盛り上がっていなかったサンパウロ市内も、さすがに開幕戦の朝を迎えると賑やかだった。駅前には黄色いシャツを着たサポーター軍団が気勢を揚げている。そして、いつも目立ちまくる(声が大きく、一目でわかる独特の市松模様のシャツを着ている)クロアチアのサポーター……。天気も快晴。そして、昨日の段階までどうなるかと気をもませたメトロのストも回避され、交通機関も普通通りに動いている。デモを警戒する警察等のヘリコプターがうるさいくらいで、やっと普通のワールドカップの風景が戻ってきた。見ているこちらの気持ちも、開幕戦を迎えてようやく高まってきたように感じられる。
そして、開幕戦は予想以上に面白い試合だった。今年のブラジル代表は守備が強い。そう思って見ていたら、開始わずか11分、マルセロのオウンゴールという形でクロアチアに先制点を与えてしまったのだ。だが、ブラジルが守備のチームなのは間違いなかった。攻撃陣ではトップのフレッジと左サイドを任されたフッキがまったく良いところがなかった。フッキは右サイドが本職で、フェリペ・スコラーリ監督はよく相手との駆け引きで「フッキを立ち上がりに左で使っておいて、前半の途中で右に移す」といった手の込んだことをするが、クロアチア戦ではフッキは前半の終了間際の数分を除いて、左でプレーを続けて68分に退いた。結局、左サイドのフッキは力を出せず、攻撃陣ではオスカルの突破力が一番の武器となっていた。
プレーが面白かったのは、ボランチのルイス・グスタヴォだった。ボランチの中でも守備的な「第一ボランチ」というより、さらに引き気味でアンカーあるいはフォアリベロのようなポジションを取っていた。もちろん、ルイス・グスタヴォをこのポジションでプレーさせるのは守備的な意図によるものだ。クロアチアのトップのイェラヴィッチやトップ下のコヴァチッチをマークする場面も多かった。ただし、ルイス・グスタヴォの役割は、守備的な機能ばかりではなかった。中盤の底あたりでフラフラと位置を変えていくルイス・グスタヴォ。ブラジルの攻撃になった時には、やはり後方でパス回しをフォローするように顔を出して、パスのつなぎ役に徹していた。味方がパスを回している間も、常に動いてパスを受けられるポジションを取り続けているのだ。そして、パス回しが行き詰まってコースがなくなると、最後に残ったルイス・グスタヴォにパスを預けることで、さらに別のパスの展開が見えて来る。
数人ずつに分かれてボール回しの練習をする場合に、「フリーマン」を置くことがある。つねにボールを保持しているチームの味方になって、パスを裁くのが「フリーマン」だ。まさに、クロアチア戦でその役割を果たしていたのがルイス・グスタヴォだった(僕がMVP選考委員だったら、必ず彼に1票を投じておいた)。一方、前の方のポジションを固定させないで戦っているのがネイマールだ。トップのフレッジに近いところで第2のストライカーになってみたり、引いて中盤のパサーになろうとしたり、逆に下がったりしてプレーするから、相手にとってはとても捕まえにくくなる。つまり、中盤の後方のルイス・グスタヴォと前方のネイマールがつねにフリーになってボール・ポゼッションを高めるのがブラジルの戦い方なのだ。
「守備のブラジル」の本領が発揮されだしたのは、ネイマールのゴールで同点に追いついた後だった。クロアチアのパスコースを覚えたブラジルのDFたちは、前線のイェラヴィッチやオリッチに縦のパスが入る瞬間にアプローチをかけ、一発でボールを奪ってカウンターを仕掛けてきたのだ。特に、右サイドバックのダニエウ・アウヴェスはオリッチ相手に優位に立ち、右のセンターバックのチアゴ・シウヴァ(おそらく、現在の世界最強のセンターバック)も積極的にラインブレークして、中盤でボールを奪う。そして、ボールを奪ったら、ショートカウンターを狙ってくるのだ。「守備のブラジル」というのは、守備が強いだけではなく、高い位置でボールを奪って効果的に戦えるチームであるという意味なのだ。もっとも、その「守備のブラジル」から、クロアチアは1点を奪った。ブラジルのような緻密な戦略を持つというより、個人能力で攻め切ってしまうのがクロアチアだ。
例えば、マルセロのオウンゴールを生んだ場面。中盤でMFのラキティッチからのパスが左のオリッチに渡り、オリッチがドリブルで持ち込む。この瞬間のラキティッチとトップのイェラヴィッチのボールなしでの動きがブラジル守備陣を混乱に陥れたのだ。オリッチがドリブルで運んでいる間、イェラヴィッチは中央からオリッチに近い左サイドに顔を出すような動きをしていたが、突然ファーサイドに流れる動きを見せる。それに、ダヴィド・ルイスが対応しようとした瞬間、イェラヴィッチは右に流れていったのだ。そして、今度は逆向きに走り込んできたのだ。焦ったダヴィド・ルイスはクリアできない。
一方、ラキティッチの方も、オリッチにボールを渡してから、ゴール前の中央に走り込んでいた。マルセロはこの動きに惑わされてブラジルにオウンゴールが生まれたのだ。追い付かれたクロアチアは、後半になるとラキティッチ、モドリッチ、そしてコヴァチッチの距離を短くして、3人でワンタッチパスを交換することによって活路を見出そうとした。しかし、クロアチアの中段での変更が功を奏し始めたころ、オスカルからのクロスを受けて反転したフレッジに対する接触プレーで、ブラジルはPKを獲得した。そしてネイマールが落ち着いてPKを決める。その場面はスロー映像で見てもあれが反則(PK)とは見えなかったし、試合後の記者会見でもさんざん質問が出ていた。
試合全体を通しての主審・西村雄一のコントロールは素晴らしかっただけに(疑惑のPK後も試合が荒れなかったことがそれを証明している)、西村主審にとっては惜しいミスだった。もしあのPKがなかったら、ブラジルは苦しんだはず。1-1のまま引き分けになる確率は高かったろう。確かにブラジルは良いチームだ。だが、クロアチアの健闘を目にすると、ブラジルといえども難攻不落の要塞ではないということが示された。「打倒ブラジル」を目指して、他のチームの志気も高まったことだろう。
後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授
(2014年6月13日「後藤健生コラム」より転載)