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被災地は、インフラ整備が終わった後、持続可能な地域社会をどうつくるのかという課題と向き合いつつある。
「こちらはだいじょうぶ」「家はもうない」「生きてればオーケー」「妹をたのむよ」...。宮城県東松島、仙台、神奈川、広島。離れ離れに暮らしていた家族をつないだ、8通の交信記録。
集団移転を率いた若手リーダーが後世に伝えたいこと。住民の分裂、ローンの現実…【東日本大震災】
「行政は『区切り』をつけたがりますが、基本的に『区切り』はつかない。世代が変わるまではかかると思います」藤沢烈さん語る
東日本大震災からまもなく10年を迎える、宮城県南三陸町。震災までの暮らしと、新しいまちづくりを追いました。
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東日本大震災からまもなく10年を迎える、宮城県南三陸町。震災までの暮らしと、新しいまちづくりを追いました。
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今も約1400人が避難所で暮らしています。
裏金の原資は、復興増税などを主な財源として投じられた国費でした。
「残った人のことを考えると、後ろ髪を引かれる思いです。一方で、多くの人の復興が進んでいるというのはうれしい限り」
熊本地震の本震から4月16日で4年を迎える。仮設暮らしから新たな住まいへと抜け出す時期に、新型コロナの感染拡大に見舞われた。「被災者の孤立が加速するのでは」と不安が広がる。