私にとっての「35」と二度の流産の事実
「35」という数字を見ると、今、日本の多くの人は「35億!」と言いたくなるかもしれません。ブルゾンちえみ、私も大好きです!
でも、私の中で「35」というと自分の年齢。そして、高齢出産を思いださせる数字です。
さて、簡単に私のことを紹介させて頂きますと、一度大学に入学し、看護学校・看護師を経て、「ママと赤ちゃんのお手伝いをしたい」との思いから、助産師として働いています。
医療従事者であり、日々「妊娠」と「流産」に接している私ですが、太っているせいか、幸せオーラが溢れているせいかはわかりませんが、妊娠していないのに妊婦に間違われることも。そんな私も、実は、真の妊婦になっていたことがありました。
ありました、と過去形なのはこんな経験をしているからです。
34歳 入籍日が決まった後に妊娠が発覚。でも、入籍の翌日に流産。
35歳 自分の誕生日に妊娠が発覚。でも、1ヶ月後に流産。
二回の流産を経験しました。
医療従事者として、妻として、そして一時的に母としての気持ちが入り交じる形になるかもしれませんが、今回は、「流産」についてお話ししたいと思います。
そもそも「流産」とは何でしょうか?
日本産科婦人科学会では、「妊娠22週未満の胎児が母体から娩出されること」と定義しています。簡単に言うと、赤ちゃんがママの身体から出てしまうことです。
つまり、何らかの原因で赤ちゃんが亡くなってしまい、妊娠が継続しなくなることです。一般に、妊娠の約15%は自然流産。12週未満の早い時期での流産が多くて、流産全体の約90%を占めます。妊娠初期の流産の原因の大部分(約80%)は胎児(受精卵)に何らかの異常が偶発的起きたためとされています。
母体年齢別にみると、35歳を過ぎる頃から 流産率の増加がみられます。35〜39歳では20%。40歳以上では40%以上とされています(データにより多少違いはあります)。
高齢出産とセットでよく聞くのが、「卵子の老化」という言葉。
女の子は、ママのお腹の中にいるときから卵巣内に卵子があります。出生後に卵子の総数が増えることはありません。よって加齢に伴い、染色体異常が見られたり、流産率が増加したりします。
私は医療者だから、このような医学的なことは理解しています。受精した時点で、何か異常があったんだから流産は私のせいではない。そんなことわかっていても、でもやっぱり傷つきました。そして、夫婦での感じ方に違いがあるとも感じました。
流産が分かったとき、夫婦でこんな会話をしました。
「流産だった。赤ちゃんの袋だけで、赤ちゃんが見えなかったの(いわゆる稽留流産です)」
「そうか。じゃ、最初から赤ちゃんいなかったってことだよね。またすぐ来てくれるよ」
夫は優しく、すごく寄り添ってくれました。でも私の目には、彼はノーダメージのように見えることもありました。
女性は、妊娠検査薬が(+)になったとき、一瞬で思い描いてしまうのかもしれません。
母になった自分を...... 父になった夫を...... そして子どもが生まれた家族の未来や希望を。
私は流産の手術をした後、何にもやる気が出ませんでした。自分の一部と一緒に、未来や希望も流れてしまった感じでした。
流産は忘れなくていい
最初の妊娠時、出産予定日はすでに決めていた結婚式の3日前でした。そのため、結婚式を前倒しすることとし、たまたま、安定期以降と考えられる時期に式場を抑えることができました。
そんな事情を家族と親戚に話さなければならなかったので、私の妊娠は、まだお会いしたことのない夫の親戚にまで知れ渡っている状況でした。
そして夫の親戚と初めてお会いしたのは、流産の直後でした。
「初めまして。おめでたなんですってね!」「初めまして。いや、先日流産してしまいまして......」という、気まずい挨拶まわり。
でも「辛いわね。私もそうだったからわかるわ」「大丈夫よ。また来てくれるから、大丈夫よ」など、私が一人になる度、親戚の方たちが声をかけに来てくれました。
私の流産は公になり、でもそのおかげで夫や実の家族以外に吐き出せる場所ができ、本音で話せて距離が近づいた気がしました。
話せばラクになる、ということを教えてくれたのは、夫の家族や親戚だったのかなと、今では思います。
ついこの間まで、全く知らない赤の他人が家族になる。結婚は不思議です。でも、その不思議に私は救われて思いました。
『この人たちと家族になりたい。』
朝、海を見ながら浜辺で一人泣いていたこともありました。夫は、いつも泣いている私のとりとめのない話を聞いてくれました。
「私と離婚して、他の人と結婚した方が、お父さんになれるかもしれないよ」
「僕が欲しいのは、まいちゃんとの子どもだよ。それか、2人で生きていくのもいいよ」
その言葉に私は救われて思いました。「私は、この人と結婚して家族になってよかった」と。
「グリーフケア」という言葉があります。
愛しい人と死別した家族(遺族)が、その悲嘆(grief、グリーフ)を乗り越え、悲嘆から立ち直り、再び日常生活に適応していくことを見守ってゆく (ケアする)とされています。
それに関連する書籍からの引用です。(※)
この社会に暮らす者、みんなが何かしらの悲しみを抱えたまま生きることが認められている。だから、貴方もその悲しみを抱え込むのではなく、悲しみを抱えたまま生きることが認められている。そう認め合うことができれば、社会は「生きづらい場」ではなく、自分らしく生きうることの出来る居心地の良い場となる。(中略)様々な悲嘆を「悲嘆」として認め合うことが、大切な一歩である。
流産は、めでたいことではないから、心の中にしまってしまう。忘れようと頑張ってしまう。でも、そうしなくてもいい。これを読んで、そう思ったのです。
(※)山本佳世子 「悲嘆の中にある人の心を寄せて」より
宿ってくれた命を守りたい。そして、「また命を授かりたい」と思ってもらいたい
私は、いろんな方の言葉に励まされています。それと同時にいろんな方に支えられ生きているんだなと思います。
ただ、
「年齢だから仕方ない。よくあることだよ」
と病院で先生に言われたとき。本当に辛かった。
それは、目の前にある真実と現実が重くのしかかったきたから。それほど、医療者の言葉は重い。受け取る側になってみて、初めてそう感じました。
職業柄、毎日、他人の妊娠に出会います。
同じくらい、他人の流産にも出会います。
「辛いよね」とだけしか言えないこともある。
「泣いてもいいんだよ」と側にいることもある。
「私も、流産したからわかるよ」と話すこともある。
その人その人によって、生きてきた道が違う。だから、何がベストな対応かは正直わかりません。
それでも、医療者として、言葉には責任を持っていたい。助産師として、宿ってくれた命を守っていきたい。そして何より、「また命を授かりたい」と思ってもらいたい。改めてそう思いました。
妊娠すると、リスクスコアをつける病院があり、その項目の一つに「高齢」があります。
若いうちに産んだ方がいい。それはごもっとも。そう知っていても、人生、そう上手くはいかない。
私の場合、人生の酸いも甘いも自分なりに経験し、33歳で夫に出会い、家族になりたいと思った。
私が伝えたいのは「若いうちに子ども産みましょう」ではなく、若いうち(できれば10代)に、妊娠や出産に関する正しい知識を持ってほしい。その上で、自分で選択して決断し、ライフプランを考えてみてほしいんです。
その一歩を踏み出したいと、先日「受胎調節実地指導員」の資格を取得しました。自分を守り、幸せな恋愛をするために。全ての子どもが、待ち望まれた子として産まれるために。私だからできることをまずは伝えていきたいと思っています。
【ライター 伊藤 麻衣子】
母の病を機会に看護師を目指すも、18歳で心を決め切れず、東京農業大学進学。「看護師になって人を救いたい」思いが再燃し、農大を後にし看護の分野に進み、人間の生と死、どちらのケアにも携わりたいと、終末期看護を学ぶ。その後、助産師に。 現在は、産婦人科クリニックに勤務しながら、若いうちから妊娠、出産、子育てについての正しい知識を身につけてもらえるよう、助産師兼受胎調節実地指導員として、姉妹で綴るブログ(新米ママ(姉)と助産師(妹)のGOGO育児)やサイトなどで情報を発信中。イットママ:4yuuu!: MUGyuu!
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