僕はかなり過激に話していた。会社の方向性を巡ってさまざまな模索がされている時期で、僕にも相当なフラストレーションが溜まっていたのだろう。
たぶん、いつもよりかなり踏み込んだことを言ったのだと思う。
黙って聞いていた彼が、僕が一息ついたところで、こう言った。
「そこまで言うなら、辞めろよ」
僕は唾を飲み込んで、言った。
「ああ、辞めるよ」
彼は驚いて、「ほんとうに、辞めるのか?」
「ああ、辞める」
「そうか・・・」
売り言葉に買い言葉であった。
それまでも、僕がいかに起業に憧れているかという話はあちこちで吹聴していたのだが、会社の誰かに「辞める」と言ったのはそれが最初だった。
会社に辞表を提出したわけではない。
でも、一線を超えてしまった。
僕は会社を辞めなければならない。
会社の中枢部に人脈を持つ人間に、やがては会社を去る人間であることを伝えてしまったのだ。
もし、辞めないのであれば、嘘つき、口先だけのチキンという汚名を背負って生きていかなければならない。
僕は真剣に起業の道を探し始めた。
画期的なアイディアはない。それで食えるノウハウもない。人脈もない。
貯金があるわけではない。そろそろ40才で、子供ふたりの学資もいるし、家のローンもほとんど残っている。
どこをどう探しても、道はみつからない。
そうして、僕は、生粋のワントレプレナーになった。
そんな僕の背中を押してくれたのは、会社だった。早期退職者への退職金割増のプランを作ってくれたのだ。
1千万円を超える退職金をいただけることになった。
それだけ条件が整っても、会社を辞めないのなら、僕はチキン中のチキン、不平不満を貯めこんで辞めてやると口だけで叫ぶ愚か者であると、自他ともに認めることになる。
そうして、僕は会社を辞めた。
あの時、あの宴会で、もし「辞める」と言っていなかったら、僕は一生、ワントレプレナーだったかもしれない。
いつか、作家になりたいと思っていた。
できれば小説家に、そうでなければコラムニストとか、科学関係のライターとかに。
短編をいくつかと、長編をひとつ書いた。
毎日、決まった時間、必ず書く、苦しくてもそれを日課にするというようなことはせず、やる気が満ちている時だけ、書いた。
このブログを始める前にも、いくつかのブログを始めては、やめた。
そう、僕は何十年もワントレライターだった。
このブログを書き始めたとき、このブログに共感してもらえる人が増えないようなら、僕は書くことを、ほんとうに生涯やめようと思った。
最後のトライにしようと。
だから、僕がこのブログを始めた時、はてなのIDを
yumejitsugen1
とした。
このIDの意味は音読すれば明らかなのだが、たぶん、ほとんどの人は音読したことはないだろう。それを漢字で書けば、「夢実現1」となる。
僕ははてなのIDを入力するたびに、「ゆめじつげん」「ゆめじつげん」と心の中で言っていたことになる。
最後の挑戦だからと思って、毎日欠かさずに書いた。
だけど、1年半、ほとんどアクセスも読者も増えなかった。
僕は恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかった。
僕のブログが面白いと言って読んでくださっている業界の先輩の方もいて、そういう方々に市場で顔をあわせるたびに、恥ずかしさで顔から火が出る思いだった。
55歳にもなって読まれもしないブログを一生懸命書いてて・・・
何度もやめそうになった。
しかし、僕はブログで宣言してしまっていた。
「ブログを人気ブログにする。そして、いつか影響力のある立場になれたら、リアルな『日本染織博物館』設立にむけて尽力したい」と。
いったい、何度、夜中に目を見開いて、考えたことだろう。
「辞める」なんて言わなければよかった。
「人気ブログにする」なんて言わなければよかった。
もし、タイムマシンがあったなら、間違いなくその場にもどり、「辞める」という発言をないものにしていただろう。
「人気ブログにする」などというエントリーは消してしまい、なかったことにしてしまっていただろう。
しかし、ともかく、どちらも、ここまで来た。
それがなんのおかげかといえば、この世にまだ、タイムマシンが存在しなかったせいであるとしか言いようがないのである。
photo by THOMAS JARRAND