安倍政権は、大半の憲法学者が違憲と指摘する戦争法案を強引に通そうとしていますが、彼らの真の狙いは憲法改定にあります。「公益や公の秩序」を国民の人権よりも上に置く自民党草案は、国民主権・立憲主義の否定であり、国家主義への逆戻りを意味するものなのです。
一方、先週米国では、サウスカロライナ州が州の議事堂に掲げられていた「南軍の旗」を降ろすという、歴史的に大きな事件がありました。米国にとっての南郡の旗は、ちょうど日本の靖国神社のような存在で、南北戦争の戦没者を弔うという意味をもちならがも、人種差別のシンボルでもある、という厄介な存在だったのです。
南郡の旗を降ろして前に進む米国と比べると、国家の長である安倍総理が日本軍による従軍慰安婦の強制労働を否定し(安倍総理は総理になる前から河野談話を否定し続けて来ました)、A級戦犯を祀る靖国神社を参拝する姿はどうみても後ろ向きです。ドイツがナチの蛮行を否定しては前に進めないのと同じく、日本は日本軍の蛮行を否定しては前に進めないのです。
下の文章は、私のメルマガ「週刊 Life is Beautiful」からの抜粋です。
南郡の旗(Conffederate Flag)
日本ではあまり大きく報道されていないと思いますが、米国では、サウスカロライナ州が州の議事堂に掲げられていた Confederate Flag (南北戦争時代の南軍の旗)を下ろすという、歴史的に非常に大きな出来事がありました。
米国にとっての Confederate Flag は、日本の旭日旗や靖国神社と似たような存在です。南部の人たちにとっては、例え南北戦争に負けたとは言え、自分たちのプライドの象徴であり、戦争で命を落とした人たちへの敬意を表すものでもあります。
特にサウスカロライナは、(南北戦争の際に)最初に合衆国からの独立を宣言した州でもあり、戦争には負けたけれども南部の州としての魂は失っていない、という意味も含め、Confederate Flag を州の議事堂に誇らしげに掲げて来ました。
それだけならば問題ないのですが、そんな南部の人たちの中には未だに「南軍の主張は間違っていなかった」「黒人は差別されて当然だ」と考える人たちがおり、それが問題を複雑にしています。彼らにとって Confederate Flag はそんな考え方の象徴なのです。
日本にも未だに、「太平洋戦争は侵略戦争ではなかった」「軍により強制的に働かされた性奴隷はいなかった」と主張する人たちがおり(安倍政権を支えている日本会議がその代表です)、その人たちにとって靖国神社や旭日旗がそんな考え方のシンボルになっているのと同じです。
サウスカロライナ州が掲げる Confederate Flag は、これまでも何度も(主に民主党の議員による)批判の対象になって来ましたが、州側が「これは人種差別の象徴ではなく、南北戦争で命を落とした人たちへの敬意の象徴だ」と言ってかわし続けていました。
日本の歴代の総理大臣がA級先般の祀られた靖国神社に参拝しながら「戦争で命を落とした人々への敬意を払うのは当然」と言い逃れている構図と良く似ています。
しかし、そのサウスカロライナ州のチャールストンの黒人教会での銃の乱射後、その犯人が、Facebook に Confederate Flag や Rhodesia Flag (アパルトヘイト時代の南アフリカの旗)を胸につけたり掲げた写真が見つかり(参照)、黒人差別のシンボルとしての Confederate Flag への批判が一気に高まったのです。
それが結果として、南軍の中心的役割を果たしたサウスカロライナ州が州の施設から Confederate Flag を排除するという、歴史的にみてもとても重要な決定に至ったのです。