chokakushogai

作者のミカヅキユミさんは、「聴こえるお客さんと同じように会話を楽しんでもいいんだ」ということがうれしかったと言います。
イギル・ボラさんと筆者は、ともにCODAをテーマにした本を出版している。「CODAとして体験してきたつらい過去を伝えていくこと」の意味と葛藤について、ボラさんに尋ねてみたかった。
「音声」に固執する仕組みやルールは、きこえない人を除外することにつながります。「電話リレーサービス」を含む多様なアクセスを受け入れる社会になって欲しいと、心から願っています。
CODAのぼくは、ろう者への偏見や差別を憎んでいる。けれど、そんなぼくにも、ろう者に対して「やさしい差別」をしていると痛感した日があったのだ。
透明マスクを着けた通訳者が登場した会見の映像を見た聴覚障がい者からは「着けてくれてありがとう」などと予想以上の反応があったという。
危機や災害時に、耳の聴こえない人たちが直面する「情報格差」とは
耳の聴こえない両親を持つぼくは、ひとつのnoteに出会った。そこには難聴という診断を受けた息子への思いが綴られていた。
大人になったぼくは、同じ境遇に生まれ育った「CODA」に会ってみたいと強く思うようになった。
両親は悪くない。そして、ふたりから生まれたぼくだって悪くない。