海岸に打ち上げられたシリア難民の少年。その写真は瞬く間に世界中を駆け巡り、私たちに大きな悲しみと難民問題の厳しさを痛感させた。
100万人以上の移民・難民がヨーロッパへと渡った激動の2015年。2014年の280,000人と比較してみれば、これがいかに驚異的な数字かが分かるだろう。年が明けた2016年は、2月中旬地点で既に82,000人以上の移民・難民が海を渡りヨーロッパに到達している。
この難民の多くを構成しているのが、未だ紛争の続くシリアからの難民である。何が彼らをヨーロッパへと「追いやる」のか。そこには、いくつかの要因がある。
終わりの見えないシリア内戦
6年目に突入しようとするシリア内戦。これまでに27万人以上の犠牲者を出し、人口の半分以上が故郷を追われ、その内400万人以上が国境を越え難民としての生活を強いられている。アサド政権、反政府軍、ISIS 、そして欧米やロシアの介入など、様々なアクターが入り交るシリア内戦は、その終結を感じさせないほど複雑なものと化し、同国の人道危機は深刻化する一方だ。また国連は2月3日、1月末にスイス・ジュネーブで始まったばかりのシリア和平協議を一時停止することを発表、決して楽観視することは出来ない。
故郷を離れた人々は、「いつの日か、かの地へ戻る。」という希望を捨てず、本来近隣の都市に暮らす親戚や友人の家に身を寄せるか、例え国境を越えたとしても祖国へすぐに戻れるよう、国境の出来るだけ近くで暮らすと言われている。しかしながら、終わりの見えないシリア内戦においては人々はその希望を捨て、「難民」というその長い旅路を続けているのだ。
シリア周辺国の難民キャンプ等現場における財源不足
シリア以外にも、アフガニスタン、イラクなど、中東エリア一帯では多くの人々が難民としての生活を強いられている。第二次世界大戦後以来、未曾有の危機とも呼ばれる今回の難民危機に対し、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やWFP(世界食糧計画)といった支援機関は、その規模に見合うだけの資金を確保できていないのが現状である。2015年のシリア緊急支援計画のための資金は41%しか集まっておらず、難民1人あたり1日0.45ドル〜0.5ドルでの生活を強いられている。
この深刻な財源不足により、レバノン・ヨルダンなどシリア周辺国の難民キャンプでは生活環境が悪化、シリア難民をヨーロッパへ向かわせる一つの要因となっている。
シリア周辺国での厳しい生活条件
シリア周辺のいくつかの国では、難民は就労を認められていないか、もしくは厳しく制限されている。例えば隣国のレバノンでは、居住情報を更新する際、「就労しない」という旨を誓約しなければならない。収入が得られなければ彼ら難民の生活状況が悪化するのは自明であり、多くの難民が仕事とより良い生活を求めてヨーロッパを目指す。
子どもの教育機会・「子ども時代」の剥奪
難民の多くの子どもたちが、教育機会や「子ども時代」を失い、子どもらしく生きる権利を剥奪されている。ヨルダンでは90,000人の子どもが正規の教育を受けることが出来ず、また5人に1人は家計を支えるために学校に通うことを諦め、働きに出ている。劣悪な労働環境で児童労働の搾取を受ける子どもも多く存在し、また女子の場合であれば、生計を立てるために居住国の男性と早婚するケースが見られる。子どもの教育機会と「子ども時代」を十分に確保するため、シリア難民はヨーロッパを目指す。
ドイツ=ナチス政権によるユダヤ人大量虐殺に関与し、人道に対する罪や戦争犯罪で責任を問われたアドルフ=アイヒマンは、その公判中に「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない。」という言葉を残した。
海岸に打ち上げられた少年アイラン君の写真に多くの人々が胸を痛めただろうが、その後昨年11月3日までで既に70人以上の子どもがギリシャへと地中海を渡る途中で溺死したと言われている。
先進国に生きる私たちが、彼らに対して出来る事は何だろうか。この歴史的危機とも言われるほど大きな問題は、私たち一人一人が如何に小さな人間であるかを痛感させる。
しかし、どんなに微力であったとしても、私たちは無力ではない。例えば、シリア隣国で活動を展開するも、財源不足に苦しむ国際機関やNGO(非政府組織)に募金をしてみる。そのちょっとした行為が、アイラン君と同じような死を防ぐことに繋がるかもしれない。
一刻も早くシリア内戦が終わり、難民として暮らす人々が祖国に帰れる日を願って止まない。
(2016年2月29日 Platnews「難民危機―何がシリア難民をヨーロッパへ「追いやる」のか」より転載)
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