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イチローはいつも右から八つ目の打席に入り、父親と二人三脚で打ち込んでいた
「(イチローは)投手をやると思うから、捕手くらいでやらせてもらえないかな」
小沢直子さん(43)は「被災した神戸の人たちが、イチローがいたオリックスのおかげで一つにつながった。感謝してもしきれない」と振り返った。
辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のこと。でも、エネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく。人として重要なことなんじゃないかなって感じています。
「自分に限界を生みながらちょっとそれを超えていくと、いつの間にかこんな自分になっていく。少しずつの積み重ねでしか自分自身を超えていけないのではないか」
日本の野球は、頭を使う面白い野球であってほしいと思います。せめて日本の野球は、変わってはいけないことを大切にしてほしい。
イチロー選手は、一つ一つの質問に、言葉を選びながら、噛みしめるようにゆっくりと答えた。目が少し赤いようだった。
菊池雄星「小学3年生の時のイチローさんのままで、心臓をばくばくさせながらお話しさせていただいた」