私の中の完璧な日本人/フランス人への憧れ。捨て去ったら、自分をもっと好きになれた。

特定の国や地域、言語、文化といった枠へのこだわりが私を苦しめていた。
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私は何人なのか

私はバリバリの帰国子女だ。

生まれてから「帰国っぽい」、「フランスっぽい」と数え切れないほど言われてきた。父の仕事の関係で、三歳の時にベルギーに渡り、現地校でフランス語を習得し、七歳の時に帰国。十歳の時にフランスに引っ越し、現地の高校を卒業し、帰国した。

日本の大学を卒業後、日本の会社に就職した。今では大学教員としてフランス政治を研究し、政治学を教えている。私にとって、日本語もフランス語も母語だ。

私は二十四歳の頃まで、自分が何人なのか、という問題に囚われていた。小学校一年生の途中で帰国し、地元の学校に転入した。「いじめ」というほどのものはなかったが、よく知らない男子に「外人!」と明らかに罵る口調で言われたことがある。

また、三年生か四年生の頃に「えりちゃんは転校してきたとき、目が青かったよね」と言われ、知らぬうちに神話ができていたことを知った。いうまでもないが、日本人の両親から生まれて、アジア人的な顔をしている私の目は青くないし、青かった過去もない。こうした経験から、外国とつながりがあることは偏見をもって見られるのだと知った。

十歳でフランスに引っ越し、現地校に通った。高校を卒業するまで、私は常に「日本代表」だった。地理の授業のときに、日本の捕鯨の現状について突然訊かれ、「わかりません」と答えたら「日本人なのに日本のこと知らない」と先生に言われた。

また、歴史の時間に江戸時代について訊かれたが、これにも答えられず、日本に詳しい男子が正解を出していた。日本について何も知らないのみならず、補習校に通っていなかったこともあり、当時の私の日本語のレベルはとても低かった。

日本を知らない、日本語もうまく話せない。「日本代表の私」は常に屈辱を味わわざるを得なかった。そしていつしか「私は日本人として失格なのかな」と思い始めた。国籍は日本だが、それ以外に私は日本的な要素を持っていなかった。だから、「心はフランス人なのかな?」とも考えた。だが、フランス社会はいつも私を異質な他者として見ていた。

高校を卒業して帰国するとき、「日本はホームだ」と期待した。だが、一度目の帰国のときと変わらず、フランス帰りの帰国子女として扱われた。なにかと「えり子はフランス人だから」と言われた。それは排除の意味を持たなかったし、むしろ好意的な側面すらあっただろう。

だが、「どこに行っても他者として見られるのか」という思いを引き起こした。しかも、私の個性はすべてフランスに由来するものとして語られた。

「喋るときに腕を大きく動かすところ、フランス人だよね」

「服装、フランスっぽい」

こうしたことは幾度となく言われてきた。でも、こうした発言をしてきた人たちは、私がフランスの帰国子女であることを知っていたから私の個性をフランスとつなげているのであって、「フランスの帰国子女」という情報がなければ、私の身振りや服装をフランスと関連づけることはなかっただろう。

しかも、個性はそんなにも特定の社会や文化に規定されるのだろうか。

もちろん、私たちの言動の多くは社会的に構築されている。しかし、日本生まれの日本語モノリンガルの日本人は全員似た「日本的」な個性の持ち主なのだろうか。そんなことはないだろう。つまり、バイカルチャーの人の個性は二つの文化のいずれかの産物とは必ずしもいえない。

こうして冷静に振り返ってみれば、周りの指摘は根拠のないもので、いちいち取り合う必要もなかった。だが、「ホーム」を期待していたのに、またもや他者となり、大学一年生から二年生の頃は、私もまだ繊細だったため、周りの無理解に耐えられず、月に一度ほどシャワーの下で涙を流していた。

「真ん中」の可能性

「私は何者なのか」。人間にとって最も根源的な問いだ。他人に「あなたは〇〇だ」と規定されることは暴力そのものだし、自分が持っている自己認識が周りに認められないことは絶望を生む。

長年、私はフランス人としてフランスを愛して、フランスのためになる、あるいは、日本を愛して、日本のためになる、ということを目指していた。そうして完璧なフランス人、あるいは完璧な日本人になろうとした。だが、いずれの場合も周囲に認められず、失敗した。

年月が経ち、特に何のきっかけがあるわけでもなく、会社員だったある日気づいた。「国にこだわるのをやめればいい」。「真ん中」の可能性を見つけた。

その日から私は、日本国籍保有者として特権を享受している身であることを自覚しながらも、どの国にも属さずに、単に地球上に住む一個人として生きることにした。

「真ん中」とは解放だ。特定の国や地域、言語、文化といった枠からの解放。国に精神的支柱を求めていたが、むしろ国へのこだわりが私を苦しめていた。

硬い枠にはまろうとしても無理が生じていた。枠へのこだわりを捨てた瞬間から「真ん中」が精神的支柱を打ち立ててくれた。

「真ん中」とはフランスと日本の間の真ん中や、ヨーロッパとアジアの間の真ん中ではない。家族や友人、日々見聞きするニュースや吸収した知識、触れてきたあらゆる社会や言語、鑑賞した芸術作品などが作り上げてくれた複雑で雑多な空間の「真ん中」だ。

「真ん中」は浮遊し、揺らいでいる。上下左右に、東西南北に。強風に煽られたり、濃霧に囲まれたりしながら、私は常に今の自分にとって最も心地よく、安心できる「真ん中」を探している。

完璧なフランス人や完璧な日本人を目標としていたが、「真ん中」に完璧はない。そして、完璧や完全は固定的だが、「真ん中」は流動的だ。だからこそ「真ん中」は自由をくれる。

こうした「真ん中」の可能性に気づいて十年ほど経つ。周りから見たら、私は大きく変わっていないかもしれない。しかし、心の生き方は大いに変化した。完璧になれない自分を疎んでいたが、完璧への憧れを捨て去り、「真ん中」の人になり、自分をより好きになった。

自分が何者なのか、という問いに今でも苦しまないわけではない。今でも周囲に「フランスっぽい」や「帰国子女だから」と言われることがあるし、自己認識が「フランス人」でも「日本人」でもないことはなかなか理解されない。

それでも、完璧でなくても良いと思わせてくれる柔らかさを持つ「真ん中」という場はその痛みを吸収してくれる。

SHIROI CLERK
SHIROI CLERK
HuffPost Japan

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