激しい内戦が続くシリア。「アラブの春」に端を発する抗議活動が始まって2年以上が過ぎたが、人びとを取り巻く環境は凄惨を極め、死者と破壊を生み出し続けている。女性や子どもを含む多くの一般市民が攻撃にさらされ、中立であるべき医療機関も破壊される一方、国際援助の介入は制限を受けており、人びとの安全と尊厳がまったくと言っていいほど無視されているのが、この紛争の最も深刻な点である。
現地で医療援助活動を行った立場から、人びとが直面している窮状を、日本の皆さんにお伝えしたい。
私は2013年4月中旬から1ヵ月間、国境なき医師団(MSF)の外科医として、シリアの北部イドリブ県にある病院で医療援助の任務にあたった。
ここでMSFについてご存知ない方にご紹介しておくが、MSFは紛争や災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとへの医療・人道援助の提供を主な使命とする民間の援助団体である。「独立・中立・公平」の原則を採用しており、シリア内戦を巡る全ての政治的立場とも明白な一線を画すため、同国での活動は民間からの寄付のみを財源としている。
MSFは現在、シリア国内5ヵ所の病院と移動診療による医療援助を展開しているが、国内での活動は北部の反体制派支配地域内に限られている。シリア政府が国際援助の介入を制限しているためだ。MSFは内戦が激化した2年前からシリア政府に活動許可の申請を続けてきたが受け入れられず、昨年6月に無認可のまま活動開始を決断した。周辺国から国境を越え、北部の民家や農園を改築した仮設病院や、洞窟の中のテント病院で医療の提供を始めた。
私が働いた病院は、民家を改築したもので、簡素な構成ではあるものの必要最低限の設備は備えていた。患者の多くは爆撃や銃による負傷者であったが、避難生活の中で粗悪な燃料が暴発して火傷を負った患者が多いのも特徴的であった。多い日で1日十数例の手術をこなしたが、中でも忘れられない患者がいる。
4月26日金曜日。シリアでは金曜日は休日だが、反政府の抗議運動などが多く行われるため、病院に緊急搬送される患者は多い。この日も火傷を負った患者のガーゼ交換が終わり、宿舎へ帰ろうとしていた矢先、救急車が到着した。
救急蘇生室に、爆撃による2人の重症患者が運び込まれた。若い女性と、生後4ヵ月の女児。女児の顔は青白く、死亡しているのかと思ったが、近づいたら息をしていた。すぐに点滴と輸血を施し、状態を回復。ただ、右脚はぼろぼろで、切断するしかない。
手術には家族の承諾がいるが、付き添ってきた祖母によると、両親はともにほぼ即死、この女児の兄も死んだという。若い女性は一番上の姉で、ショックでしばらく口がきけなかった。祖母に下の子の右脚切断の必要性を説明し同意を得て、手術室に運んだ。
手術後、女児は一命をとりとめたが、哺乳瓶からうまくミルクが飲めるようになるまで数日かかった。これまで母乳しか飲んだことがなかったのだ。右脚を失ったこの子の先の長い人生を思うとやり切れない。それでも、この女児は病院にたどりついたが、それすらもかなわない人が大勢いる。すべての患者に手を差し伸べられないことをもどかしく感じた。
シリア内戦の犠牲者は増え続けているが、医療は全く足りていない。MSFの無認可の援助も大海の一滴のようなものだ。国内の医療施設の8割以上が崩壊あるいは機能不全に陥っていると言われ、残った施設や反体制派が設立した病院には患者があふれている。シリア政府が、国際援助団体による自由な援助活動を拒否しつづける間に、いまも多くのかけがえのない命がシリア全土で失われている。
国境なき医師団(MSF)は、紛争や災害、貧困などによって命の危機に直面している人びとに医療を届ける国際的な民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供する。医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約3万6000人が、世界の約70ヵ国・地域で活動している。1999年、ノーベル平和賞受賞。
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