10周年の関西レインボーパレード カミングアウトしていない私はこっそり参加した

カミングアウトしていない私は、ずっと隠して、目立たないように生きていかなくてはいけない、と、全く祝うどころではない状態でした。しかし、こうやって楽しげなイベントで過ごしている人たちを見ていると、そう思い詰めなくても大丈夫なのかな、と少しホッとします。

第10回関西レインボーパレード/レインボーフェスタ2015!が10月10日、大阪で開催されました。東京や札幌などのパレードも大規模で有名ですが、大阪も負けていません。関西でのパレードは今年、10周年を迎えました。その様子を写真を交えてお届けします。

Photo by Naomi Kajita

会場はJR天満駅前の扇町公園。大阪のかたはよくご存知かもしれませんが、周囲には味のある飲み屋が多い土地です。オープニングイベントのある11時前に着くと、もう人がけっこういます。

最寄り駅に着き、私はそっとサングラスをかけました。ふだんはカミングアウトせずに会社員として勤務しています。考え過ぎかもしれませんが、やはり知人に会って予期せぬ形でばれるのは怖い、という小心者です。

Photo by Naomi Kajita

会場をぐるっと回ると、LGBT結婚式のブースが目立ちます。私は2009年にもパレードを見に来ましたが、その頃はなかったように思います。それから年を重ね、世間で言う結婚適齢期(笑)は過ぎましたが、やはり結婚式はあこがれ。私自身は女性のパートナーがいるので、どんなものだろうと思い、ブースをのぞきました。

Photo by Naomi Kajita

ニューヨーク挙式のチラシを持っていた私に、京都でも挙式できますよ、と声をかけてくれたのはホテルグランヴィア京都。ニュースなどで、こちらがLGBT結婚式に取り組んでいるのは知っていたのでスケジュールや予算などの話を聞きました。ただ、有名なこちらも実績はまだ数件だそう。

他のブースのLGBT専門結婚プランナーは今年2月からLGBTに特化したとのことで、参入はするけれどなかなか実績には結びつかないようです。LGBT市場を狙ったビジネス特集もみかけますが、それがビジネスとして成立しているかというと...。

他に気になったのは、NPO「LGBTの家族と友人をつなぐ会」。困っていたら家族をつれてきてください、と声をかけてくれました。

私自身、家族にはカミングアウトできていません。きちんと話そうと何度も思いましたが、拒絶されたらどうしよう、このまま何も知らない方が家族のためではないか、と悩みます。話してくれた女性は58歳の時、家族からカミングアウトされ2年閉じこもったそうです。「最後は自分の子供なんだから、とあなたの家族も思いますよ」とアドバイスしてくれました。一方で「考えてる間に時間は過ぎますよ」とも。そうなんです、親の年齢を考えると、そろそろ決断しなくてはいけない年ごろなのかもしれません。

Photo by Naomi Kajita

今回のイベントの目玉の一つは女性同士の結婚式。赤いじゅうたんがステージに向かって敷かれ、カップルが入場すると、周囲から歓声があがりました。白いウエディングドレスを着た二人が歩いていく姿はとても美しいです。誓いの言葉に指輪の交換。周囲からはシャボン玉や拍手で祝福され、本当に幸せそう。感極まったのかカップルのうちの一人が涙を見せていました。ここまでくるのに、どんなに大変だったんだろう。私も自然と、おめでとう、と声をかけていました。

こうやってみんなの前で結婚式を挙げられるカップルがいる一方で、カミングアウトもできずにひっそりとしている私はこれからどうなるんだろう、と不安にもなってしまいました。いつか実現できたら、と、式場のチラシだけはたくさん持ち帰ることにしました。

Photo by Naomi Kajita

パレードはバンドやフロートで賑やかに出発。クレオパトラ?みたいな格好やセーラー服の男性。ハロウィンのような人たちがいる一方で、大学のゲイサークルやふつうの格好のひとたちも、楽しげに歩きます。沿道には、驚いたような人たちもいましたが、ビルの窓際で手を振ってくれたり笑いかけてくれたり、少しずつこの光景が日常になればいいなと願うばかりです。

私は撮影禁止をうたったグループで歩こうかと思いましたが、どこから見られてるか分からないので、パレードから離れて歩くことにしました。それでもポップ音楽が流れるパレードを見ながら歩いているだけで、楽しい気持ちになれました。

Photo by Naomi Kajita

会場にあった「多様性を祝おう」という横断幕が印象的でした。カミングアウトしていない私は、セクシャルマイノリティーであることに否定的ではない気持ちになれたのは本当に最近のことでした。ずっと隠して、目立たないように生きていかなくてはいけない、と、全く祝うどころではない状態でした。しかし、こうやって楽しげなイベントで過ごしている若い人や、私の親くらいの年齢の人たちを見ていると、そう思い詰めなくても大丈夫なのかな、と少しホッとします。

少しずつ社会が変わり、隠れて生きなくていい時代になりつつある。そう思えたイベントでした。