「#保育園落ちたの私だ」空気に対する革命の、空気とは何だ?

「保育園が足りないのは自治体の問題なのに、日本に文句を言ったり国会に物申したりするのはおかしい」と言う人は多い。だが、その指摘はピント外れと言わざるをえない。

3月からYahoo!個人でも書かせてもらうことになり、「保育園落ちた日本死ね」を発端にした一連の動きについて、3つの記事を立て続けに書いた。

いちおう"メディアの専門家"として書くことになっているので、そういう分析をしてもいる。3つの記事のうち、最初の2つはいわゆる「ヤフトピ入り」を果たし、どえらいPV数となった。いきなり2つもヤフトピに入るのもラッキーだが、Yahoo!の人によると、ヤフトピ入りしたにしてもPV数は多かったそうだ。それだけいま興味を引く話題だったということだろう。

Yahoo!に書いて気づいたのだが、やはり「ニュースサイト」なのでニュース記事として書く気持ちになるし、あまり長くも書けない。ライターの本能が"この場ではあまり長い文章はふさわしくないぞ"と警告してきて、文章量を抑えようとする。

とくに、最後の記事の「空気に対する革命」はもっと書きたかったのだが前半ですでに文字数がふくらんだので抑制してしまった。そこで、思い切り書ける自分のブログでたっぷり書こうと思う。やっぱり好きに書ける自分の居場所は書きやすい!

「保育園落ちた日本死ね」に対して、あるいは国会前スタンディングや署名を渡す相手が国会議員であることについて、「保育園が足りないのは自治体の問題なのに日本に文句を言ったり国会に物申したりするのはおかしい」と言う人は多い。だが現場を取材した身としては、その指摘はピント外れと言わざるをえない。

両方の活動とも、保育園が足りないことへの抗議であると同時に、国会で匿名ブログに対して「匿名では議論できない」と首相が答えたり、「誰が書いたんだ」と野次が飛んだ、そのことに対してのアピールなのだ。匿名というが、保育園落ちた人間はここに存在するぞ!と言いたい活動。国会での野次へのアピールだから、国会前での行動であり、国会議員への署名だったのだ。

「誰だ?」と問うなら「私だ」と答えてやる!この直線的な行動に対し、「国ではなく自治体だ」という論理は、あまりにもズレている。保育園の新設には国の補助金が出るし、だからこそ安倍政権は「国として受け皿を何十万人分増やした」と実績を主張する。つまり論理的にも「国じゃなく自治体」という指摘はもろくも崩れ去るのだが、そういうことでなく、そもそも論理を振りかざすこと自体が的外れだと気づいてほしい。

いま沸き起こっているのは、「日本死ね」からしてそうなのだが、はっきり言って感情論だ。もっとシンプルに言うといま、働く母親たちが怒りを爆発させているのだ。不満を言い募る女性に対し、解決を示そうとする男性は"わかってない"とよく言われるが、「国じゃなく自治体でしょ」には、そういうデリカシーのなさを感じてしまう。

もっともぼくがそんなことをいま言えるのも、この二年間様々な保育活動を取材したからで、それまでは何もわかってなかった。だからぼくもあまり言えたギリではないし、取材してなかったらデリカシーのないことを言っていたかもしれない。

とくに"保活"つまり保育園に子どもを入れるための活動についてほんの数名の女性に聞いただけだが、本当に驚いた。「空気に対する革命」の「空気」の第一は、保育園を見つけることのあまりの困難さ、保活の不条理さだ。

言われているように、いろんな条件がポイント化されており、うまく条件を整えないと認可保育園には入れない。その不条理の最たる側面は、基本的に現時点で母親が働いていないと認可保育園には入れないのだ。保育園を見つけたいのは働きたいからで、その時点では働いているはずがない。でも、いま働いていないとポイントがつかず、預けられないのだ。矛盾していて頭がおかしくなりそうだ。

保育園がそれくらい足りない、圧倒的に足りてない、ということだ。そこで、働くために認証や無認可の保育園にまず預けて働きはじめて、それから認可保育園に申請することになる。そうすると、本当は会社がくれる育休を二年間フルで使ってから復職したいところを、その前に早々と復職して働いた実績を作ってから預ける。その結果、認可に入れるための認証や無認可も早々と埋まってしまう。どんどん保育園が足りなくなるおかしなスパイラル

そんな笑えない保活の不条理が、「空気に対する革命」の「空気」だ。

だがそれに輪をかけて本当に悲しい空気がこの国には漂っている。

以下は、「赤ちゃんにやさしい国へ」というFacebookページ宛てに自分の現状を書きつづったママさんからのメッセージからの引用だ。

境さんのおっしゃる通り、この国はとても子育てがしにくいです。

4月から復帰の私ですが、かろうじて子どもを保育園に預けることはできそうですが、職場の長からは『申し訳ないけど時短勤務はさせられない』と言われてしまいました。

私たち夫婦の実家は遠距離で、共にまだ現役で働いているため、協力も仰げません。

夫と2人で協力して育児をしていくしかないのですが、夫も職場で『保育園のお迎え等で残業できない日もあるかもしれない』と長に話すと、『キャリアアップのことはどう考えているの?奥さんはもう少し融通のきく仕事に就けなかったの?パートとか...』と、パタハラともとれる苦言をいただいて帰ってきました...。

確かに、子育てをしながら働くのは、子どもの発熱などによって突発的に休むことも増え、周りの方に迷惑をかけてしまいます。

そのことについては本当に申し訳なく、また理解いただけたらとても有り難いと思いながら働くのですが...

"職場に迷惑をかける子育て世代=悪"

のような空気が、この国に漂っている気がしてなりません。

子育てをしながら働くって、とても息がつまるなぁ...と感じずにはいられません。

子育て世代が、歓迎されてないんですよね。

こういう空気が、私たちの子どもの時代には少しでも薄まっているよう願わずにはいられません。

ママだけでなく、育児に協力的なパパの周りにも、しんどい空気が漂っているということをどうしてもお伝えしたく、不躾にもメッセージを送らせていただきました。

これこそが、空気の中身だ。「子育てをしながら働くのが、息がつまる。」パパも窒息しかねない。そんな国で子どもが増えるはずがない。

保育園に入れるの大変。入れたら入れたで冷たい職場。社会全体から「は?お前ら子ども育てるとか何言ってんの?」と言われてるも同然だ。それが「空気」の中身だ。

ただ引用したメッセージでいちるの救いは、このママさんはパパさんと一緒に立ち向かっていることだ。「それは君の問題だろう」などと母親に押し付けるタイプではない。そしていまの若い世代はもう、こうなのだと思う。そういう意味ではこの問題は、母親だけの問題ではすでにないのだろう。

だがそれでもなお、ぼくが「無名の母親たちの革命」と女性を主語にするのは、やはりこの問題の主体は女性であり、もうこの何十年も「働くつもりか、あんた?」と問われ続けた母親たちの、溜まりに溜まったマグマが一気に噴出していると思うからだ。

旧世代のおっさんらから見たら、「日本死ね」も、国会への行動も、政治的に傾いた特異な女性のやることに思えるかもしれない。だがいま、ごくごく普通の、教養も品もある女性たちが怒りを爆発させている。国会へ行かなかったとしても、区長に手紙を出したりして行政に具体的な意見表明をする女性たちがぼくの周りにも続出している。こういう風に"言う"ことはすごく大事だし、積み重なれば効くと思う。

このうねりはまだまだ続くだろうし、ぼくも追って書いていきたい。

ちなみにぼくのモチベーションにはいろいろな要素があるのだが、何より自分の子どもたちに、この空気を今のまま味わわせたくないからだ。大学生と高校生のぼくの子どもたちに、その時が来たら健やかにのびのびと子育てをしてほしい。空気を変える革命。旗を振るのは女性たちだとしても、この国で暮らすみんなの問題なのだ。

※このブログを書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎・刊)発売中です。

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コピーライター/メディアコンサルタント

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

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