先日、横浜F・マリノスのサポーターがスタンドでバナナをかざした事が差別行為だとして横浜というクラブに対して処分が課された。今シーズンは、例の浦和レッズを巡る差別バナー問題もあり、日本のサッカー界も遂に差別問題に直面する事になってしまった。もちろん、「差別が悪」である事は当然の事であって、「だから差別は止めましょう。その種の行為があった場合には、きちんと処罰をします」というのは正論であり、何の問題もないのだが、しかし、サッカー場になぜ差別が入り込むのか。では、どうしたらいいのかをよく考えておかないと、「言葉狩り」ならぬ単なる「バナナ狩り」になってしまう。
サッカーというのは、良かれ悪しかれ血を沸かすスポーツである。「相手チームは仲間である」というのは建て前であって、相手チームに対する「敵対感情」というものは多かれ少なかれ生じるものだし、そういう対抗意識なり敵対感情が熱い試合を生むのも確かな事実だ。一概に否定すべきではないだろう。もし、そういう感情そのものを悪だと言うのなら、サッカーの様な対敵するスポーツ、少なくとも肉体的接触を伴う対敵スポーツ自体を禁止せざるを得ない(もっとも、体操やフィギュアスケートの様な採点種目であっても、採点にナショナリズムが絡むと敵対感情が誘発される事があるが)。
ある程度の熱い感情は認められるべきだろう。例えば、応援の自粛などという対応は愚の骨頂だ。僕は、基本的にはサッカー観戦の基本は技術や戦術、そして何よりも互いの駆け引きの部分を楽しむ事だと思っているが、それでもやはり国際試合になれば熱い気持ちも持ちながら見ている。
ブラジル・ワールドカップ期間中に湯浅健二さんと対談を繰り返したものをまとめた『日本代表はなぜ敗れたのか』(イースト新書)は絶賛発売中だが、その本の中で僕が「僕にとって韓国は、絶対に許せない敵だけど......」と発言している場面がある(178頁)。そうしたら、編集者の方から「こんな事、発言して大丈夫ですか?修正しますか?」と言われた。で、僕が「いや、大丈夫」と答えたので、発言がそのまま掲載された訳だ。
僕は、サッカーに関しては「韓国は敵だ」と思っている。子供の頃から、韓国には幾度も酷い目に遭わされているからである。例えば、ブラジル・ワールドカップのグループリーグの最終戦、韓国対ベルギーの試合をサンパウロのスタジアムで観戦したが、ベルギーに退場者が出て韓国が攻め込んだ時、僕は「ヤバイ!ベルギーよ、なんとか負けないでくれ」と心の中で念じながら試合を見ていた。逆に、韓国人は日本がコロンビアと対戦したら、当然コロンビアを応援するはず。日本が大敗したので韓国人は大いに喜んだはずだ。
それは、ライバル関係にある者として当然の事だと思う(大人気ないとは思うけれども)。スコットランド人はイングランドが早々とグループリーグ敗退を決めたのを快く思ったに違いないし、マンチェスター・シティーのサポーターはマンチェスター・ユナイテッドの絶不調を大歓迎しているはずだ。それが、健全な関係であって、「隣国である韓国を応援しましょう」などという意見こそ胡散臭い。
もっとも、サッカーの世界を離れれば、僕は親韓国派である。嫌韓が流行るこのご時世については大いに憂いているし、ヘイトスピーチなど絶対に許せないと思っている。3月1日(植民地時代、朝鮮で独立運動が起こった日=現在の三一節)にソウルにいた時は独立運動の記念行事が行われているタプゴル公園に行ってみたし、昨年の東アジア選手権の時には日本の植民地支配を告発する施設である西大門刑務所の記念館を訪れた。
ちょっと話はズレてしまうが、この西大門刑務所について、嫌韓派の人たちはとんでもない反日展示が行われている施設だと思っている様だが、実際は抗日運動をきわめて客観的かつ冷静に見つめた展示だった(日本の官憲が行った拷問を再現した人形なども置かれているが、それは展示のごく一部に過ぎない。また、戦後、韓国の独裁政権が行った弾圧についてもしっかりと紹介されている)。つまり、僕はまったく嫌韓派ではないし、かなりの知韓派だと自負している。ハングルも普通に読めるし、韓国史についてもそこらへんの韓国人なんかよりもずっと知っているつもりだ。
だが、サッカーでは韓国は永遠のライバルであり、「あそこにだけは負けたくない」、「ブラジル・ワールドカップの日本代表は韓国よりはマシだったので、とりあえず嬉しかった」と思っているのだ。つまり、「サッカー場での敵対感情というものと差別意識というものは違うのだ」と言いたいのである。韓国は永遠のライバルであり、また、かつては日本チームはどうやっても勝てないくらいの強敵だった。そんな強い相手の事を敵対視したり、あるいは尊敬する事はあったとしても、当然、差別など出来る訳はないではないか。サッカーが自分よりうまい相手の事は、どんなに嫌なヤツだったとしても一目置かざるを得ないだろう。
バナナ問題では、差別の対象は黒人だった。相手チームの黒人選手が脅威であれば、敵対感情を持つのは当然の事だ。そして、ヨーロッパやアメリカに比べて、日本では黒人を街中で見かける事は少ない。だから、バナナを振った横浜サポーターの意識としては、相手チームの黒人選手に対する敵対感情を示しただけであって、恐らく「黒人一般に対しての差別」という意識は薄かったのだろう(だからと言って許される訳では、当然ない)。
Jリーグでは、韓国人選手も数多くプレーしているが、韓国人選手に対する差別的な言動が発生したとしたら、これは本格的に大きな社会問題となりうる。サッカー場での敵対意識が、実際の差別=嫌韓意識と結びついてしまったらこれは大事となる。日本には、実際に多くの韓国・朝鮮人が暮らしており(ヨーロッパにアフリカ系の人々が多く住んでいる事も、日本に在日韓国人が多いのも、どちらもヨーロッパや日本が植民地支配をしてそこで経済的な搾取を行い、大きな利益を得た事の代償である)、社会に差別問題が存在するからだ。
その点、「アフリカ系」の人々の数ははるかに少なく、もちろん日本にも黒人に対する差別意識は存在するが、深刻さはアメリカやヨーロッパに比べればはるかに小さいのだ。サッカー界においては、アフリカはアジアより上である。だから、サッカーが好きな人であれば、あれほどサッカーがうまい黒人たちを侮蔑できるはずは無いではないか。アフリカのチームと対戦する時に、多くの解説者が必ずと言っていいほど「身体能力」という言葉を口にするが、要するに「技術や戦術では負けないが」という事を言外に言っている様に聞こえる。
実際はそんな事はなく、日本代表は技術でも戦術でもコートジボワールに対して劣っていた。だから、「身体能力」の事ばかりを言い立てる解説者などは、バナナを振るよりずっと悪質な差別を行っていると言えるのではないだろうか。
後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授
(2014年9月6日J SPORTS「後藤健生コラム」より転載)