「たまごっち感覚」でいい〜参院選を終え、これから私たちがすべきこと〜

「自分たちの声を届けてくれる議員」を支え続けること。そんな議員をたくさん作っていくこと。これは次の選挙を待たずに今すぐにできることだ。

選挙が終わった。

残念ながら、改憲勢力が参議院の3分の2を超える結果となった。

なんだか絶望してしまいそうだが、まずは昨年から、一人区での野党統一候補実現のため、全国を駆け回り、尽力して下さった方々に、最大限のリスペクトと感謝の気持ちを伝えたい。野党共闘の動きがなければ、現実はもっともっと厳しいものになっていただろう。

そして個人的には、応援していた三宅洋平氏が25万以上の票を集めながらも落選したことに無念の思いがある。が、選挙フェスに参加し、そこに集まる人々の熱気や様々な思いに触れ、感じたことがある。

選挙フェスにて何度か壇上で話をさせて頂いたのだが、そのたびに私が言ったのは、「国会にあと10人の山本太郎がいれば永田町は変わる」ということだ。そしてこのたび、「太郎君を一人にできない」と名乗りを上げた三宅氏を応援してきたわけである。

この思いは、今回三宅氏を応援した人に共通していたのではないかと思う。「山本太郎が議員になったことでなんか国会が面白くなってるし、いろいろ飛ばしまくってるし、質問とか聞いてるとすごい勉強してるし、自分たちの声を届けてくれる存在として、もっともっとあんな人が増えてほしい」という思い。

思えば2013年の参議院選の時にも選挙フェスが開催され、多くの人を集めた。

原発が爆発して2年後。候補者の一人だった山本太郎氏は主に原発問題を訴え、やはり候補者の一人だった三宅洋平氏は、渋谷のステージの上で憲法9条を朗読した。

その参院選で三宅氏は比例で17万票以上を集めるものの惜しくも落選。山本太郎氏は議員となり、その翌年、集団的自衛権行使容認が閣議決定され、さらにその翌年、15年に安保法制が成立した。

この3年間、山本太郎氏の質問作りの手伝いを微力ながらさせて頂いてきたことは、ここでも書いてきた通りだ。

そんな作業に関わりながら、「こういう受け皿になる人があと何人もいれば」と痛切に思った。そうしたら、国会ってもっと風通しがよくなるのに。みんなの声が届くのに。いつもいつも、思った。だからこそ、三宅氏に思いを託した。

そんな今回の選挙期間中、まさかの人の口から「共感」する言葉が吐き出された。

それは、選挙期間中に渋谷ハチ公前広場で開催された若者たちによる記者会見。その席で、「ギャル男」の伊藤蓮さん(21歳)は、「たまごっち」という言葉を出し、「好きな候補や政党を『たまごっち』感覚で育てて」いけばいいのでは、ということを言ったのだ。

たまごっち。こう喩えられたら嫌な人もいるかもしれないが、そしてあまりにも「上から目線」かもしれないが、山本太郎氏の質問作りの手伝いや人を紹介してのレクチャーを通して、私の中にも確実に「たまごっち感覚」は芽生えていた(たまごっち、やったことないけど)。

そうなのだ。最初は「たまごっち感覚」でいいのだ。それくらいの軽い気持ちでもいいから、議員を育てようと思えばいいのだ。しかも、こんなに壮大なたまごっちはなかなかない。

一人の人間を国会議員にするには、多くの票が必要だ。そのために選挙ボランティアをする人もいれば、様々な手伝いをしたり、友人知人に呼びかけたりする人がいる。あるいは、組織として、そんなことを大がかりにやっている人たちもいる。そして多くの人の思いを背負って、議員は国会へと送り出される。

しかし、そこで終わりではない。むしろそこからが本番だ。それぞれの得意分野を生かし、支え、育てていくこと。そのことも非常に重要な私たちの役目だ。

というか、私は山本太郎という議員が生まれるまで、一個人でそんなことができるなんて知らなかった。国会議員とかになる人には既に優秀なブレーンがたくさんついていて、出る幕などはないと思っていた。

しかし、当選直後の彼の周りには、そんな体制が完璧に整っているとは言い難い状態だった。なんとなく選挙も応援したし、貧困問題なども関心を持ってくれていろいろ言ってくれているし、という成り行きで関わり始めたら、「こんなに現場の声が届くんだ」と驚くことの連続だった。そこから、本格的に頼まれずとも押しかけるようになった。

そうして今、多くの人たちがいろんな分野のブレーンとして、山本太郎という議員を支えている。

「自分たちの声を届けてくれる議員」を支え続けること。これは私にとって、ひとつの新しい運動だ。

そんな議員をたくさん作っていくこと。そのための準備を始めること。これは次の選挙を待たずに今すぐにできることだ。

今回の選挙では、3分の2が突破されてしまったということで、忸怩たる思いがある。

だけど、新しく議員になった人、議員の座を守り続けた人の中から、「現場の声」を届けてくれそうな人を見つけること、そしてあわよくば押しかけていくことはそんなに難しいことではない。今、特に野党議員は野党共闘の動きを通して、市民側の声がとても届きやすくなっている。

さて、選挙は終わったけれど、「山本太郎をあと10人」というムーブメントは、10年先を見据えて続けていくものだと思っている。原発事故という非常事態によって生まれた規格外の議員と、そして彼を一人にしておけないという切実な思いから立候補した一人のミュージシャン。

結果は残念だったけれど、今回の選挙で、どれほどの「これまで政治に興味がなかった層」の目が開かれただろう。25万以上の票の中に、「今回が初めての投票だった」層がどのくらいいるのだろう。

「今まで、政治とか嫌だったけど、本気で考えないといけないと思った」「今回、初めて選挙に行った」。そんな声を、本当にたくさん聞いた。

さあ、参院選が終わったと思ったら、次は都知事選だ。そして憲法改正の国民投票までに私たちに何ができるのか、すぐに行動を始めなければならない。

(2016年7月13日「雨宮処凛がゆく!」より転載)

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