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「原爆の恐ろしさを伝える歴史的資源にするべき」と市議会では保存を求めていた。長崎原爆の日に振り返る。
コンサートでは、在日韓国人のピアニストが演奏し、曲に合わせて原爆詩も朗読される。
ノーベル平和賞授賞式で演説したサーロー節子さんが、法王とバチカンのサンピエトロ広場で面会した。
原発の推進派の柳沢重夫・御前崎市長も「地元住民は(原発と原爆の違いを)十分、分かっている。適切ではない」と指摘。
保存運動をしていた元市議「人類の愚かさを教えてくれるものだった」
なんども過去を思い出し、記憶し続けないといけません。オバマ前大統領がリスクを取って広島をたずね、戦争の記憶を蘇らせたことは貴重なことなのです。
広島平和記念資料館に被爆再現人形を「残して欲しい」とほとんど全員の人が答えるのです。では、なぜ撤去されるのでしょうか?
食べて寝て、笑って愛して、当たり前の日々の生活がここにある。
原爆投下当時、広島電鉄の運転士だった増野幸子さんにインタビューした。彼女は70年前のあの日、爆心地から約2.1kmの女学校の寮で被爆。背中に114個のガラス片が刺さる重傷を負いながらも、九死に一生を得たという。