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2015年11月12日 16時05分 JST | 更新 2016年11月11日 19時12分 JST

犯罪被害者週間を前に思うことーー浦島花子が見た日本

加害者は逮捕され刑務所暮しが始まったら、衣食住は税金で賄われる。被害者予算がない方がおかしいと思う。

11月25日から12月1日の1週間は、犯罪被害者週間である。

内閣府のホームページによると、平成17年に閣議決定されたこの特別週間は、「集中的な啓発事業等の実施を通じて、犯罪被害者が置かれている状況や犯罪被害者等の名誉または生活の平穏への配慮の重要性等について、国民の理解を深めることを目的とする」1週間だ。

当然、特別週間中しか犯罪被害者への配慮や犯罪防止の啓発をしないのはおかしな話である。犯罪はいつどこで誰に起こるかわからない。犯罪被害に遭うことにより、人生が一転してしまった人々の生活は、特別週間とは関係なく営まれていく。

「犯罪被害者」と言っても、多様な犯罪があり、被害者も多岐に渡る。漠然と「犯罪被害者週間」に事業をしろと内閣府からお達しがあっても、各自治体で毎年テーマを何に絞るかで困ることだろう。

この特別週間のおかげで、私も今月来月は特別忙しい。久しぶりにブログを書く浦島花子は、北は仙台から南は香川での犯罪被害者週間のイベントで話をさせていただくことになっている。

私は1999年、アメリカで性暴力という犯罪被害に遭った。その事件直後、アメリカ社会に敷かれている手厚い性暴力被害者支援を受けると共に、当時勤めていた新聞社の同僚や、普段付き合っていた友達、そして事件を通して出会った人々に助けられた。詳しい話は2007年に出版された「STANDー立ち上がる選択」(フォレストブックス)を見ていただきたい。

多くの支援者に囲まれていた私には、「(被害者である)私にも非があったのでは?」との疑いを口にする人もいなければ、「そんな恥ずかしい(被害の)話は、誰にもするべきではない」と「助言」して被害者側に恥をなすりつけるなどの二次被害を受ける事もなく、事件直後から、警察に電話をしてくれた近所のおじさんから、夜中の救急病院に駆けつけた刑事さんと支援員まで、悪いのは加害者であって、被害者の私には味方がいると教えてくれた。

事件直後から3ヶ月通ったカウンセリングにも、加害者が逮捕されてからの裁判費用も全て、州政府の被害者支援予算から支払われた。突然の出来事で経済ロスも伴う事が多い中、被害者のための予算があることは非常にありがたい。

でも考えてみたら、加害者は逮捕され刑務所暮しが始まったら、彼らの衣食住は税金で賄われる。被害者予算がない方がおかしいと思う。実際、治療やカウンセリングばかりか生活の立て直しをするには随分お金がかかる。

やっとここ数年で、日本の各地でも性暴力被害者支援が進んできたが、未だ警察と繋がらない限りカウンセリングなどの費用は出ないというところも多く、警察に届けたくないという被害者(特に家族や顔見知りからの犯行の場合など)は泣き寝入りを強いられている。

それは日本だけではない。手厚い支援体制があるアメリカでも、早急に支援を受け、被害者の味方と出会うことにより、比較的早く心の回復が実現し、何の後遺症もなく生きているというだけでも、私は珍しいサバイバーなのだ。

日頃から虐待や暴力を受けている被害者が、「警察に行ったら殺す」などと脅迫されていたら尚のこと、恐怖という名のおりに入れられて身動きが取れないのが普通である。

事件から1年ちょっとで、回復の帰路に立った私は、アメリカとカナダで多くの性暴力被害者の取材撮影を許され、同時に多くの支援者とも出会い、各地の支援機関と一緒に、東はワシントンの上院議員会館から西はハワイの女性刑務所まで、全米各地で写真展と講演活動を行ってきた。

HuffPostでブログを書かないかと誘われたのも、私がアメリカと日本で行ってきた活動について書いてみてはどうかと持ちかけられたのが最初だった。あれから2年。その間、日本国内でも数え切れない程のセミナー等で話をさせていただいた。

誰も犯罪被害に遭いたくてあっているのではない。どんな状況でも、被害者の意思で暴力は起こらないのだから。暴力は加害者の意思でしか起こらないのである。

でも、本来起こってはいけない事がおこってしまったら、それには何かしらの意味があるのかもしれない。少なくとも、被害を通った人にしか言えないことがあり、見えないものがあり、それには他の人を救う程の大きな価値があるということを、取材を許してくれた70人もの被害者達が教えてくれた。

犯罪被害者週間の時期にあたり、自分とは関係ないと思っている人にも、是非考えてほしい。

防災と同じように、万が一被害に遭ってしまったら、被害者としてどんな権利があるのか、誰が助けてくれるのか、自分の住む町ではどんな支援体制があるのか、または、どんな取り組みが検討されているのか、目を向けてみてほしい。何もなければ要求すべきだろう。

そして、独りぼっちで泣き寝入りを強いられている人は、支援機関へSOSを出してほしい。

支援を受けることは恥ずかしい事ではない。それは、自分自身のためだけではなく、愛する人を守るためでもあるのだから。